「なんだ、その――くりす……あー……」
繰り返そうとして、どんな名称だったかと逡巡したところで、ティアが笑った。
「クリスマス、だよ」
念を押すようなその言葉に、「そうそう、それだ」と、レンポは頷いた。
そんな様子がおかしかったのか、ティアがころころと笑って、テーブルの上に置かれたものに手を伸ばす。
中央に、ちょこんと鎮座するそれは、さまざまなものに彩られた小さな木だ。本物ではなく、作り物の。くりすますつりー、というものの模倣らしい。その頂点につけられた星を調整するティアの手元を、なんとなくみつめる。
「で、何する日なんだ?」
満面の笑みでその置物を抱えて帰ってきたティアを思い出しながら、レンポは問う。ウルならばなにか知っているかもしれないが、あいにくレンポはそういうことに興味がない。それに、長い間封印されていた身だ。人間のやることは、わからないことのほうが多い。とくに、記念日とか行事的なものは、なおさらだった。
満足いくように星をなおして、ティアがレンポに振り返る。
「簡単にいうとね。救世主が生まれた聖なる日を、お祝いする日なの」
聞かされた内容に、レンポはきょとんと目を瞬かせる。
「お祝いっておまえ……だって明日は、」
いいかけて、レンポは口を噤んだ。とても楽しそうにしているティアに、自分の発言は水を差すものだと思ったからだ。
「?」
ティアが不思議そうな顔をする。なんでもねえ、とレンポは手を振った。
「そんで?」
「うん、ええっと、それでね。パーティしたり、教会にいったりするの」
それでね、えっとね……と、ティアがレンポの機嫌を伺うように、いう。おずおずと、胸の前で細い指があわされる。
「明日……パーティが、あるんだけど……レンポも、いかない?」
あまり人間というものを好ましく思っていないレンポだから、もしかしたらいままで誘えなかったのだろうか。しかし、人に見られることがない精霊を一緒に連れて行って、どうしようというのだろう。楽しめるかといわれれば、大いに疑問だ。だが、ティアはできることならいつもレンポと一緒にいたいと、常々口にしている。
複雑に煌く万華鏡のようなティアの心情を脳裏に描きつつ、レンポは小さく息をついた。
「……まあ、かまわねぇけど」
結局自分はティアに甘い。そう思っても、やめられないから仕方ない。
だって、今目の前で輝いていくティアの表情が、可愛いくてたまらない。
「ほんと?!」
一拍置いたあとの返答に、やったぁ! と、ティアが飛び跳ねた。
そんな喜ぶ姿をみれば、まんざらでもない気分がさらに募り、頬が緩んだ。
だが。
「救世主の生まれた日、か……」
ぽつり呟いた言葉は、受け取ってほしいと思って吐いたものではなかったけれど、ティアはちゃんときいていたらしい。
「どうかしたの?」
ティアが、小さく首を傾ける。さらりと、明るい髪が揺れた。
「なんでもねぇよ」
もう一度その言葉を、レンポは口にした。
「……そう?」
ティアは、ますます不思議そうな顔をするけれど、黙り込んだレンポから聞き出すことはできないと判断したらしい。「まあ、いいか」という顔をしたあと、とにかく一緒にパーティにいけるということが嬉しくてしかたないように、鼻歌まじりにツリーの飾りを弄りはじめた。
そんな様子に、レンポはゆっくりと瞳を閉じて、浮かんだまま四肢を投げ出すように仰向けになる。
微かに紡がれるティアの歌に、身をゆだねるように瞳を閉じる。
そうして、遥か過去に思いを馳せる。
クリスマスという名を与えられたその日は、この世界が生まれた日。
世界に選ばれた預言書の主たる救世主が、世界を再び生みだした日。
それはクレルヴォが、救世主であった頃の――レンポたちが、夢を語るその大きな瞳に、未来を見出し笑いあっていた――遠い遠い、昔の話。
「すっかり遅くなっちゃったねー」
昨日のことを、ぼんやりと思い出していたレンポは、ティアの白い息とともに吐き出された言葉に、意識を引き戻した。
幼馴染の家で開かれたパーティに参加しての帰り道、慣れ親しんだ路地をティアはのんびりと歩いていく。その肩に小さな姿で腰掛けていたレンポは、ティアは気付かれぬように、重く息をついた。
「――ああ、そうだな」
己の記憶を、いまだ残り香のように纏いながら、レンポはそういった。ふる、と頭を振る。
「それにしても、寒いったらねぇぜ」
自分の心にくすぶるものに気付かれぬように、レンポはいつものようにいった。封印が解かれてからというもの、本来の力を発揮できるようになり、冷気を退けているはいえ、寒いものは寒い。
「ふふ、私はレンポのおかげでそんなことないけどなあ」
決して冷えぬようとその力をふるってくれているレンポの行為を知っているティアは、その華奢な身体を震わせて笑った。
バレているのは気恥ずかしいものの、そういってもらえるのは素直に喜ばしい。レンポは、ぼりぼりと頭を掻いた。そして、気付く。この道の先にあるものを、思い出す。やがて通りかかったとある場所の前で、レンポは動いた。
「おい、ティア」
すい、と飛び上がりティアの歩みを遮るように静止する。
「ん、なあに? レンポ」
足を止めたティアが、きょとんと瞳を瞬かせる。
「ちょっと付き合え」
「え」
ひゅう、と星瞬く夜空から吹きおろした風とともに、レンポはその大きさを変えた。そのまま、固まっているティアを抱き上げる。
「ちょ、ちょっと待って!」
ばたばたと、ティアが細い手足を暴れされる。嫌な予感がするのか、その顔は引きつっている。
「おとなしくしろって」
「だ、だって、レンポ何するつもり……って、――ひゃあああああ!?」
やっぱりぃぃぃー! と涙目で叫ぶティアを抱えたまま、レンポは飛び上がった。何度かこうしたこともあるのだが、ティアはまだ慣れてないらしい。
「おち、おち……!」
「オレ様がティアを落っことしたりするわけねえだろ。それに、目的地はすぐそこだ」
だから心配すんな――そういって安心させようとするのだが、ティアは恐怖からか、遠慮無しにぎゅうぎゅうとレンポに抱きついてくる。多少苦しいが、それで落ち着くのなら安いもの。やりたいようにさせたまま、レンポはティアの背に手を添えて、一息で高い塀を飛び越えた。
レンポがティアを連れ込んだのは、古びた教会。クリスマスであるというのに、明かりのひとつもともっていない。だが、ここは老朽化のために移転がされてから利用する者が誰もいないと、ティアに以前に教えてもらった場所なのだから当然だ。ただ、価値のある壁画やステンドグラスなどは動かすことができないため、教会ごと保存だけがされている。
そんな建物を横目に、レンポは裏手へと回りこむ。教会の庭を突っ切っていく。
「もおお、どこいくのー!?」
早すぎる速度に、ティアが悲鳴をあげている。
「だから、すぐそこだって!」
そうしてたどり着いた、奥の奥。見えたのは、大きな木の影。数年前まで、子どもたちや近所の者たちに憩いの木陰を提供していただろう巨木が、そこにあった。葉が落ちた枝を風に揺らし、寂しげに夜空の下でひとりそびえている。
それを上空から見下ろして、レンポはその根元へと急降下した。ティアが、もう声にならない悲鳴をあげて、身体を強張らせた。
「ほらな、近かっただろ?」
すっかり涙目になったティアをそっと下ろせば、よろよろと足元をふらつかせた。支えるように胸を貸してやると、ティアが縋りながら言った。
「ほんと、もぉ……、いきなり飛んだり降りたりするの、やめてよぉ~……」
眉を下げて、べそべそと訴えられた。どうにも、過激な上へ下への動きに、ティアは弱いらしい。
「次は気をつけらぁ」
覚えていたらな、と心のなかで付け足してから、レンポはティアから離れた。
「レンポ?」
急に離れられたことにびっくりしたらしいティアが、追いかけるように引き止めるように、手を伸ばした。その手に指を絡ませて、レンポは淡く微笑んだ。
「わりいな、ティア。オレ、ティアにやれるもなんてなにもねえ」
パーティでは、集まった人間たち同士が贈り物をしあっていた。ティアも、例外ではない。そんな習慣があることを知らなかったとはいえ、やはり心苦しさはある。
「そ、そんなことないよ?」
ティアが慌てたように、いい募る。きゅっと絡めた指に力がこめられる。
「いつだって、私を暖めてくれているじゃない。身も心も、レンポがいてくれるから、こんなにも心地よくいられるんだよ?」
「へへっ、あんがとな。だけどそういうわけにもいかねえだろ。恋人としては、よ」
そういってもらえるだけで、自分には価値があると思えるから不思議だ。だが、それだけでは気が済まないし、いけないだろう。
「ま、みてろって」
そうして、レンポはもう片方の手を伸ばす。す、と伸ばした指の先、ふわとひとつ浮かぶ小さな火。
ティアが、小さく声を漏らす。
その目の前で、レンポは己の力で次々と炎を生み出していった。やがて、星よりは少ないけれど、星よりもなお眩く輝く火の子たちが、あたりを照らしだしていく。
「うわぁ……」
ティアが、簡単の声をあげている。それを聞きながら、レンポは腕を払う。ゆけ、と命じるように。
それが合図。
螺旋を描いて、炎が木を包み込む。そして、先端まで上り詰めると、はじけた。
ひとつひとつが、くるくると落ちながら、春を待つ枝の先にともっていく。
それはまるで一足先に小さな花が咲いたよう。暖かな色をした炎が、優しく揺れた。
「本当は、モミの木でやるのが、いいんだろうけどよ」
自分で作ったクリスマスツリーを見上げながら、レンポはいう。
その側へと、ティアがゆっくりと歩いてきた。ふるふると頭を振って、そんなことない、と掠れた声で呟く。
「――今までに見たなかで……いちばん、きれい」
陶然とした表情で、ティアがいう。
だが、それはこちらのセリフだと、レンポは思う。
幸せそうに微笑むティアが、この世界の何よりも美しい。そして、そう想うこの気持ちが、心に降り積もるたび。ティアへの愛を自覚する。恋をしているのだと、強く思う。
そっと、ティアの手を握り締める
「そりゃそうだろ、ティアのためだけに、オレ様がつくったもんだからな」
ティアそのものをイメージして創りあげたものが、美しくないわけがない――それは、言葉にはしない。
滅びゆくこの世界を記す者。そうして、やがて新しい世界に繋ぐ者。光は、そんなティアだからこそ相応しい。
どうか、いつか燃えつきて一握りの灰となる世界を最後まで照らし、またそこから生まれる世界でも、ティアが道筋を照らすものであるように。
今日生まれ、そして今日この世界を創ったかつての仲間が、最後に語ったように――――裏切りの未来など、決して訪れないように。
「なあ、ティア。好きだ」
万感の思いを込めて、レンポはいった。
はっと驚くわけでもなく、すとんとその想いを受け止めたティアが、微笑む。
「私も、大好きだよ。ずっと、ずーっと、私、死ぬまでレンポが一番好きよ」
「オレは、ティアが死んでも、ずっと、ずーっとおまえだけが一番好きだぜ」
当たり前のことを、当たり前のように言い合って、二人で声を上げて笑った。
精霊と人。存在が違うからこそ、どこまでも続く時間の中、重なるこの一瞬が尊くて愛おしい。
手を結び合ったまま、レンポはティアへの想いを宿したツリーを見上げる。ティアも、それにならうように顔をあげた。
聖なる夜に、聖なる炎がゆれている。
願わくば、この少女との永遠を――
それはかなわぬものであると、一番良く知っているはずの存在でありながら。いつか訪れる別れを知っていながらも、そう思わずにはいられないくらいに、レンポはティアを愛している。
「――レンポ。ツリー、ほんとうに……ありがとう。……私、絶対にこのこと……忘れない、から」
オレも、と応えた言葉は、ひどく震えていた。
だけど、そう伝えてくれたティアの声も、泣いているように聞こえたから、お互い様だとレンポは思うことにした。
頬を濡らすものをぐいと拭って、レンポはいつまでも離したくないというように、ティアの手をさらにきつく、握り締めた。