進路希望 お嫁さん!

AVALONCODE6周年企画作品 梅花様よりのリクエスト

 ちらり、教室の壁に設えられた丸い時計に視線を送る。
 そろそろだな、と一人頷いたヒースは、教室の廊下側で他愛ない会話に興じる少年に近づいた。
「ヴァルド、そろそろお帰りになりませんと……、食事会への準備もありますので」
「ああ、そうだね。わかったよ。車の手配をしてくれたまえ」
 長い授業時間を終えた放課後の賑やかな教室で、なんとも場違いな言葉遣いと優雅な受け答えをしている二人を、同級生の男子――青い髪をしたレクスが、鼻で笑った。
「なんつーか、ほんと、なんでおまえらみたいのがこの高校にいるのか、つくづくわかんねーよなー」
「ちょ、ちょっとレクス、その言い方はよくないよ」
 慌てた様子でそれを諌める優しげな風貌の赤髪の少年の頭を、レクスががっしりと掴んだ。
「なんだよデュラン! いつもいい子ぶりやがって!」
「いたたたた! 痛いじゃないか、レクス!」
 ぎりぎりと頭をしめつけられて叫ぶデュランとレクスのやりとりをみながら、銀の髪の少年が上品に笑った。
 古い伝統と歴史はあるが、学力レベルでいえば中の上程度の、一般人が通うごくごく普通の私立高校。そこに、とある大企業の御曹司がいるというのは、やはり奇妙なものだ。
 だが、周囲からある程度浮いてはいるものの、それが当たり前のこととして受け入れられているあたり、この学校の校風も学生も懐が深い。
「まあ、高校はこの学校に通うのが我が家の方針だからね。卒業後は留学する予定だし、それまでは、我慢してくれたまえ」
「別に気にいらねぇっていってるわけじゃねえよ。……そうか、ヴァルドは外国にいっちまうのか」
 嫌味なく朗らかにそんなことをいってのけたヴァルドに毒気を抜かれたのか、レクスはあっさりとデュランから手を離してそんなことをいった。
 レクスはなんだかんだと口は悪いが、ヴァルドを大切な友人だと思っているのだろう。進路のことを聞いて、ふいに考え込んでしまった。
「デュラン、お前はどうすんだ?」
「僕? 進学するつもりだよ」
 レクスの問いにあっさりと答えたデュランに対して、おや? とヴァルドが首を傾げる。
「お父上の道場は継がないのかな?」
「うーん……、父さん、跡継ぎのこととか全然考えてないと思う」
 この地域では有名な、苛烈極まりない剣術の師範のことを思い出し、ヒースは曖昧に笑った。
 流派は違うものの、何度か指導いただいたことがある。たしかにあの御仁ならば、生涯現役だろう。死ぬ瞬間まで、道場に立っていそうである。
「レクスはどうするんだい?」
「さーてねぇ」
「まだ決めてないんだね? 進路希望のプリント提出、明日だよ? ちゃんと真面目に考えなきゃだめじゃないか」
「わーってるよ! この優等生!」
 デュランとレクスの幼馴染らしいやりとりを聞きつつ、近くに待たせてある車の運転手へとメールで連絡をいれながら、ヒースは自分の鞄のなかにいれた紙面に思いを馳せていた。
 さて。いまだ記入していない、自分の進路希望をなんと埋めたものだろうか。
 ヒースの家は、代々ヴァルドの家に仕えてきた家系である。ただし、血縁ではない。だが、世が世なら、乳兄弟という間柄となっていただろう関係性だ。
 当然、幼い頃から後継者たるヴァルドを守り支えるよう教育されてきたし、ヒースもそうして生きていくつもりだった。進路もヴァルドと同じ大学を選ぶつもりだった。だが先日、それは必要ないといわれてしまったところである。
 この時代、そんなことに縛られなくてもいい。好きに生きていいのだ、と。
 告げられたときは、自分が粗相をしてしまったのかと思ったが、そうではないらしい。ヴァルドなりにヒースの将来を案じてくれているのだ。
 これからも傍にいてくれるのなら拒む理由はない。だけれど、他の道を選ぶのならば、ヴァルドはそれを応援したいとのことだった。
 その心遣いはありがたいことだと思う。しかし、これからも続くと思っていた道が、夏に揺らめく陽炎のように不鮮明になった戸惑いから、ヒースは進路希望を書くことができないでいた。
 自分は、なにを望んでいるのだろう? どうしたいのだろう?
 そんなことを、ここ数日、考え続けている。もし、幼い頃にヴァルドをかばって負った左目の傷痕を気にしての発言ならば、いっそ撤回してほしいとさえ思うくらいに悩んでいる。
 素直にそのことを告白したら、生真面目すぎるとヴァルドに笑われてしまいそうだから、いわないけれど。
 ヒースが手にしたメールの送信画面が消えたのを見計らったように、レクスが赤い瞳を向けてくる。
「でもまあ、今回のはアンケートみたいなもんなんだろ? 適当に書いとくぜ。そういや、ヒースはどうすんだよ?」
 びくり、と肩を揺らす。まるでこの迷いを見透かされてしまったようで、息が詰まる。
「……オレは……」
 三対の瞳に見つめられて、妙な居心地の悪さに睫を伏せた、そのとき。

「ヒースぅー!!」

 高らかに、そしてどこか甘く、己の名を呼ばれて反射的に廊下に飛び出し、あたりを見回す。
 みれば、長い廊下の向こうから、軽やかな足音をひきつれ、元気いっぱいの声をあげながら、向かってくる小柄な人影。
 生徒たちを踊るようなステップで避けるたび、紅茶色の髪が揺れる。それを視認した瞬間、思わず腰が引けた。
 弾丸のように一直線に向かってくるそれに対し、逆方向へと駆け出そうとしたヒースの体を、がっしりと掴む、いくつもの手。
 見れば、にやにやとしたレクス、申し訳なさそうなデュラン、そしてやたらといい笑顔のヴァルドが、その場にヒースを押しとどめていた。
「は、離せ! くる……! あいつがくる!」
 もがいてみるが、いくら一般高校生男子より鍛えた体躯をもつヒースでも、三人に押さえられていてはなかなか逃げ出せない。しかも、ヴァルドがそこに加わっている以上、下手に大暴れもできない。
「ごめんよ、でも僕は一途な彼女の恋を応援するって決めたんだ!」
「友人であるオレを応援はしてくれないのか?!」
 フェミニストらしいデュランの言葉に、ヒースは思わず突っ込んだ。
「おいおい、せっかく嫁がくるのに逃げるとかないんじゃねーの?」
「前から言っているが嫁じゃないぞ!?」
 どうみても面白がっているレクスに対し、いつものように否定していると、ヴァルドが優雅に微笑んだ。
「私は時間の問題だと思うけどね。観念したまえ」
「……!」
 ばたばたと足音が近づく。ああ、もう無理だ。まさに四面楚歌。
 ヒースが逃げるのを諦め、体から力を抜いたのを感じ取ったのか、ささっと三人が道をあける。
 と。
「いっしょにかーえーろー!」
「ぐはっ?!」
 どーん、と勢いよく腰に飛びついてきた小柄な少女―――ティアの勢いに、思わず肺から空気が漏れた。
 せきこむヒースをみて、げらげらとレクスが笑っている。覚えていろよ、と思ったものの、涙目で睨みつけることしかできない。それをみて、レクスがさらに爆笑した。
 甘えるように自分の背中に頬を摺り寄せているティアに向かって、なんとか呼吸を整えたヒースは叫ぶ。
「ティア! 突進はやめろとなんどいえばわかる?!」
「ね、お腹すいたから帰りにどこか寄っていこう!」
「人の話をきけ!」
 不本意ながら噛み合わないティアとヒースのこうした会話は、この学年においての名物に位置づけられており、とおりかかった生徒、はては教師までもがこちらをみて笑っている。また、やってるよあの二人、と。
 どいつもこいつも!! と、怒鳴り散らしたくなってきたヒースにぴったりとくっついたまま、ティアがヴァルドを見上げた。
「ヒース、連れて行ってもいいよね?」
「ああ、どうぞ。ゆっくりしてくるといいよ」
「ヴァルド様ー!」
 敬愛する主にまで早々に見捨てられ、ヒースは悲痛に叫んだ。
 やれやれとヴァルドが肩をすくめて眉を下げた。困ったね、といった様子だが、その瞳は笑っている。
「学校では『様』付けしないようにといっているのに。ペナルティだよ、私から離れて一人で帰りなさい。遅くなってもかまわないよ」
 しっし、と犬でも追い払うように手を閃かせるヴァルドが恨めしい。そんなこと思ってはいけないと思うのに、恨めしい。絶対に楽しんでいると思う。
「やったぁ!」
 ヴァルドの言葉は、ヒースにとって絶対のものであると理解しているティアが、満面の笑みを浮かべて喜びの声をあげた。
 ヒースの腰から離れて、ぴょんぴょんと飛びはねる。柔らかな髪と、短いスカートの裾が舞う。白く細い足が、ちらちらと露になって、ヒースはわずかにたじろぐ。視線が吸い寄せられるのは、男という悲しい性ゆえだ。
 その油断が、命取り。
「ヒース、いこ! 放課後デートだよ!」
「うわああああ!」
 今度はヒースの手をあっという間に恋人つなぎで絡めとったティアが、意気揚々と歩き出す。
 その小さく細い体のどこにそんな力があるのか、不思議でならないくらいの強さで引きずられながら、ヒースは情けない悲鳴をあげた。
「いつものカフェでいい? 新作のケーキがでたんだって! 楽しみだねー!」
「まて、ティア! まて!!」
 抵抗しながら叫ぶが、ティアはまったくもって止まらない。
 ティアとヒースが繰り広げるいつもの光景を笑いながら眺めていたレクスが、ぽんとひとつ手をうった。
「なんかあれだな、いうこときかねぇ犬の散歩してるみてぇだな」
「ああ、ティア専用トレーナーか……。うん、それもいいね。ヒースは、動物に好かれるし、進路はそういう方向にしてみるのもいいんじゃないかな?」
 同調して頷きあうレクスとヴァルドの言葉をきいて、主人のいうことをきかず、大興奮のまま飛び跳ねるように駆ける犬を追い掛け回す自分を、一瞬想像してしまった。
 いやいや、そういう将来望んでないし。
「オレは動物トレーナーにはならない!」
 そんな悲痛な叫びが、学生たちで賑わう廊下に木霊した。

 

 ヴァルド様は無事に帰られただろうか。ヴァルドの祖父にあたる、会長主催の食事会の準備は、滞りなく進んでいるだろうか。
 歳若い高校生が考えもしないだろうことに思い馳せながら、ヒースは内心で頭を抱えていた。結局のところ、ティアを振り切ることができず、一緒にカフェにいるこの現状。ここまできて、大騒ぎするわけにもいかず、ヒースは悶々と思い悩む。
 のろり、と視線をあげれば、落ち着いた雰囲気のカフェによくにあう素朴な木のテーブルの向こうで、ティアがアイスティーを飲んでいた。
 幸せそうに喉を潤したティアが、ヒースの視線に気づいて、にこりと笑う。その笑顔は、まさに人畜無害の無垢さと愛らしさで、男の庇護欲をそそる。
 ヒースとて、そんなティアはとても可愛いと思うのだけれど、字面どおりの猪突猛進な行動力を知っている以上、はいそうですかと頬を緩めるわけにもいかない。
 こて、とティアがわずかに首を傾ける。
「そういえば、さっきは皆でなんのお話していたの?」
「いまになってそれをきくのか……」
 このカフェまで、大騒ぎしながら問答無用でつれてきて、その台詞。だが、一応こちらの様子はわかっていたんだな、とヒースは乾いた笑いを浮かべた。それでなぜ、あの勢いなのだろう。
 まあいい、とコーヒーを一口飲んで心を落ち着かせたヒースは、そのときの話題を教える。
「明日提出予定の、進路希望をどうするのか、と、まあそういう話をしていた。そういえば、ティアはどうするんだ?」
 何の気なし質問が、深く墓穴を掘る鋭いスコップだったと気づいたのは、ティアの大きな瞳がさらに大きくなり、きらきらと輝いた瞬間だった。
「そんなのもちろん決まってるよ! ヒースのお嫁さんだよ!」
「?!」
 カフェにきてようやく落ち着いたかと思ったのに、ティアは興奮気味にとんでもないことをいいだした。
 ヒースはあまりのことに、テーブルに頭を打ち付けたくなったが、なんとか堪える。コーヒーを飲んだところでよかった。少しでも口に含んでいたら、きっと盛大に噴出していただろう。
 どちらの事態にもならずにすんだヒースは、大慌てで大きな手を突き出して叫ぶ。
「おい、まて! 進路希望の紙をみせろ!」
「え、みたいの? ちょっと待ってね……はい、これ」
 可愛らしいチャームがたくさんぶら下がった鞄から、ティアがもぞもぞと取り出したもの。それを、ヒースは奪い取るようにひったくる。
「きゃっ、ヒースってば強引……!」
「照れるな!」
 どことなくシュールさが漂うゆるキャラがプリントされたクリアファイル。そこに収められた白い紙をひっぱりだす。見覚えのある紙面に描かれた枠線の中、可愛らしさが滲む文字で、「ヒースのお嫁さん」などとほんとうに書いてある。ご丁寧にハートのマークまでつけられている。乱舞している。これを提出するつもりとか、恋する女子高校生怖い。
「ヴァルドくんもね、賛成してくれたよー。ヒースのことお願いします、だって! あ、もしかして、ヒースは共働きの家庭がいいの? それもいいよねー。マイホーム貯金とかしなきゃいけないしね」
「いや、そういう話ではなくて、だな……」
 ぶるぶると、紙を持つ手が震える。ティアの本気を感じ取ったせいか、背に汗が噴出してきた。なんだろう、この、外堀を大型重機で勢いよく埋められていく感じ。
 ティアが、からころとアイスティーの氷をストローでもてあそびながらいう。
「そっかぁー……じゃあ、働くところ探さなきゃ。そうなると、第二志希望が就職、になるのかなぁ? あれ、働いてお金貯めるのが先だから、第一希望が就職で、第二希望がお嫁さん?」
「ほんとたのむからひとのはなしをきいてくれ」
 マイペースきわまりなく、ケーキを一口頬張るティアの薄い肩を掴んで、前後に強く揺さぶりたい。女の子相手にそんな乱暴なことできないけれど。
「でも、子供ができたら、小学校卒業するまではおうちにいたほうがいいかなって思ってるんだけど、どう?」
「こっ、こどもっ?!」
 そんなことまで考えてるのか!?
 かっと顔を赤くして素っ頓狂な声をあげるヒースとは対照的に、ティアは興奮しながらもかなり具体的な将来設計にまで言及してくる。
「私ね、ヒースそっくりな男の子とかぜったい可愛いと思うの! きっとヒースみたいに格好良くなるよ! なにかスポーツ習わせよう? ヒースはなにがいい? 野球とかサッカーは定番だけど、テニスとかもいいと思わない? あ、それともやっぱり剣道? お師匠の道場に通わせる?」
 夢見る表情でとんでもないことを語りだしたぞ、おい。
 健全な男子高校生ならば、そんなこといわれたらいろいろ想像してしまう。世間一般では煩悩と呼ばれるものが、ヒースの脳裏を掠めていく。それはつまり、自分とティアがそういう行為に及ぶというわけで。
 いやいや、落ち着け。ピンクがかった思考から目を背け、ヒースは乾ききった喉を潤すように喉を鳴らす。だがそれでも、口内はからからだ。手にしたカップを、震える手で持ち上げてコーヒーを一口啜る。苦味さえ感じられないほどの混乱のなか、それでも努めて冷静に、ヒースはティアをみつめた。
「ティア。肝心なところがぬけている」
「なあに?」
 きゃっきゃっとはしゃいでいるところ申し訳ないが、現実を伝えなければいけない。ヒースは、テーブルの上できつく拳を握り締めた。
「オ、オレは……ティアと結婚するなんて一言もいったことがない。それになにより好きだといったこともない。つまり、オレたちはそもそも付き合ってすらいない……!」
 ヒースにできる限りの誠意と精一杯さで、夢見る少女にはかなり厳しい事実を突きつけたつもりだったのだが、相手が悪かった。
「うん、そうだねー」
 あっけらかんと頷くティアが、摩訶不思議なものでできている、人間の形をした別の生き物のようだ。話が通じているのか通じていないのか、もはや不明である。
 思わず真っ白に燃え尽きそうになったヒースだったが、自分を奮い立たせるように、頭を振る。
「だ、だったらその自信はどこからくる?!」
「だって」
 あは、とティアがなんてことないように笑う。
「ヒースは、私のこと好きでしょ?」
「……は」
 ひく、とヒースは頬を引きつらせた。ひゅう、と喉が風をきる。それは、自分の心臓が奈落の底へと突き落とされた音のよう。
 対してティアは、のんびりとその根拠をあげていく。
「あれこれいうけど、こうやってお茶につきあってくれるし。プリント運びとか、別のクラスなのにさりげなく手伝ってくれるし。お弁当作っていっても残さないでくれるし、綺麗に洗って返してくれるし。いつも、おいしかったっていってもらえるの、とっても嬉しいよ。あとね、抱きついても、本気で引き剥がしてこないし、二人きりのときとかならそのままにさせてくれるし。最初は私の勘違いかなー? って思ってたけど、他の女の子には丁寧だけどそこまでしてないでしょ? 本当に嫌なら、私だけにあんなに優しくしてくれるわけないと思うの」
 つらつらと、口を挟む隙無く述べたティアが、呆然としているヒースに微笑む。
「今は、ちょっと言葉にできないんだよね?」
 そのとおりだといいかける口を、手のひらで押さえる。
「おうちのこととか、いろいろあるもんね?」
 うんうん、とヒースの事情はわかってるからと、としたり顔でティアが頷く。
「でも、ヴァルドくんいってたよ、高校卒業したらヒースは自由だ、って。それってつまり、恋だってなんだってヒースのしたいようにできるってことでしょ?」
「……っ」
 あの人は、ティアにまでそんなことをいっているのか。
 そういえば、ヒースの進路を縛ることはしないと、そういいはじめたのはティアに追いかけられはじめて少し経ったころではなかったか? もしかしなくても、いろいろと仕組まれているのだろうか?
 ぶるり、背筋に走った妙な悪寒に、ヒースは身震いした。
「たしかに、いままでなにもいってくれたことはないけど……」
 ずいっと、テーブル越しに前のめりに覗き込まれて、たじろぐ。少しずつ、頭に血が上ってくるのがわかる。ふふっ、とティアが可憐に微笑む。
「私ね、ヒースの目が好き。とっても優しくて素直だもん。ヒースはみたことないから、知らないだろうけど」
「……っ」
「最初は、びっくりしたけど、いまはヒースにみつめられるの、好きだよ」
 ヴァルドを守るためにと、様々な武道を習ってきたのに、その鍛錬で培った精神すら、たやすく打ち崩していく数々の言葉。
 真っ直ぐにヒースをみつめるティアは、何もいわない。けれど、目は口ほどにものをいう、といわれているみたいで居た堪れない。
 ヒースは真っ赤になった顔をみられたくなくて、思わず横を向いてしまった。ころころと、ティアが笑う。
 奥歯をかみ締め、眉を寄せる。不機嫌そうにみえるはずのヒースの表情を、ティアはひどく嬉しそうに楽しそうに眺めている。
 悔しいけれど、そのとおりだ。
 ティアから逃げられないのも、避けられないもの、振り払えないのも、強くでられないのも、すべてはこの走る暴風雨な少女を、にくからず想っているからだ。
 入学式の日、少し離れた椅子に座っていたティアと目があったとき、心の片隅が色づいたことを、今でも鮮明に思い出せる。
 その日はじめて出会ったのに、どうしようもなく惹かれてしまった。それを、誰にもいったことはない。ヴァルドにさえ秘密にしてきた。
 一目惚れした自分。ティアに慕われて嬉しい自分。それを、ヴァルドに仕えるべき自分で、いままで抑えこんできた。ヴァルドを常に一番に考えることで、ティアが心を侵食していくのを防いでいた。そのつもりだった。
 だけれど、自分の瞳は無意識にティアを追っていたらしい。
 同級生に対しておかしくない程度のかかわり方で、ティアに接してきたつもりだったのに。ティアに対する『特別な感情』が滲みでていたとか、恥ずかしくて死にたい。
 自己分析からの自己嫌悪に陥り、何も言えずに呻くだけのヒースを前にして、ティアが蕩けるように目を細めた。
「いま、言葉にできないぶんは、かわりに私がいってあげる。だーいすき!」
「!」
 控えることのない大きな声での告白に、ヒースは目を白黒させて、あたりを見回した。誰かに聞かれでもしていたら、たまったものではない。とりあえず、他の客とは距離があるのが救いだった。
「恥ずかしくないのか……?!」
「ぜーんぜん」
 私はヒースと違って照れ屋じゃないもん、そういって、おいしそうにケーキを食べるティアのほうが、何枚もうわてだ。同級生のはずなのに、気持ちの余裕に差がありすぎる。
「ね、」
 なにか言えば、さらなる墓穴を掘りそうで、だんまりを決め込むことにしたヒースにもめげず、ティアは語りかけてくる。
「私、いいお嫁さんになるから。お掃除もお料理も好きだし、子供だって好きだし。ヒースのこと、ずっと好きでいられるし。おばあちゃん、おじいちゃんになってもだよ、ずっと好きよ」
 想像してみる。
 仕事で疲れた体で辿る家路。その先で、温かな光をともす我が家。扉をあければ、元気いっぱいの可愛い笑顔で迎えてくれる妻。そして、あどけない子供。愛し愛される時間を過ごし、ゆっくりと老いていく―――それは誰しもが一度は思い描くような、温かで幸福な未来だ。
「いや……だが、その……そういうのは、きちんと手順を踏むべきだと……せめて、付き合うという過程はいるだろう……?」
 しどろもどろに、ティアの言葉が一足飛びどころか、百も千もぶっ飛んでいる発言であると、なんとか指摘する。
「えー、高校卒業したら、年齢的には結婚できるのに。婚姻届、もう用意してあるよ」
「……未成年だと、親の同意が必要だぞ……?」
 ぷー、と頬をふくらませるティアの空恐ろしい行動力に、ヒースはただただあきれるばかりだ。
「そもそもティアの親だって、付き合ってもいない男といきなり結婚するといって、許してくれるわけがない」
「そっかなぁ……そうなのかなぁ……」
 世間一般ではそうだ、と、ヒースは唇を尖らせるティアを諭す。
 うーん、と口元に手を当てて考え込んだティアが、しばらくして、ぱっと顔を輝かせた。なにか思いついたのだろうが、ろくなことではない気がした。
「えっとじゃあ、あれだね、実績だね!」
「どういうことだ?」
 ティアの思考をヒースが読めるわけもない。ちゃんと説明してほしいといえば、ぐっと小さな手を握り締めたティアが、いう。
「大学生になって、恋愛して、卒業後に結婚! これだよ! 就職するなら大卒っていうのも大事かもだし。あ、もちろん学生結婚もありだよ? 同棲するのも素敵だね!」
 やっぱりろくなことじゃなかった。
「……」
 もはや声を発する気力もなく、頬をひきつらせるヒースの前で、ティアは意気揚々と鞄から筆記用具をとりだす。
「これなら、ヒースのいう手順を踏んでるよね? 楽しいキャンパスライフも過ごせるし、一石二鳥だよ!」
 やだ、なんで気づかなかったんだろー、とティアは照れ笑いしながら消しゴムを取り出している。そこは恥ずかしがるところじゃない。
「いやいやいやオレはまだ進学するとは……」
「ヒースはどういった分野に興味ある? 希望する学部がある大学、いっしょに探そう! せっかくだもん、めいっぱい勉強もしなきゃね! あ、プリント書き直すから返してー」
 ヒースの言葉をみなまでいわせず、プリントをひょいと手元にひきよせたティアは、手にした消しゴムを紙面に押し当て――ぴたり、と止まった。
 そこには、さんさんと輝く「ヒースのお嫁さん」というティアの第一希望。
 少しだけ困ったように、迷うように、ティアは目を伏せる。消すことを躊躇っていることを物語るように、細い指がかすかに震えた。
「どうした、書き直すんじゃなかったのか?」
「えーっと……」
 珍しく口ごもるティアをみて、ちょっと気分がよくなる。テーブルに肘をついて、顎を手に乗せて、その挙動を見守る。
 あうあう、と眉を下げながら涙目になっていくティアをしばらく眺めていたヒースは、とうとう堪えきれずに笑った。ははは、と声をあげながら額に手を当て、身を捩る。
 自分がこんな風に笑う日がこようとは。自分自身にヒースが驚いたのと同じくらいの驚きだったのか、ティアがぽかんと口をあけてヒースを見た。
 次の瞬間、ティアが眦を吊り上げた。
「も、もう! 笑うなんてひどいよ! 私、ほんとに……!「第二が進学でいいんじゃないか?」
 笑いの余韻に噛み殺しながら手を伸ばしたヒースは、あいた第二希望の欄を指先で叩いた。
「え」
 呆気にとられるティアがみられる機会なんてそうそうない。目を見開いたまま、こちらの顔と指先を交互にみやるティアに、ヒースは目を細めた。
「どうせ、こんなことを書いたところで先生はいつものことだと流すだろ。オレも……第一希望を進学にしておくとするかな」
 この進路希望調査は、そこまで本格的なものではない。大雑把に生徒たちの意向を確認するだけのものだ。それをもとに、いずれはもっと詳しく希望する大学や就職先の内容について記載する機会がある。そのときに改めて希望する大学を書いても遅くないはずだ。
 不本意ながらティアとヒースの関係性は、教師たちの間でも有名だ。きっとこれをみたティアの担任は、綺麗さっぱりみなかったことにして、第二希望に注目するだろう。
 自分の進路希望も、ひとまず進学にしておけば問題あるまいと、ヒースは考える。ティアとのことはさておいても、学べるときに学ぶことは大事なことだ。
 そんなことを念頭においての言葉だったが、ティアは違う方向にとらえたらしい。ふわ、と頬を染めて俯く。
「……いいの?」
「ん?」
 どうしてそんなに殊勝な態度になるのかわからず、首を傾げる。ティアは、もじもじと消しゴムを指先で弄りながら、長い睫をせわしなく羽ばたかせた。
「えっと、これ、ほんとに残しておいていいと、思ってくれてる……?」
 ああ、とヒースは感嘆とも嘆息ともとれる息を零した。紅色の丸い頬がいじらしくて、可愛い。
 いくらヒースであっても、さすがにわかる。
 ティアが抱くその第一志望にヒースの意見はまったく反映されていない。ヒースが口をはさむ余地もない。
 だけれど、ここでヒースに許容してもらえるのなら。それはティアにとって、このうえなく嬉しいことだろう。
 ここで肯定することは、遠回しな愛の告白のようなものだ。そうわかっていたけれど、ヒースの口から言葉は勝手に飛び出した。
「まあ……いいんじゃないか? ……――実際にそうなるのは、ずいぶんと先だろうがな」
 最後の方はやや声を控え気味、聞き取りづらいくらいの早口になったが、ティアにはちゃんときこえたようだ。
「~~~!」
 ぶわわっとティアの周りに花が咲き乱れる幻がみえた。
 恥ずかしくて、誤魔化すようにコーヒーカップを持ち上げた瞬間。がたん、とティアが椅子を倒すような勢いで立ち上がった。
 細い腕が、まるで飛び立つ鳥が羽をひろげるように左右へと、ゆっくり開かれる。
「ヒース! だいすきー!」
「うわっ、おい! まてティア! まて!!」
 ぐるり、テーブルを回り込んで突撃してくるティアに、ヒースは慌ててカップを降ろし身がまえる。
 制止の声もなんのその。
 弾丸のように、胸へと飛び込んできたティアの小さな身体をヒースはしっかり受け止め、苦笑した。
 いつか、ふたつの人生はひとつに寄り添い、遠く遥かに続く道になる。
 そんな気がした自分に、笑った。