道に敷き詰められた砂利を踏みしめ、レクスが夜の道を歩いていく。薄い雲に覆われた空に月はない。足元を照らし出す光源もないのに、レクスは平常と変わらぬ速度である場所を目指していた。
町の入り口までここを通ればすぐだ。
自分の親友だと認める少女のもとへ行くのに一番近いこの道は、幾度も通った道だ。だからこそ、どこに何があるのかもわかっている。
ある場所を通過した次の瞬間。
ひとつ、またひとつと明るく赤と橙に燃え立つ小さな炎が、次々と浮かび上がった。
いくつもの小さな火が闇に舞う様は、蛍のよう。ただ、それは小さな虫が僅かに発する光ではありえない。人の拳ほどの大きさで、しかも触れれば熱い本物の火。
近頃、占い横丁の怪奇現象と名高い人魂だ。
その正体は、もちろん決まっている。
「ったく、しつこいやつだな」
レンポはあたりの気温を上昇させながら、レクスの進行を妨げるようにして夜の闇に浮かび上がった。火球を引き連れたその姿は炎の精霊にふさわしい。
「はっ、出やがったな! 今日こそは、行かせてもらうぜ!」
漂う炎を睨みつけ、レクスは体勢を低くした。
「だーれが行かせるかってんだよ! いい加減諦めろよなっ」
ふてぶてしいレクスの言葉に、レンポはつりあがった目を険悪に細めた。
「わかってるんだぜ、お前、ティアの預言書の精霊だろ?」
「今頃気付いたのかよ、ばーか」
べっと、レンポが舌をだす。
馬鹿にされているというのに、レクスは怒り返すこともなくじりじりと横へと移動していく。
「毎度毎度よくも邪魔してくれるよな! なにがそんなに嫌なんだよ!」
「うっせー! てめーの胸に手を当ててよーっく考えてみろってんだ! とにかく、ティアのとこへは絶対いかせねぇ!」
ぎゃんぎゃんと年頃の少年たちのように二人は言い合う。
だが、実際はこれ、レクスが人魂に対して独り言をいっているという状況に他ならない。普通の人間に、精霊であるレンポはみることができないからだ。
もちろん、レクスだってレンポがみえているわけではない。レンポがレクスの言動にあわせているから会話がかみ合って見えるだけ。
レクスは預言書にはそれを守る精霊がいるということを知っているから、夜にティアの元へ行こうとすると必ずこうして妨害されることから察したにすぎない。
ぼんやりと家の二階からそんなレクスの一人芸を見下ろしながら、ナナイは安眠妨害者たちをどうするべきか悩んでいた。
そんな第三者の視線に気付くことはなく、枷がとれ真の力を解放した精霊にふさわしく、レンポの指先に燃えさかる炎が生まれる。
「怪我させるとティアが心配すっからな……。手加減すんのって難しいんだから、さっさと帰れ!」
微妙に火力を調整し、レンポは炎を操った。
「はっ、何度も同じ手を食うか!」
踊るように宙を駆け、迫り来る炎に対しレクスは不適に笑った。ぐっと手にできぬはずの闇を掴んで剥いだ。ばさり、と大きな音をたてて何かが取り払われる。
そして、夜に紛れて向かってきた嫌な気配に、レンポの背があわ立った。
「っ! なに!?」
冷たいしぶきを後ろに大きく飛び退いて避けたレンポは、目を見開いた。
そう、レクスはかつてヴァルド皇子に巣くっていたクレルヴォから預言書の精霊の弱点をきいていた。
だからこそ、精霊を抑えティアから預言書を奪えたのだ。そして、それが精霊たちに毛嫌いされている理由でもある。
なんにせよ、弱点は有効につかなければならない。だからこうして、レクスは用意した。
手には柄杓。
その後ろには水を満々とたたえた無数のバケツを従えて、それを覆い隠していた布を放り出したレクスは高らかに言い放つ。
「今日こそ、ティアに好きだっていうんだから、どきやがれ!」
この胸に秘めた恋心を伝えるのだ。
ひねくれていた自分に、いつも優しく微笑みかけてくれたティアに。
ひどいことをして決して許されるはずもない自分を、笑って許してくれたティアに。
必ず言うのだと、固い決意をこめてレクスは柄杓を握り締めた。
「ふざけんなー!!」
これくらいのことで退いては炎の大精霊の名折れ。
レンポは徹底抗戦の構えをみせるレクスに対し、今一度炎を繰り出した。
人魂に水をかけながら叫んでいる少年の姿に、ふとナナイの脳裏にある光景が蘇る。
ああ……、せっせと昼間にバケツに水汲んでいたとおもったらこういうことね。
なんだかどうでもよくなってきたナナイは、ベッドにもぐりこむと耳をふさいで眠ることにした。