一生のお願い

 せわしない足音が近づいてくる。隠すつもりなんてまったくない無遠慮な、よく知っているその気配。
 ドアをノックすることなく大きく開け放ち、小さな家に堂々と侵入を果たした人影が、家主に挨拶もせず叫ぶ。
「ノーラ、頼む! 一生のお願いだ!」
「……はあぁぁぁ……」
 もう何回目だろう。こうしてユカが駆け込んでくるのは。
 歳若いがすでに導刻術師として認められたノーラは、深く深くため息をついた。
 なんかもう、こんな光景見飽きてきた。何回繰り返せばいいんだろう。
 だいたいのところ、ユカがこういう風に家にくるときは、たいていどうでもいいことが多い。
 やれ、ジャーキーがなくなりそうだの、世話になってる酒場の主人の大事にしているケラリをダメにしただの。
 だが、そうそうケラリのような高いものを壊すことはなもうないだろう。じゅうぶんに懲りただろうし。たぶん。
 と、なるとジャーキーか。あるいは別のものか。ユカは、世話になっている人の頼みで、肉や骨なんかをとりにくることもある。そういえば、肉はまだしも、骨は何に使っているのだろう……。
 それはさておき。
 ノーラは脳内で、いま手元にあるストックの品名と数を確認する。
 これまでの経験からして、これだけあれば余裕でユカの頼みに対応できると判断したノーラは、きりのいいところで導刻術を止め、ユカに向き直った。
 玄関付近に、ユカが立ち尽くしている。
 いつもは口に咥えているジャーキーがない。
 ということは、イサルミィへ買いにいく余裕がないくらい、ジャーキーがないということだろう。
 やっぱりたいした用事じゃないのだ。そう判断したノーラは、小さく笑った。
「はいはい、今度はなに?」
 なんだか、子供のわがままに付き合う家事育児に慣れた母親にでもなった気分で、ノーラはユカに近づく。
 数歩分はなれたところから見上げたユカが、へらり、と笑う。
「結婚してくれ」
「うん、いいよー」
 じゃあ、ストックだそうっと……って、あれ?
 ジャーキーをしまっている棚へと向かおうとして、ぴたり、とノーラは動きを止めた。
「……え?」
 なんか、今とりにいこうとしている物の名称に、ひとつもかぶっていない言葉を言われたような気がする。
 確かめるようにそれを発せられた方向に視線を向けると、ユカが晴れやかに笑っていた。どきり、と一瞬でノーラの胸を高鳴らせるような、幸せそうな嬉しそうな、そんな顔。これはあれだ、深い遺跡の奥底で、とてもつもない宝物をみつけたときのよう――でも、それよりも魅力的だと、ノーラは頬を熱くしながら思う。
「よし、ありがとな!」
「きゃぁぁぁぁ?!」
 喜色満面、勢いよく手を伸ばしてきたユカが、現状を把握しきれていないノーラを攫う。
 脇の下に手を入れられて、大人が子供をあやすように、高く持ち上げられ、くるくると回られる。
 ノーラは突然のことに慌て、ぎゅっとユカの腕に縋るように手をかけた。だが、ユカは止まらない。
「やー! おーろーしーてー!」
「はっはー! やなこった!」
「バカ! ユカのバカー!」
 笑い声も高らかに、焦るノーラを見上げるユカは、決して降ろそうとしない。
「なんだなんだ?」
 ぎゃあぎゃあと騒いでいると、庭に続く扉をくぐり、ケケが現れた。
 そうして、二人の姿を視界にうつしたとたん、目を大きく見開いた。
「あー! いいなー! ノーラ、いいなー! おいらも、おいらも!」
「ちょ、ケケ違うわよ! 遊んでもらってるんじゃないの!」
「え、違うのかい?」
 駆け寄ってきて、羨ましそうに見上げてくるケケに、ノーラは力いっぱい否定する。年端もいかぬ子供でもあるまいし、こんなことしてもらっても嬉しいわけがない!
「そうそう、遊んでるんじゃなくて、喜んでるだぜ~」
「ユカぁぁぁ!」
「いでっ」
 ばしばしとユカの腕を遠慮なしに叩くと、さすがに降ろしてくれた。
「おー、いてー……」
 わざとらしくはたかれた箇所を撫でるユカを、ぎりぎりと睨みつける。どうしてやろうかと思った瞬間、くい、と服が引っ張られた。
「ノーラ」
「ケケ?」
 見下ろすと、ケケの輝く瞳がそこにあった。
 興味津々。いわれなくても察することができるくらいの、純粋さと無邪気さに、ノーラは気圧される。
「どんないいことがあったんだい?」
「え……っと、そ、それは~……」
 ユカに結婚申し込まれて、なんか勢いで頷いてしまった――事実だけをいうなら、これで済む。だが、ノーラはまだよく現状を把握仕切れていない。そもそも、なんでユカはいきなりこんなことを言い出したのだろう。なんといえばいいのか考えあぐね、口ごもる。
「おうよ、聞いて驚け! オレとノーラが結婚するんだぜ~」
「うわぁぁぁ?!!」
 が、ユカにとってはノーラのそんな状態なんて関係ないし、わからないのだろう。
 盛大にばらされて、ノーラは顔を真っ赤にして叫んだ。
 ユカの言葉に、ケケが笑う。人の幸せを全身で喜んでいる、その笑顔がまぶしい。
「へー! おめでとう! よかったね、ノーラ! ノーラ、ユカのこと大好きだもんね!」
「ひゃああああ?!」
 親友に気持ちを暴露されて、今度は、ノーラは顔を青くして叫んだ。
 いやいやいや、確かにユカのことは嫌いじゃないけどね?! だからって、ケケがばらしていいものかっていうと、そうじゃないでしょー!?
「おー、ありがとな!」
「じゃあユカ、ここに住むのかい? にぎやかになるなあ!」
「そうだなー……」
 いぇーい、などと手を打ち合わせ、これからのことを語り始めた二人を前に、ノーラの混乱はここに極まった。
「いや、ちょ……! ちょっと待ってよ……!」
 二人の間を裂くようにして、割ってはいる。あん? とユカが口元を歪めた。
「なんだよ。お前、いいっていったじゃねぇか」
 それは確かにそうだけれど。
「だ、だって……てっきり、ジャーキーが欲しいとか、そういうのの依頼だって思ったから……!」
 反射的に応えてしまっただけなのに。
 自分の勘違いが招いた結果に、ぎゅっとノーラはエプロンを握った。
「はあ? いまさら断るとかねーよな?」
「うっ、うう……」
 ユカに責められて、ノーラは一歩後退する。その距離を埋めるように、ユカが踏み出し、ノーラの肩を掴んだ。
「それにおまえだってオレのこと好きなんだろ?」
「う、うぬぬ~……!」
 顔を覗き込まれ、わかってんだよ、といわんばかりのユカに対し、ノーラは顔をくしゃりと歪めた。
「こんなの卑怯だよ! だまし討ちだよ!」
「人聞きの悪いこというなよ!」
「やだー! こんなの絶対やだー!」
 ノーラにだって、多少の夢くらいあったのだ。
 雰囲気のいいところで、真剣に向き合って、お互いの気持ちを確認して――そして、これからの生涯を共にしようと誓うという、夢が。
 この現実とその夢に、どこに共通点があるというのか。
「あー、わかったわかった。ったく、お子ちゃまはこれだから」
 やれやれとユカが肩をすくめる。その様子が癇に障る。
 そっちがこんなことにしたくせに! しっちゃかめっちゃかにしたくせに!
「そんなお子ちゃまに結婚してくれって言ったのは誰よ!」
「オレオレ。見る目あんだろ?」
 自信満々な様子で、ユカが自分の顔を指差して笑う。
 ぽかん、としたあと、ノーラは顔を真っ赤にした。
「~~~~もおぉぉ!」
 へらへらと笑うユカに悔しさをこめて飛び掛るが、冒険者として先輩にあたるユカを、いくら儀式の三年間で鍛えられたとはいえ、所詮導刻術師であるノーラがどうにかできるわけもない。
 飛んで火にいる夏の虫。
 ぎゅうと抱きしめられて、ノーラはじたばたともがいた。
「はいはい、どうどう」
 落ち着けという低い声とともに、背中をぽんと叩かれて、ノーラはひとまず暴れるのをやめた。
 だが、そうすると恥ずかしさがこみ上げてきて、ノーラはひくっと喉をふるわせた。
「まあな~……急な話といえばそうだしな。ちぃーっと考えてくれや。待っててやっから。とりあえずそれまでは、結婚を前提にしたお付き合いってことでどうだ?」
「……う、うん……。まあ、それなら……?」
 なんだか言いくるめられたような、騙されているような……。なんかすっきりしないものを抱えつつ、むうと眉間に皺を寄せる。
 ちゅ、とそこににユカの唇が触れる。そのぬくもりに驚いて、ノーラは瞳を見開いた。
 ユカの瞳に、そんな自分の顔が映っている。熱のこもった視線が注がれていることに気づいて、胸が苦しくなった。
「ただし~……、オレ、狙ったものは逃がさねーから、そのつもりで頼むぜ」
「わ、私、お宝じゃないよ」
「バーカ、オレにとっちゃこのうえないお宝だぜ? 世界のどこ探したってノーラ以上に価値あるものなんてみつかりっこねぇ」
「……バカ」
 なんでそんなことを、しれっといえるのだろう。こちらは、たまらなく恥ずかしいというのに。
 そっと、ユカの手がノーラの頬を包み込む。男の人らしい、長くて節の大きな、ちょっと堅い手。
 それがこれまでにないくらいの優しさで、ほんとうに壊れやすい宝物を扱うように触れてくるから――ノーラは酔ってしまった。
 いつの間にか溢れていた甘い空気と、目の前の男の、めずらしく真剣な様子に。
「ユカ……」
 自分でも驚くくらい、甘えるような声で、その名を呼べば。ユカが、幸せそうに笑った。
「……ノーラ」
 自分に負けず劣らずの、優しい声で名を紡がれて、ノーラはせつない息を零した。
 互いに顔を傾け、ゆっくりと近づいていく。
 が。
「「……」」
 ある一定の距離から進まず、二人は顔を見合わせたあと、眉を潜め目を眇め――ゆっくりと同じ方向に視線を向けた。
 わくわく、きらきら。そんな目でこっちみないで、ケケ。
「はいはーい、ちょーっとお前さんは退場な」
 ささ、とノーラから離れたユカが、ケケを抱えあげる。
「ええええ、なんでっ?! うわぁぁぁん、ノーラぁぁ!」
 ケケの必死の叫びに、ノーラは心の中で謝った。
 ごめん、ケケ。さすがに親友の前で、これ以上は無理です。
 ケケを中庭へ放し、手早く扉と窓を閉めたユカが、仕切りなおしというようにノーラを引き寄せる。ぎゅ、と抱きしめられて、苦しいけれど悪い気はしない。
 そっと肩に頬を乗せて、甘える猫のように擦り寄る。髪から背を撫でてくれる、手の心地よさに、うっとりと目を細める。
「なるべくはやく返事くれよな」
「待つっていったくせに」
 早速、催促してくるユカに、ノーラは笑った。ユカが、不満げな顔をするものだから、もっと笑ってしまう。
「限度ってもん、あんだろうが」
「ん~、どうしようっかな~」
「からかってんじゃねーっての。なぁ、ノーラ……好きだぜ」
「……うん」
 ユカが瞳を伏せながら、唇を寄せてくる。
 甘く囁かれたユカの気持ちに、どきどきと胸を高鳴らせながら、ノーラは瞳を閉じる。
 返事は明日しようかな? それとももっとずっと先にしようかな? ――どんな言葉で、いつ応えたら、ユカに一矢報いることができるのか。
 口付けを受けいれながら、ぼんやりと、そんなことを考えた。