ありがとう

「ね、ウル」
「はい、なんですか。ティア」
 昼の喧騒も今は遠い、静かな夜。
 町外れにある小さくとも暖かな家の中、ランプの灯りの下でコードの整理をしていたティアは、ふと顔をあげて傍らに浮かぶ雷の精霊の名を呼んだ。
 深い信頼を経て、固い絆で結ばれた預言書の精霊は、かつてその目を覆っていた枷もなく、切れ長の瞳を瞬かせた。
「ウルは、精霊の皆の中で一番年上なの?」
「いえ、精霊には年齢という概念自体ありません。それに預言書の精霊はみな、預言書が世界によって作られた以前より存在しますからね。一番最初の世界が滅びるときに、私たちは契約を交わしましたので。それ以前も以降も、数えるのも無意味なくらいの時間を、お互いに過ごしていますよ」
 ふんふんとウルの言葉をきいていたティアは、ふう、と息をついた。
「そっか。そうなんだぁ……」
「それがどうかしたのですか?」
 ウルの問いかけには答えずに、ティアはさらに問いを重ねる。
「その、お誕生日とかはあるの?」
「誕生日ですか。私たち古き精霊は世界と時を同じくして存在がはじまりましたからね。そういったものは特にないといえるでしょう」
「んー。そっかあ……」
「ティア?」
 何を知りたいのかわからず、何をしたいのかもみえず、ウルが首をかしげている間も、ティアはうんうんと唸りながら何事か考えている。
 そうして、ほんの少し時間が過ぎて。ぱっと顔を輝かせたティアが、ぽんと胸の前で手を合わせて微笑んだ。
「じゃあ、皆と出会った日を記念日ってことにして、その日にお祝いしよう!」
「え?」
 ティアの突然の提案に、ウルは僅かに目を見開いた。
「もうすぐ、皆と出会ってから一年がたつでしょう? 本当は誕生日に、生まれてきてくれてありがとうってできたらよかったけど、無理みたいだから。だったら、私と出会ってくれてありがとうってことにすればいいと思うの!」
「いやそれをいうならば、ティアが私たちを見つけてくれてありがとう、では」
 軽く混乱しているせいか、割とどうでもいいかもしれない訂正をするウルに、ティアは大きな瞳をくるりとめぐらせてはにかんだ。
「えへへ……あのね、私ね。実はどんな理由でもいいの。皆にありがとうって、一緒にいてくれて嬉しいよって、きちんと伝えられる日が欲しいの。だめ、かなぁ」
 口ごもりつつも、お祝いの日を必要とする理由を語るティアに対して、ウルの中に暖かな感情が湧き上がる。
 大切に、思っていてくれているのだ。預言書の精霊で、人でない自分たちをとてもとても大切にしてくれている。しようとしてくれている。
 やはりティアは、世界が選び、預言書を託されるだけのことはある。なんて清らかな心だろう。自分以外のものに、人でないものに、こんなにも優しい。
 誰に対しても誠実で、真摯に物事に取り組む姿は、とても尊いもので好ましい。これこそが、次の世界に残すべき価値のあるものだと、ウルは思う。
「ティア、私は……」

 そう思ってもらえる存在であるということが、とても嬉しいです。

 そう言いかけたウルの言葉をさえぎるように、預言書がばらりとそのページをはためかせた。
 勝手に預言書のページがめくられていき、見開いた箇所から緑色の小さな影が飛び出してくる。
「もう! ティアったらー!」
「わぁっ! ミエリ!」
 勢いよく自分に飛びついてきた森の精霊に驚いて、ティアがわずかにのけぞる。
「なんて可愛いこといってくれるのー!」
 すらりとした細い足をばたつかせ、頬をくっつけてくるミエリを、ティアが受け止める。
「ティアー! オレは嬉しいぜっ」
 一拍遅れてレンポとネアキもその姿を現す。つりあがった目を猫のように細め、感動しきりというようにティアの周りを飛び回るレンポに、ネアキが静かな面のまま手にした杖をふるった。
 ひゅうっと呼び寄せられた冷気が、レンポを叩く。
「……邪魔」
「うわっ! ネアキ! 冷たいだろうがっ」
 凍えるようなその寒さを追い払うように、慌てたレンポは軽やかに手を振り回した。逃げ回るその姿を目で追いながら、ネアキはティアの左肩にふわりと舞い降りた。ほのかに浮かぶ笑みは優しい。
「ティア……ありがとう」
「ふざけんなー! これとめろよっ」
「……うるさい。そっちが、熱すぎるだけ……。少しくらい冷えるといい……」
 キーキーと言い合いをはじめた炎と氷の精霊、いまだにティアに抱きついて頬を摺り寄せいている森の精霊。
 ミエリを抱きとめたまま、まぁまぁと残り二人を宥めるティアの傍らで、なんだか取り残されてしまったようなウルは、小さく笑った。
 いつから聴いていたのだろうか。こうして預言書から飛び出してくるくらいだ。相当嬉しかったに違いない。
 もちろん、自分だってそうだ。
 こんなにも暖かなものを与えてくれる人が、自分と一緒に世界を創造してくれる者でよかった。長い時間をすごし、ようやくめぐりあえた光が、ティアでよかった。
 きちんとそのことを伝えたい。
 ウルはそんなことを思いながら、滑らかに宙を移動し、ティアの近くへ寄る。
「ティア」
「ウルも、レンポとネアキとめて~」
 左にネアキ、右にミエリ、上にレンポをくっつけたまま、いつもは優しい弧を描いている眉をさげてティアは弱弱しく訴えてくる。
 肩と頭に陣取って、本格的ににらみ合い始めた少年と少女の姿をした精霊二人に、ウルは軽く肩をすくめる。
「二人とも、あまりティアを困らせるものではありませんよ」
 そう簡単にいって、ウルはティアの正面へと回り込む。
「……ウル?」
 いつもなら、あれこれくどくどと説教がはじまるというのに。
 意外にもあっさりとしたウルの態度に、皆が目を瞬かせる。
 しかし、ウルはそんなことに構っていられなかった。いま、自分の内を占める少女への感謝を伝えることでいっぱいだった。
「ティア。私はあなたに会えて、ほんとうによかった」
「ウル……」
「そんな風にいってもらえたことなど、これまで一度もありませんでした」
 うんうんと他の精霊たちも頷いている。ウルの言葉がまさしく真実であると、それでわかろうというものだ。
 ティアが照れたように笑う。
「私たちが出会えた日には、ティアが望むようにお祝いをしましょう」
 その笑みに応えるように、ウルはその青と赤の神秘的な瞳を優しく綻ばせる。
「こうして時間を供に出来ることへの感謝と、これからも供にあるという誓いのために」
 そう言うと、わっと皆が歓声をあげた。ティアが、とても嬉しそうに大きく頷く。
「うん!」
 口々に楽しみだの、何を用意しようかだの楽しげに未来を語りはじめた精霊たちを横目に、ウルはさらにティアに近寄って。
「約束ですよ」
「……!」
 そう優しく囁いて、淡く色づいたティアの唇へ、恭しく口付けた。
 優しい少女の願いが、確かに叶えられることを教えるように。
 ウルがふわりと離れると、目を見開いたままのティアの頬が段々と赤くなっていく。
 それが最高潮に達したとき、ウルの行動が原因で舞い降りた静寂は打ち破られた。
 はっとわれに返った精霊たちが、口々に叫ぶ。
「ず、ずるいーっ! わたしだって!」
「ウル、何してんだおまえーっ!」
「ゆるさ、ない……!」
 精霊たち三者三様の怒りを、雷の精霊にふさわしい速度をもって軽やかに交わしながらウルはティアに語りかける。
「その日が楽しみです。ありがとう、ティア」
「~~~!」
 真っ赤な顔を手で覆い、俯いてしまったその姿を心底可愛らしいと思いつつ、ウルは笑った。

 その後、ウルだけずるいという精霊たちの訴えに根負けしたティアは、キスの嵐に見舞われたのだった。