恋する乙女は暴走中!

AVALONCODE4周年企画作品 梅花様よりのリクエスト

 重い。
 祖国にいるヴァイゼン帝国皇帝、すなわち己の父を前にしても、こんなに空気が肩に圧し掛かることはないだろうと、ヴァルドは考える。
 悟られぬように息をつき、テーブルの向かい側で肘をついて項垂れる男を眺める。
 恵まれた体躯を覆う、鍛え上げられた筋肉は鋼のごとし。今日は会議があったため、いつもの鎧姿ではなく軍服に身を包んでいるが、その厚い生地の上からでも百戦錬磨の猛者であることがわかる。
 幾百の戦場、幾千の困難をともにこえ、自分の左隣をなんの憂いもなく預けられるほど信頼している部下は、とても疲れているようだ。
 その意気消沈とした様子に、心が痛まぬわけがない。
 とはいえ。
「……すまない。もう一度、言ってくれるだろうか」
 将軍の地位を与え、それにふさわしい活躍で自身を支えてくれるヒースの言葉は、どのようなものであっても信じるに値するものと思ってきた。
 だがしかし、つい先ほど相談された事柄は、あまりにもヴァルドの想像の範疇をこえていた。
「……」
 いつも、歯切れのよい会話をするヒースが、押し黙る。
 ああ、やはり聞き間違いだったのだ、よかったよかったと、なかば現実逃避なことを考え出した矢先。
「……ティアが」
 ふ、と顔をあげたヒースが、一人の少女の名を口にする。
 びくっと肩を震わせたヴァルドには気づかぬまま、否、気づく余裕すらないのだろうヒースが、感情の発露が微塵もみえぬ青灰色の瞳を向けてくる。
「昨日、オレの下着を奪っていきました。これはいったいどういうことなんでしょうか」
 洗濯直後であったのが幸いでした……と、付け加えているがそういう問題ではない。
「……」
 さきほどと同じことを淡々と繰り返したヒースの目が怖い。なんか死んでる。陸に打ち揚げられた魚か。
 と、いうか。

 そんなこと、私が知るわけない!

 叫びだしたいのを皇子としての矜持で耐えたヴァルドは、ヒースがしていたように、テーブルに肘をついて頭を抱えた。
 とうとう麗しく表情を曇らせて考え込むヴァルドを無気力に眺めながら、ヒースがさらなる事実を突きつけてくる。
「そのほかにも……」
「まだあるのかい?!」
 思わず気品というものを異次元へと全力投球して叫んだヴァルドを、誰も責めはしないだろう。
 今、ヴァルドの執務室には二人きりであったため、それを周囲に言いふらすものがいないのは、不幸中の幸いであった。
「どうやら、西爆のハオチィを脅し……いえ、説得してなにかを作らせたらしく、妙な姿絵を持っているのです」
「姿絵……?」
 なんだか突っ込みを入れなければいけない点があったような気がしたが、それを問いただすとだすときりがなさそうなので、ヴァルドは流すことにした。
 こくり、とただ首を振る動作を繰り返す子供の玩具のようにヒースが頷き、一枚の紙を差し出してきた。
 おそるおそるそれを受け取り、ヴァルドは呻いた。
「こ、これは……!」
 ヴァルドの手のひらよりやや大きい厚めの紙に、驚くほどに緻密な絵が描かれている。
 まさに生き写し。
 しかし描かれているのが、着替え中のヒースの半裸姿とか終わってる。なんだこれは。
「ハオチィの技術力をのすべてを注がせ、ティアが作らせた機械が描くものです」
 世界が滅ばぬ運命であったなら、後世にて「写真」とよばれることになるだろうものを前にして、ヴァルドは頬を引き攣らせる。
「……すごい、技術力、だ」
 弱弱しく掠れた声で、なんとかそれだけをいって、ヴァルドはそっと絵姿をテーブルの上に置いた。
 それを引き取りもせず、ヒースが眉間に深い皺を刻む。
「ティアは、それを食事のときに何枚も、目の前に下げているのです。『これはおかずです!』と、それはそれは嬉しそうにしていて……もう、オレにはティアがなにをしたいのか……」
 く、とヒースが目頭を押さえる。
「……」

 だから、私にわかるわけない!

 深刻そうな顔をしているのに、相談内容がこんなくだらない――いやいや、当事者にしてみればこのうえない悩みに、かける言葉がみつからない。
 巻き込まれない位置から眺めているのなら、こんなに楽しいものもないのに。
 なんでうっかり巻き込まれてしまったんだろうと自分の迂闊さを悔やみながら、ヴァルドは気合と根性で、美しい笑みを浮かべた。さすが皇子と誰か褒め称えるべきである。今この場に、ヒース以外誰もいないが。
「ティアは、ヒースのことが大好きなんだろう。いつも一緒にいたいと、そう思っているんじゃないかな」
「そう、なのでしょうか」
「ああ。ここ最近は忙しくて、ティアにかまう時間も少なかっただろう? その反動で、こんな行動にでているのかもしれない」
「……」
 まだ納得しそうにないヒースに対し、ヴァルドはお得意の憂いに満ちた微笑を浮かべ、僅かに視線を下げた。相対すれば、こちらが悪くなくとも申し訳なさを覚えるような表情と仕草である。使いどころを選べば、かなりの威力を有する。
「ヒースは頼りになるから、様々な仕事を言い渡していた私にも責任の一端はある」
 がたん、とヒースが椅子を揺らして立ち上がる。
「そのようなことは!」
 案の定、顔色をかえたヒースが、ヴァルドの言葉を否定する。
 ひっかかった、と内心で会心の笑みを浮かべながら、ヴァルドは優雅に机の上で手を組み合わせて、ここが好機とばかりに、にっこりと笑ってみせる。
「だが、ヒースのおかげでひと段落ついたところだ。しばらくゆっくりして、ティアとよく話し合ってみるといい」
「……はい」
 ヒースが、重大な決意を固めるように、重々しく頷いた。
「本物の君がそばにいれば、その……下着だっていらないだろうし、こんな……あー、絵姿だって必要なくなる。すぐに飽きるだろう」
 なにが楽しくて、いい年をした男の下着やら、生き写しの絵姿を眺めながら食事をしているのか。
 ティアの行動を脳裏に思い描こうとして、ぞわりと背筋を震わせたヴァルドは、無謀なことはやめることにした。本能が、自分には理解できな異次元のできごとだと警告を鳴らしている。考えるだけで、気力体力ともに根こそぎ奪われてしまうだろう。
 とりあえず、この静かな混乱と狂気に満ちた状況から解放されたい。
 その一心で、ヴァルドはヒースの瞳をひたと見据え続けた。
「……わかりました。ティアと、よく話してみます」
「そうしたまえ」
 ようやく、わずかではあるが瞳に光を取り戻し、丁寧に一礼したヒースを送り出し――ぱたん、と扉が閉じたと同時に、ヴァルドはテーブルに突っ伏した。

 もういやだ、このばかっぷる――!

 ヴァルドでなくたって、誰もがそう思うだろう。
 薄く開いた窓から、乾いた風がぴゅうと吹き込んだ。

 

 

 ふう、とヒースは疲れ切った身体の重みを少しでも軽くするかのように、ため息をついた。
 いや、自分でもわかっているのだ。
 これは身体的なものではなく、精神的なものであり、そんなことをしてもなんの効果も得られないころくらい。でも、せずにはおられない。
 解決の糸口を求め、恥を忍んでヴァルドに相談してみたものの、ティアの行動の真意はヴァルドにも図りかねるものであったらしく、明確な答えを得ることはできなかった。
 よく話し合うように、といわれたが……。確かに、自分がヴァルドの立場であれば、同じことをいっただろう。
 なにしろ、ティアと自分は恋仲なのだ。恋人である以上、腹をわって話し合わねばならない。
 言いたい事も言えない関係になってしまえば、信頼はそこで止まってしまう。そこから、目減りすることはあっても、増えることはなくなる。その果てに、愛情だって失われてしまうだろう。
 よし、とヒースは気合をいれる。
 ひとまず、部屋にもどって堅苦しい服を脱いで、ティアの家へといこう。
 そこでじっくりと話をしよう。自分がティアのことをわかってやらねば、誰がわかってやれるというのか。
 預言書の主という重責を担う小さな少女なのだ。持てる技術のすべてを託した弟子なのだ。そしてなにより大切な愛しい少女なのだ。
 うむうむと自分の考えに頷きながら、己の執務室兼寝室として利用させていもらっている部屋の扉に手をかけた瞬間。
「おかえりなさーいっ」
「!!」
 足音なく、気配なく近づいてきていたティアに背中側から飛びつかれて、ヒースは息を飲んだ。
 なんで徒手流派を教えてしまったんだろうと若干悔やむくらい、ティアはヒースの実力を遥かにこえて、こちらを翻弄してくる。
 情けない悲鳴がでないよう、よく頑張ったと褒めてほしい。誰に、とはいわないが。
「えへへー。今日あたりに、お仕事ひと段落するっていってましたよね」
 だから、きちゃった! と可愛らしいティアの声が廊下に響く。
 姿を隠し、気配を消して待ち伏せされていたことに若干の恐怖を覚えつつ、ヒースは『平常心平常心』と念じながら、ひきつった笑いを浮かべた。
「あ、ああ、そうだ。よくおぼえていたな……、っ?!」
 ぴったりと背中に張り付いたティアが、うふふ、といいながらヒースの腹に回した手をあやしく動かす。
「お、おい、ティア……! やめ……!」
 くすぐったい。それ以上に、なんか背筋が粟立つ。女でもないのに、身の危険を感じるとはこれいかに。
「あいかわらず素敵な腹筋ですね!」
「人の話をきけー!」
 がっしりとその小さな手を掴み、ヒースはとうとう叫んだ。フランネル城の長い廊下に、情けない悲鳴じみた声が響いて消える。
 なにごとか、とあちこちから顔を覗かせる小間使いたちに気づき、ヒースは慌ててティアを連れて己の執務室へと滑り込んだ。
 扉を閉め、ティアに向かい合おうとする。
「いいか、ティア――って、おい!」
 ぴたーっと今度は正面から抱きついたティアの手が、ヒースの尻を撫でる。

 おいおい!

 痴女も真っ青なティアの暴走っぷりに、さすがのヒースも顔を青褪めさせる。
「前から思ってたんですけど、ヒースさんのお尻って引き締まってますよね……」
「――わかった、わかったから、とりあえず一度離れようか……!」
 なでなでさわさわとされながら、ティアの肩をそっとおさえる。自分でも気づいていなかったが、手が震えていた。
 武者震いならしたことがあるが、恐怖で手がいうことをきかないなんて、初めての経験である。ティアに出会ってから、ヒースにとって初めての経験が多く、それは人生において僥倖だと思っていたが、こんな初めての経験はいらない。
 ひくひくと口元を引きつらせつつも、ヒースは努めて平静に笑った。
「そんなもの触ってもおもしろくともなんともないだろう? な?」
「すごく楽しいですよ? ずっと触っていたいくらいです」
「……」
 なにいってるんですか? というような、きょとん、とした顔で自分を見上げてくるティアに、ヒースはもうどんな顔をすればいいのかわからない。笑顔が凍りついた。

 そのうち飽きるとか、ヴァルド皇子適当なことをー! 飽きる様子とか要素がまったくないじゃないですかー!

 完全なる八つ当たりを心の中で叫ぶ。
 もう限界である。
 力任せに引き離すと、「やぁん」と至極残念そうな声をだしたティアが、不満げに唇を尖らせる。
 その姿はとっても愛らしく、事情を知らない男なら、だれしもが頬を緩ませるものだろう。が、いまはそんな状況ではない。まったくない。
 とりあえず、話し合い、話し合い……ぶつぶつと呟きながら、ヒースはこめかみを揉み解す。
 と。
 ティアが、胸の前で手のひらをあわせて、首をかしげた。さらり、と紅茶色の髪が流れる。どうやら、引き離されたことに対する不満は消えたらしい。気持ちの切替がはやいのはよいことである。
「あの、私、ヒースさんにお願いがあるんです」
「……なんだ?」
 こっちの話は聞かないくせに、要求だけはちゃっかりしてくるティアのたくましさが、なんだか羨ましくなってきた。
 否、否。
 ヴァルドがいうとおり、確かにここ最近、まともにティアをかまってやれなかった。この年頃の少女なら、恋人に会えなければ寂しさを感じて当然である。
 多少のわがままくらい、聞き届けてやるべきだ。大人の男として!
 そんなヒースの決意を台無しにするように、ティアは天真爛漫に笑った。

「ヒースさんのシャツください!」

 空から落ちてきた亀の甲羅で頭を割られたという砂漠の王の伝説を、ヒースはなぜか思い出した。
 もしかしたら、これはそのくらいの衝撃なんじゃないだろうかと、遠い目をする。頭が、どうしようもなく重く鈍く、そして痛い。
「……きいていいのかよくわからんが……、なにをするんだ……?」
 というか、下着を持っていっただろうが! と、声を大にして叫びたい。いやいや、下着をティアがどうこうしているとか、考えたくない。知りたくない。
 あああ、と苦悩に悶えるヒースの内心など知らず、うふふえへへ、とティアが恥ずかしそうに身をくねらせる。
「私、ヒースさんの匂いが大好きなんです……!」
 きゃ、と頬を手で覆う様は、ほんとうに可愛い。可愛いけれど、いっていることが理解できない。輝く笑顔でいうことにも思えない。
 本格的に頭を抱えたヒースに、隙ありといわんばかりに飛びつき、またぴったりとくっついて、ティアが鼻先を腹あたりに押し当ててくる。くすぐったい。
 もう引き剥がす気力もない。それをいいことに、ティアが小さな鼻を鳴らす。
「あー……ヒースさんのにおいだぁ……」

 うっとりしながらいうことか!!

 柔らかい肌をしたティアのにおいならいい匂いだろうと断言できるが、自分は男である。いい歳をした男。へたすれば、嫌われても仕方がないような汗臭いときだってあるというのに、それがティアにとっては好ましいものらしい。
 いやもしかしてこれは喜ぶべきことなのだろうか……なんかもう、まともに思考回路が働かない。むしろ逆流している。
 ヒースは、ティアの頭をゆっくりと撫でる。
「……シャツだな?」
「はい! あ、洗う前のでお願いします!」
「……」
 もう好きにしてくれと、ヒースは疲れ果てた顔で頷いた。

 

 数十分後――

 

 うふふ、と幸せそうな楽しそうなティアの笑い声が、ヒースの執務室に転がっていく。
 ヒースは、ティアの家にいこうとしていた予定を変更し、あと少しだけ残っていた仕事の書類に目を通しているところだが、さきほどから気になって仕方がない。
 それがなければもうとっくに、書類はヒースの手から離れていただろう。
 紙面を睨み付けていた視線をふとあげれば、部屋の片隅にある来客用のソファに、寝転がってシャツに顔をうずめたティアがいる。それくらいならまだいいが、ときおり、くふくふと笑い声が漏れてくる。
「……」
 なんだろう。若干どころかとんでもなく恐怖を感じる。いままでに感じたことがない恐怖だ。得体が知れない。
 しかしティアは楽しそうである。それを邪魔するのは心が痛む。ああもう、自分はどうしたらいい。
 悶々と悩みながらも、再び書類の上の文字を追いかける。不得手とする事務仕事に、現実逃避をする日がこようとは、思いもしなかった。
 そうして、最後に記されたサインまできっちりと読み込んだあと、ヒースは海の底にも届かんばかりの溜息をついた。
 ひらり、書類を机上へと放り出す。
 疲れた。どっと疲れた。たいした仕事もしていないというのに、このありさま。これでは、ティアとまともに話もできやしない。
 ああ、なんだか酒が飲みたい。
 ヒースの脳裏に、ふとそんな考えがかすめた。普段なら真昼間から酒を飲みたいとはそうそう思わないが、酒精の力を借りなければティアと正面からぶつかれる自信がなかった。世の中勢いって大事。
 たしか、城の厨房に酒があったような気がする。古い歴史をもつカレイラ王国の城なのだ。悪酔いするような安い酒などはないだろうし、小間使いに頼んでカップ一杯分でいいから、なにか口にしたかった。
 そんな自分の魅惑的な考えに導かれるように、ふらり、と席を立つと、ティアが跳ね起きた。
「ヒースさん? どこいくんですか?」
 シャツに夢中になりつつも、本体であるヒースの動向にも意識を配っていたらしい。なかなか器用である。
「……ああいや、ちょっと、そこまでな」
 自棄酒用の酒を調達しにいくなんて、とてもじゃないがいえやしない。歯切れ悪くごまかして、ふいっと目線をそらしたのがまずかったのか。
「私もいきます!」
 勢い込んでそう叫んだティアが、わたわたと手を動かす。
「……」
 焦りながらも丁寧にシャツをたたむティアの様子を無言で眺めながら、ヒースは眉を動かしつつ、ゆっくりとティアが座り込むソファへと歩み寄る。
「……ティアは、オレよりシャツのほうがいいんじゃないのか?」
「!?」
 なんとなく子供じみた意趣返しのような問いかけをすれば、ティアが大きく頭を振って否定する。その大きな瞳には、なにを、と驚きの感情が宿っている。
「そんなことありません!」
 せっかくたたんだシャツが乱れるのを気にする余裕もなくなったのか、焦ったように困ったように、ティアは泣き出しそうに顔を歪めた。
 あまりのそのせつない表情に、うぐ、とヒースは思わずひるんだ。言い過ぎたかと、詫びの言葉を唇にのせようとしたとき。
「だって、ヒースさんお仕事で忙しいから……」
「ティア……」
 握り締めていたシャツを、ゆっくりと胸元に引き寄せて、ティアが俯く。その、男に恋焦がれるいじらしい仕草に、ヒースの心がさらなる申し訳なさに揺れた。
 確かに、忙しいからといって、ティアを独りにすることが多い自分に、ティアの行動を責める資格や権利はないだろう。
「お邪魔しちゃ、いけないってわかってるから……」
「……」
 愛しい男を懐深く抱く愛情深い女のように、その小さな肩をティアは震わせる。
「会いたくっても、どうしようもないときもあるから……」
「……」
 もはや、なにをいうべきかわからなくなるくらい、口の中がからからに乾いてしまったヒースは、ただティアの言葉を待つしかできない。自分は、こんなにも情けない男だったろうか。
「だから、」
 ぱっと、ティアが顔をあげる。泣いているのではないかとさえ思っていたその顔は、光り輝いていた。
 予想とあまりにも違う表情に対して、ヒースが「あれ?」と思う間もなく、ひどく幸せそうにティアが頬を薔薇色に染めた。

「だから、できるときにヒースさんを堪能しようと思って! ヒースさんの魅力を私のなかに溜めておくんです! だから、そばにいさせてください!」

「いや、意味がわからん!」
 ヒースは堪えることなく即叫んだ。間髪入れず叫んだ。当然だ。
 が、ティアのほうといえば、世間話でもするかのような気軽さで続ける。
「ほら、できるときに寝溜めするっていうじゃないですか。だからこれは、ヒースさん溜めです」
 よくあることですよ~、的に可愛らしくいわれたところで、納得できるかー!
 ああああ、とヒースは頭を抱え髪を掻き毟り、だらり、と力なく腕を下げる。
「……寝溜めは意味がないらしいぞ」
 突っ込むべきところはそこじゃない、自分、と思いながらもそれ以上のことをヒースはいえなかった。
「あ、そうなんですか? 今度レクスに教えてあげよっと」
 めげないティアがほんとうにすごい。
 いいこときいちゃった、と、のほほんとした様子で笑ったティアが、また丁寧にシャツをたたんで、ローテーブルの上へと恭しく置いた。
「――つまり君は、俺がいない間、寂しくないように自分の中に思い出をしまっておきたい、ということか?」
 なんとか、自分なりにティアの言葉を整理・解釈し、問いかけてみれば、「はい! そうです!」と元気いっぱい頷かれた。
「あとはヒースさんの持ち物があれば、私、たいていのことは我慢できます! だからこれもとっても大事にしますね!」
 そういって、シャツを愛しい子供を慈しむような丁寧さで、優しくなでる。
 頬を赤くし、幸せそうに眼を細めているその姿は可愛い。可愛いのだが……なんだろう、なにかがいろいろと間違っている気がする。
「……」
 ううむ、とついつい深く刻んでしまう眉間の皺へと、指先をあてようとして――――それが途中でとめられた。
 みれば、白く小さなティアの手がいつの間にかのびていて、ヒースの手首を掴んでいた。
 なにを、と問いかけようとティアをみて、ヒースは息を詰めた。だって、ティアが爛々と目を輝かせている。なにこれこわい。
 ティアはそんなことしていないけれど、舌なめずりをする獣を前にしている気分に陥って、ヒースは静かな恐慌状態に追い込まれていく。
 動かなくなった、いや、動けなくなったヒースの前で、ティアがうっそりと笑う。
「あとは――会えたときに、ヒースさんを好きにできればそれでいいんです」
「……?!?!!?」
 鈴を転がす愛らしい声なのに、まるで甘い毒を含んだような響きで紡ぐ内容は、物騒極まりない。
 まて、と制止する前に、ぐい、と腕をひかれる。ティアにはそんなに力がないはずなのに、あっという間に、ヒースはソファに押し倒されていた。
 あまりのことに目を白黒させているのを好機とみたか、よいしょ、と可愛らしい掛け声とともに腹へとティアが座り込む。

 おいおいおいおい!

 スカートをはいた年頃の女の子がなんてことをするのか、いくら恋人とはいえあまりにはしたない、といったことを伝えたいのに、ただ喉は引き攣るばかり。
 目の前のティアの気迫と雰囲気が、ヒースを金縛りにであったように射竦めているのだ。
「っ、」
 震えるヒースの唇を、ちょんと人差し指の腹で抑えて黙らせて。
 そのまま、ヒースの頬をうっとりと細い指先で撫でながら、ティアが歳に似合わぬ色気を滲ませて笑う。
 無邪気なのに。ぱっと見た目は無邪気なのに! その目は、まちがいなく獲物を狙う肉食獣のそれだった。
 あれ、オレはいつから哀れな羊になったんだ?
 むしろ捕食者側だったような気がするのに!
「私、ヒースさんからもらいたいもの、たくさんあるんです」
 つつつ、と首筋を撫でられて、ヒースはごくりと喉を鳴らした。上下する喉仏が楽しいのか、そこも擽られて、淡く肌が粟立つ。
「私からも、ヒースさんにもらってほしいもの、あるんです」
 ぷち、と服の前があけられて、悲鳴が口から飛び出しそうである。が、掠れたうめき声しかでてこない。
 貞操の危機。
 自分には死ぬまで関係ないと思っていた言葉が、ヒースの脳裏をかすめた瞬間、喉の栓が弾けた。
「おい、まて、ティア……!」
 だが、どうにも遅かったようだ。勢いよく、ティアが上半身を傾けた。
「ヒースさん、だーいすき」
 ちゅっとティアの小さな唇が、ヒースのそれを塞ぐ。
 とろけるような熱を孕んだキスを贈ったティアが、ゆっくりと離れていく。
「――だから、私のところからどこにもいっちゃだめ、ですよ」
 鼓膜を震わせ脳さえも直接揺さぶる、手練手管に長けた女のようにそういったティアが、再びヒースに覆いかぶさってくる。
「っ、ん、!?」
 そうして与えられたのは、経験の少ない少女が決してできないような濃厚で熱烈な口づけ。
 ヒースはそれを受けながら、なんかもういろいろなことを観念するしかなかった。だって、そんなキスを教えたのはヒースなのだし。自業自得という言葉が、脳裏を縦横無尽に走り回っている。
「こんなに好きにさせた責任、とってくださいね」
「っ、――?!!?!!」
 そう囁いたティアに勢いよく服を大きく左右に開かれたヒースの、まったく可愛らしくない野太い悲鳴が執務室に響き渡ったが、誰も、哀れなヒースを助けてはくれなかった。

 

 

 その後。
 お守りにしたいんです! と、ティアに下の毛を毟り取られたヒースが「それはなんか違うと、全力で訴えてもきいてくれませんでした……」と、憔悴しきった様子でヴァルドに相談していたとかいないとか。
 恋する乙女の暴走をとめられるものは誰もいない――乙女のように、「どうしてこうなった」とさめざめと泣くヒースを死んだ魚のような目で眺めながら、それでも別れようとしないあたり君たちはとてもお似合いなんだよ、と、ヴァルドはそんなことを思ったという。