狼の国 兎の国 ~おおかみさんとうさぎさん物語~……邂逅

 狼の耳と尻尾をもった狼ヒースと、兎の耳と尻尾をもった兎ティアのお話です。
 まったくもってゲームとは関係ありません。いままで以上に関係ありません。

 

 ヴァイゼン帝国の紋章が描かれた紙面を見下ろし、ヒースはひとつ息をついた。
 内容は、次の任務内容についての内々の打診だ。そういうこころづもりでいろ、ということだろう。
 ヒースは凛々しい眉を潜めた。
 こういうことはよくあることだ。だが、次の任務地があまりよくない噂をきく地であれば、そういう反応をしてしまうことだってある。それに今、ヒースの周囲に部下は一人もいないのだから仕方がないことだろう。
「――カレイラ王国、か」
 ぱさり、と乱暴ともとられかねないくらいの無造作さで、ヒースは机の上に紙を放り出した。
 その名は、ここ最近よく耳にする。砂漠地帯と帝国の間にあり、温暖な気候と広大な草原と森を有する水と緑の恵を受ける豊かな国。妖精の兎を祖先とする民の国。歴史と伝統をもつ、古い国。
 ついこの前まではそれなりに良好な関係であったらしいが、一年ほど前に国境で起きた小競り合いから、一気に関係が悪化したときく。
 そのとき、ヒースは西方の反乱を抑えにいっていたため、報告書を通してしか当時のことを知ってはいない。内容を、ぼんやりと思い出していく。
 確か、帝国側からの報告によれば、突然国境の見回りをしていた部隊が何者かにより襲撃を受けたことがきっかけであったはずだ。
 それによる死者はでなかったものの、負傷者が出た。襲撃を受けた現場には王国側のものと判断される矢などが残されており、王国側からの攻撃と判断。宣戦布告と皇帝が受け取り、あわや戦争に突入しそうになった。将軍であるヒースにも帰還命令が出たのだが、あまりにも不審な点が多いというヴァルド皇子の進言で、なんとかあやういところを回避できたという。
 しかし、王国側からはその前に帝国側が奇襲をかけてきたために、対抗したのだという話も漏れ聞こえてきており、何が真実なのかヒースには判断付きかねていた。帝国側としては、報告書の内容を信じるべきだが、主と仰ぐ皇子の言葉にもまた、耳を傾けたかった。
 そんないわくつきの最前線である砦に赴任するよう指示する辞令。これには一体、どんな意味があるのだろう。
 皇帝よりも皇子側に立つ自分に、なにかしろという皇子の配慮だろうか。そんなことはきいてはいないのだが……。
 あれこれと考えていると、遠くから近づいてくる気配を感じ、ヒースは柔らかな毛に覆われた三角の耳を動かした。
 かすかに聞こえていたものが、すぐに明瞭になる。金属が触れ合う音は、聴きなれた鎧の歌だ。
「失礼します」
 張りのある声がそう告げる。次に天幕が開き、兵士が一人、入ってくる。隙なく敬礼するその兵士にヒースは頷く。
「斥候が戻ったか」
 数時間前、今回の討伐対象である魔物の動向を探るべく送り出した者たちが戻ってきても、いい頃合だった。
「は! すぐにこちらに参りますが、よろしかったでしょうか」
 予想通りの返答だ。
「ああ、頼む。中隊長の招集もしてくれ」
 隊長も交えて情報を共有し、討伐の作戦を練る必要があった。
「は、すぐに」
 一礼をし、回れ右をして天幕をあとにする兵士を見送り、ヒースは腰掛けていた椅子から立ち上がった。
 今回の魔物は、大型であるという。それが群れをなしているというのだから、慎重に慎重を重ね、そして一気に蹴散らさなければいけない。
 そのうち下りるだろう辞令のことは、もはや頭の片隅に追いやられた。
 神の狼、フェンリルから受け継ぐという血が、戦いの気配に呼応する。熱く、騒ぐ。
 ゆらり、戦いの緊張と興奮に、無意識にヒースの尾が揺れた。

 

 

 ――数ヵ月後。

 

 帝国東の辺境地帯で大量に発生した魔物の討伐を無事に終え、ヒースは辞令に従い帝国南部の砦に赴任した。
 まずいな、と砦に着いたとき、ヒースは思った。
 兵士が行きかう砦内には、先日まで駆け回っていた辺境とはまた違う緊張感に溢れていた。そんなものにヒースが気後れなどするはずもないが、いささか過ぎた感じは否めない。ほんの少しつついただけで、爆発しそうな、そんな気配だった。
 これでは、臨戦態勢をとった凶悪な蜂の巣のようではないか。ただ側を通り過ぎただけの無害なものでも、一度敵であると決め付ければ、群れを成して襲い掛かり、問答無用で殺してしまいかねない。
 そう思わせるような、張り詰めすぎた気迫に、砦全体が覆われている。しかしながら、自分たちは殺戮者ではない。蹂躙者でもない。誇り高きヴァイゼン帝国の軍である。規律正しく、常に冷静であらねばならない。

 ――王国側との無用な衝突は避けるように。

 出立前に謁見したときにかけられたヴァルド皇子の言葉を思い出し、ヒースは兵士たちを束ねる立場にある隊長たちを集め、まずはそう言い聞かせた。
 意味がわからない、不服である――そんな表情をした彼らに、ヒースは「浮き足立つ兵士では組織的な戦いなど到底できないこと」、「誇り高き神の狼が血を受け継ぐ自分たちが無様な戦いをすることは許さないこと」、「冷静かつ的確に動き勝利を得るために厳しく自己を律すること」、と強い口調で命じた。これに不服があるならば、いつでも自分が受けてたつという言葉も添えて。
 不満はくすぶっているだろうが、さすがに戦場からのたたき上げの将軍であるヒースに面と向かって剣を交えようとするものはいなかった。
 上下をはっきりさせるために手向かってくれたほうが、てっとりばやくて都合がよかったのだが、それは言えるわけもなかった。
 しかし、これでひとまず、皇子が自分を砦に向かわせた目的のひとつは達成したと、ヒースは考えている。
 おそらく、砦内部の戦の気配に沸き立つ兵士たちを力ずくででも抑える者が必要で、そこで白羽の矢が立ったのが、ヒースだったのだろう。あとはなんとか、爆発しないように、上手く統制をとっていかねばならない。
 皇子が、なにかをなされるその日まで。
 それがいつかは知らされていないが、かならず皇子はなにかをするに違いないと、ヒースは直感していた。平和を愛するあの皇子なら、きっと自分が知らぬところで尽力しているに違いない。自分はただ、その障害とならぬように、ここを掌握し、血気盛んな兵士たちを抑えればよい。
 それにしても、剣を振り回すことならいざしらず、そういう細かいことは苦手なんだがなあ、と。

 数日前の着任日のことを思い出しながら――ヒースは、ひょいと倒木を跨いだ。

 さきほどこっそりと抜け出してきた帝国砦は、山に囲まれている。
 うっそうと木々が茂る山肌。その合間を縫うように、砦へと続く道とは全く違う、くねくねとした獣道が続いている。
 現場主義であるヒースは、こうして直に足を運ぶ癖がある。砦に置いてある地図をみただけでは、植生や木々による見通しの悪さなどの詳細が、わからないからだ。
 以前に部下たちにみつかって、諌められたこともある。しかし、指揮をとる以上、できる限りのことは知っておきたいというのが本音だ。
 それで、戦略の幅が段違いに変わってくる。守るも攻めるも、現場の情報があるとないでは全く違う。砦をひとつ預かる身としては、あらゆることをしておきたかった。
 するすると、道ともいえぬ険しい道を、危なげなく辿っていく。
 やがて、急な斜面の上に出た。獣道は、ここで森の方面へと戻っていく。
「このあたり国境の目印があるはずだが……」
 森を抜けてきたヒースは、頭に叩き込んだ地図と照らし合わせながら、なんの躊躇もなく足を出した。
 国境の目印となるものは、帝国砦と王国砦の間に、いくつかある。それは、樹齢がわからぬほどの巨木であったり、清廉な小川であったり、切り立った崖であったり。このあたりには、そのひとつである大岩があるはずだった。
 ほぼ垂直に近い斜面を、木に手をかけ、岩を足場にして、ヒースは器用に降りていく。
 降りきった場所には、また茂み。それを迂回すると、ほんの少し、ひらけた場所にでた。
 見れば、そこにはヒースの背丈よりもなお大きな白い岩が鎮座していた。このあたりの地質的には産出されないはずなのにいつからかそこにある岩らしく、神が気まぐれに置いたのだという伝説があるらしい。そのせいか、大昔には宗教的な儀式もとりおこなわれていたというが――今は、その名残もみつけられそうにない。
「これか」
 国境を成す目印のひとつをみつけたヒースは、ふむと頷いた。
 特になんの感慨も浮かびはしないが、一目、確認をしておきたかった岩。
 ここより先が、カレイラ王国だ。
 手近にある大木に、ヒースは近寄る。飛び上がって太い枝を掴むと、逆上がりの要領で身体を持ち上げ、さらにその上へと身軽に昇っていく。
 ここからならワーグリス砦が、よくみえるはず。
 思ったとおり、木の上からは森を抜けた先に、黒々とした古びた砦がぽつんと見えた。
 堀と高く頑丈な防壁を有した、一般的な砦だ。中にはカレイラ王国の兵が詰めているはず。こういう砦を落とすには――などと、攻め落とすというわけでもないのに、ついつい作戦を練ってしまうのは職業病というものだろう。
 しばらく作戦を立てることに没頭していたヒースは、はっとした。いかんな、と思い視線を下げる。
「ん?」
 そんなヒースの視界の端を、何かが横切った。
 ぴょこぴょこと動いている鮮やかな赤は、森の中ではありえない色彩だ。あんなに目立つ姿では、野生生物は生きていけないだろう。すぐに天敵に狙われてしまう。つまり、森の生き物では、ない。
 ヒースは、悟られぬように木をするすると降りた。そうして、風下から音をたてることなく、その何かが居る場所へと近づく。
 そっと茂みに身を隠し、わずかに枝を下げて隙間を作る。
 そこにいたのは、小柄な少女だった。
 何かを探しているように、あっちにいったりこっちにいったり。無防備極まりない後姿をみせている。
 ちらり、と国境の目印である大岩をみつめ、またその小さな姿をみつめる。
 害があるようにはまったく感じないが、帝国領内で見つけてしまった以上、見逃すこともできない。なぜならば、後ろからみてもよくわかるくらい、彼女の耳は細く長く――いわゆる、カレイラ国民の特長的なそれを有しているのだから。
 ゆっくりと立ち上がる。茂みをかきわけて前にでる。
「おい。そこで何をしている」
 ヒースはなるべく威圧感を抑え、問いかけた。急に逃げ出されても取り押さえる自信はあるが、乱暴なことは極力さけたい。泣き叫ばれるのも、できればごめんこうむりたい。
 ぴくっと、長い耳が動く。くるり、と振り向いた少女の、大きな実り色をした瞳がヒースをとらえる。そこに、恐怖などはみえない。純粋な心根を、そのまま相手に伝えるような美しさ。
 小さな顔を縁取るのは、明るい色の髪。肩よりもやや上で、綺麗に切り揃えられている。ややあどけない、可愛らしい面差しに、まだ恐怖は浮かばない。現状が理解できないのだろうか。
 抱きしめれば容易に折ることのできるだろう、ほっそりとした華奢な容姿にもかかわらず、まったく戸惑うこともなく、真正面からヒースを見上げてくる。
 他国領内で、鎧を身に纏い腰に剣を携えた見知らぬ男に声をかけられているというのに、この落ち着きよう。年に似合わないな、とやや訝しく思ったとき。
「ええとー、探検? です」
 そよ、と長い耳を動かした少女は小さく首をかしげて答えた。可愛らしい、声だ。鈴を転がすような、という表現があるが、まさにこれがそうだと思うような。
 ヒースは一瞬、何をいわれたのかわからなかった。だがすぐに、自分の問いかけへの返答なのだと気付く。
 どこか呆けていた自分を叱咤して、一歩前にでる。
「そうか。だが、こちらは帝国の領内だ。オレは帝国の兵士だからな、すまんが君を拘束させてもらう」
 ぱち、と少女が目をひとつ瞬かせた。
「え? でも、このあたりは王国領じゃ……?」
「残念だが、あの大岩からこちらは帝国だ。知らないわけではあるまい?」
 ヒースの指差す先には、大きな岩がひとつ。いつの頃からあるのかわからぬそれは、人の手で容易く動かせるようなものではない。だからこそ、国を隔てる目印とされてきたもの。つまり、それを越えているということは、自分の意思で足を動かし、帝国内へ足を踏み入れたことに他ならないわけだ。
「あれ……?」
 少女が、今気付いたという風に、さらに首をかしげた。
 ふたりの間に、妙な沈黙が落ちる。
 もしかしたら、彼女曰くの「探検」とやらに夢中になって、こちら側に来てしまったことに気付いてなかったのだろうか。
「まあいい。とにかく、一度こちらへ来てもらおうか」
 ヒースには、この少女をどうにかしようという気は全くない。ただ、いくつか形式的な質問をして、すぐにでも王国へと返すつもりである。
 だが、少女にとってはそうではなったらしい。大体、彼女にヒースの心中がわかるわけもないのだ。
「むー……、ごめんなさい!」
 そう言ったと思ったら、ぱっと弾かれたように、少女が岩に向かって駆け出した。その速さは目を見張るものがあった。
 長くふわふわの耳。あどけない容姿の少女を、ヒースはあなどっていた。内心舌打ちをする。
 だが、帝国の一軍を預かるような身で、おいそれと遅れをとるわけがない。
 一拍遅れはしたものの、同じように素早く駆け出し、ヒースは赤い上着を翻して走る少女に手を伸ばす。
 捕えられる――しかし、そう思った手は、突如としてあらわれた盾に防がれた。
「っ!」
 おかしい。ついさきほど、少女はそんなもの持ってはいなかった。
 ヒースが、本能とこれまでの戦闘経験に従い、ジェネラルソードを抜き放ったところで、盾の向こう側から飛刀が顔面めがけてとんできた。
「なにっ?!」
 声をあげながらも一撃目を避け、次いで投げられたものを剣で冷静に弾き落とす。
 そして、さらなる攻撃がないことを確認して――ヒースは、ゆっくりと剣を鞘へとおさめた。
「追いかけてこないんですか?」
 やや遠い場所からの問いかけに、首を振る。目の前の光景に、手を上げるしかない。してやられた気分でいっぱいだ。
「ああ、そちらは帝国ではないからな」
 ほんの少し苦々しげに、ヒースはいう。
 わずかな攻防のうちに、少女は大岩の向こう側へと立っていた。もう、追えない。
 素早い動き、不可思議な現象。少女に、どういうことかと、いろいろと問いただしたいところではある。
 深追いすれば捕まえることはできるだろうが、わざわざ争いの種を着任早々の将軍が、自らまくことはあるまい。
 ただ、本当にやられた、とは思うのだが、何故だか嫌な気はしない。本当に、何故だかわからないが。
「ふふ」
 ヒースを出し抜いた少女が、髪を風に遊ばせながら、どこか楽しげに笑った。
「さようなら、狼さん」
 丁寧に挨拶をして背を向ける、一人の少女。訓練された兵士でもなければ、みるからに屈強な戦士でもないのに、とらえることができないとは……まったくもって情けない限りだ。
 周りに知られたらなんといわれることだろうか。まあ、わざわざ喋るつもりもないのだが。
 顎を撫で擦りながら、ヒースがそんなことを考えていると。
 そうだ、と小さな声とともに、その少女が振り返る。親しい友人に対するように、手を振ってくる。
「皆のこと、いじめないでくださいね!」
「……」
 にこにこと、笑いながら言われた言葉にヒースはひょいと肩をすくめてみせた。
 少女が、そんな様子を見て、またひとつ笑って背を向けた。
 今度こそ去っていく。ゆらゆらと踊るように揺れる赤い上着が、大きな瞳が、記憶に焼きつく。ヒースは、その後ろ姿を、ただみていた。
 木立の向こうに完全にまぎれて見えなくなった頃。ばりばりと頭を掻く。
 いやはや、なんともとんでもないものに出会ったものだ。悪戯好きの妖精に、幻を見せられたといわれたほうが、まだこの現実を説明できそうだ。
 不思議な力、愛くるしい笑顔、軽やかな声。
 帝国でも指折りの実力派だと称される自分を出し抜いた、変な兎。
 ヒースは自分の側にある大岩を見上げて、この邂逅に目を細めた。