「あ、きたきた!」
ローアンの街のおおよそ南東にあるグスタフの道場へ向かう道、そよそよと心地よい夜風に吹かれながら枝の上で足を遊ばせていたミエリは、闇の向こうからゆっくりと歩いてくる人の気配に、目を輝かせた。
「今日は来ないかと思ったんだよね~」
いい加減待ち続けて暇であったミエリは嬉しさ半分、人に姿を確認されないということに安心さ半分、何の躊躇もなくその人物の前に飛んでゆく。
白い花を飾った帽子を目深に被ったデュランは、腰の剣にいつでも手を伸ばせるように構えつつ、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。
ミエリによってティアの家への訪問をことごとく潰されているせいか、彼なりに警戒しているようだ。
「やっほー! こんばんは。とりあえず、ティアのところにいくのはあきらめてね……、って聞こえるわけないのよね」
くすくすっと微笑んで、ミエリは手をひらめかせた。
それに応えるように、ざわざわと木々が蠢く。
「っ!」
あからさまにびくつきはじめたデュランには申し訳ないが、このままいかせるつもりはミエリにはまったくない。
森の中ほどではないが、木々はミエリに願いに応えてくれる。人一人追い返すことは造作もない。窓に映る枯れ木でさえも、疑心暗鬼にかられた人間には魔物にみえるという。
ならば、この少年の結果は推して知るべし。その上、いかにティアに感化され、そのありように己の道を見出し、くじけぬ心を手に入れたデュランとはいえ、姿が見えないため剣を届かせられぬ精霊相手にはいろいろと分が悪いというものだ。
「ごめんねー」
軽い口調でそういって、すっとミエリは絵を描くように指先を動かした。
枝がしなやかにしなり、はじける。その反動に振り落とされた虫たちが、雨のようにデュランに降り注いだ。
「うわっ! っく……、でたなおばけめっ」
「おばけ?」
虫たちをなんとかさけ、踏み潰さないように注意しながら空に向かって叫ぶデュランに、ミエリはきょとんと目を瞬かせた。
「今日こそ、この勇者デュランの手よって成敗してみせるぞ! そして、僕は愛する彼女のもとへとゆく!」
「誰がおばけよ~、もう。それに私はこっちなんだけどな~」
ミエリがいる方向とはまったく違う場所に向かって宣言しているデュランに、そう呟いてみるものの、聞こえない以上はどうにもならない。
預言書と契約を結べるほどの大精霊をつかまえて、おばけとは。
だが、実のところ、占い横丁の人魂、中央公園の噴水、街の入り口付近での雷の話に加え、この道場前でも木のおばけがでるのだと街の噂になっているのだ。知らぬは精霊たちばかりなり。
「それに今日は秘密兵器があるんだ!」
「わぁ、なになに?」
自信満々に腰に下げていた小さな袋を手にして言い放つデュランに、興味をもったミエリは近づく。
ひょい、と彼の肩口から覗き込むと、手の上にさらさらと白い粉末のようなものを出している。
「可哀想だけれど、これもローアン市民の平穏ため、そして僕の恋のため」
「あれー? ……これって」
ティアが自宅で料理をするときに使っていたもののような気がして、ミエリは首をひねった。一体、この場でなんの役に立つというのだろう。
それは、まごうことなき塩だった。
「幽霊を浄化するには塩が効くと東の国ではいわれているって文献に載っていたんだ。ほんとうに申し訳ないけれど、君に何があったのか僕にわからないけれど……迷うことなく天国にいってくれることを心から願うよ」
もともと優しい性格のデュランのこと。怖いという心もあるけれど、本気でおばけに同情しているらしい。
「ほんと、優しい子だよね。もし、ティアもあなたと同じように、あなたを好きになっていてくれたら、恋してくれてたら……応援したんだけどな」
ミエリは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ふわりと上空に移動した。
たしかに、植物に塩は大敵だが、小さな袋いっぱいの塩で森の精霊がどうにかなるわけない。
しかも見当違いな方向へ、デュランはばさばさと塩を振りまいているのだ。いろいろと調べた上でのこの作戦なのだろうが……その涙ぐましいとさえ思えるような努力の空回りさ加減は、ちょっと切ない。
「うーん、ごめんね」
それでも、彼を通すわけにはいかないのだ。
ミエリは近くの木の幹に絡みついているツルを操り、ひょいとデュランの足を拘束した。
「う、うわぁぁぁぁ!??」
続いて、別のツルでデュランの手にあった塩をはたきおとす。
「くそっ! 効かなかったのか!? だが、こんなことで僕はくじけないぞっ!」
勢いのとまらない木のおばけに、デュランは歯を食いしばる。
「ティアにこの想い伝えるまで、僕は負けない! 僕は勇者なんだから!」
剣を抜き、足首に絡むツルを断ち切って高らかに己を鼓舞するデュランに、ミエリは目を瞬かせた。
思った以上に、今日はやる気であるらしい。少年の成長は日々著しい。
ならば。
「私も負けないわ!」
ひゅん、と新たなツルを呼び寄せて、ミエリはデュランに向き直った。