Sss.


一人で舞い上がってバカみたいだ

3つの恋のお題ったー、ヒュパス「一人で舞い上がってバカみたいだ」、より。





 すぴーすぴーと、健康的な色をした唇から漏れる寝息。
 涎を垂らし、腹を出し、間の抜けた顔を晒して眠る、二十代半ばの妙齢の女性であるはずのパスカルを見下ろし、ヒューバートは床に膝をつきたくなった。
 とはいっても、あたりには本やら実験道具やら、わけのわからない部品、機械――――それに加えてなにかの食べかすや塊になっている埃などが散らばっているため、実際にそんなことできるわけない。したくない。
「半年ほど前に、全部綺麗にしたはずなのに……」
 頭が痛くなってきた。
 ヒューバートは、そのときのことを思い出し、額に手を当てた。
 あのときは、大変な苦労をフーリエと分かち合ったものだ。それをあっさりと無に帰すパスカルって一体。そういう可能性を考えないでもなかったが、まさかこれほどとは。
「まったく……仕方ないですね」
 あたりを見回す。確かどこかにソファがあったはずだ。
 記憶を探りつつ、ある一か所に向かう。思ったとおり、そこには、それらしきものがみえた。ヒューバートにはゴミにしかみえないものの山の下に。
「……はあ」
 ヒューバートは、深い眠りの中にいるパスカルに気遣いながら、ゆっくりとゴミを片付けはじめる。
 少しだけ、泣きたい気持ちを抱えながら、手を動かしていく。

 そもそも、自分はこんなことをするために、ここへきたわけではないのに――――


 ことのはじまりは、一ヶ月ほど前にさかのぼる。
 ヒューバートに、まとまった休暇をとるめどがたったのだ。これで久しぶりにパスカルとゆっくり会えると思い、喜びにはやる気持ちを抑えながら連絡をとった。
 三日ほどではありますが、自由にできる休暇をもらえることになりました、久しぶりにお会いしたいのですが、ご都合いかかですか――――堅苦しいかと思ったが、かといってそれ以上の言葉は浮かばなくて、震える指でハト型通信機に打ち込み送信すれば、すぐに応えがかえってきた。
 文字の羅列からもわかるくらい、パスカルは喜んでくれていた。歓迎するよ! と、いってくれたのがすごく、嬉しかった。
 その日から今日まで、ヒューバートは遠足前夜の子供のように、わくわくと心弾ませていた。そうして、朝一番にフェンデル行きの船に乗り込んだというのに。
 それなのに、それなのに!
 ザヴェートでの待ち合わせの場所である宿屋で三時間待っても――――パスカルは、こなかったのだ。
 がっくりと項垂れ、肩を震わせるヒューバートに、宿の人が、そっと温かい飲み物を出してくれたのが、ありがたいと同時に、すこぶる情けなかった。きっとふられたのだろうと、思ったに違いない。
 さすがにおかしいと思い、通信機を使ってみるも、応答はなし。
 仕方なく、マリクやフーリエに連絡をとってみたら、ものすごく驚かれた。
 パスカルがこなかったこともあるが、ヒューバートが三時間も待っていたことが衝撃だったらしい。その部分は放っておいてほしい。
 そんなこんなで手に入れた情報を繋ぎ合わせると、パスカルはアンマルチアの里にいるらしいことがわかった。
 そして、亀車を利用して訪れた里で、ポアソンと長に挨拶をし、パスカルの部屋へときてみたら――――この有様だった。


「……よし、こんなものですね」
 なんとかソファを発掘し、ヒューバートは一息つく。
 後ろを振り返れば、相変わらずパスカルは夢の中。
 できるだけ静かにしてはいたものの、すぐそばでこれだけ動かれてまったく気付かないとは。大丈夫なのだろうか。ともに旅をしていた頃は、さすがにこんなことなかったような気がするのだが。
 そろそろと近づいて、ヒューバートは眠るパスカルを覗き込む。
 こんな至近距離でも、まったく起きる気配がしない。
「まったく、こんなところで寝ていたら、体をおかしくしますよ」
 小言を言いながら、そっとパスカルの体を抱き起こす。背を支え、両の膝裏に腕を通す。落ちたりしないようにしっかりと抱えると、なるべく揺らさぬよう気をつけて、パスカルを抱き上げる。
 足場はあまりよくないが、持ち前の運動神経でなんなくゴミという障害物を避け、ヒューバートはソファへとパスカルを運んだ。
 起きないだろうかと心配しつつ、そっとパスカルをソファへ横たえる。むにゃ、とパスカルが幸せそうに口元を動かす。
 いまパスカルは、どんな夢をみているのだろう。
 ヒューバートも、夢をみていた。
 眠りの世界ではなく、現実の世界の。パスカルと会い、話をして、その笑顔を自分に向けてくれる、そんな他愛のない夢。
「ぼくひとりだけが、舞い上がっていたんでしょうか――――
 会いたい、会えるとそれだけで幸せすぎて、浮き足立っていたのは。
 くしゃり、顔を歪める。

「バカみたいだ」

 搾り出すようにそう言えば、ほんとうに自分がそうなのだと思えてならなかった。
 ゴミの山の上で眠る、恋しい女。
 そんなに女に会えることに喜び。来ぬ女を待ち続け。そうしてようやくみつければ、その女は自分をみてくれない。
 たいていの男なら、ここで百年の恋も醒めるはずだ。だが、ヒューバートは、そうではなかった。どうしても嫌いになれない。ほうっておけない。
 自分の恋は百年どころか、千年でも万年でも、きっと醒めることはないのだろうと思いながら、そっとパスカルの頬にかかった髪をどけてやる。
「パスカルさんも、そうだったら、いいのに」
 自分に恋して恋して、どうしようもなくなればいい。
 だが、好奇心旺盛で、気になったら一直線、実験研究また実験。そんなパスカルが落ち着いて自分だけをみてくれるかというと、ものすごく難しいだろう。
 そんなパスカルを好きになった自分は、最初から負けているのだ。勝ち目などない。
「まあ、わかっていたことですけど」
 ふにぶに、と柔らかなパスカルの頬をつついて、ヒューバートはため息をついた。
 さて、なにかパスカルにかけるものを探そうと、気持ちを切り替え立ち上がる。この山のどこかに、きっと毛布の一枚くらいはあるはずだ。
 まだみぬ遺跡を発掘する探検家の気分を味わいながら、足を踏み出す。
 が。
 くん、と軍服の上着がひっぱられて、ついてこない。
 どこかにひっかけたかと思い振り返ると、パスカルの目が半分開いていた。その手はヒューバートを引き止めるように、軍服の裾を掴んでいる。
「パ、パパパパ、パスカル……さん……?」
 悪いことをしたわけでもないのに、ヒューバートはつい肩を跳ねさせる。
「ん……ヒュー、く……? むー……、あ、――――ヒューくん?!!」
 もごむにゃと、夢と現の狭間を漂っていたパスカルが、ぱっと覚醒した。
 大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。きらきらと輝いてみえる笑顔を向けられて、ヒューバートは息を飲む。
 と、同時にパスカルが飛んだ。
「ヒューくん!」
「うわ! っと……!」
 パスカルを抱きとめ、ヒューバートはしりもちをついた。
 強かにうちつけた下半身の痛みをこらえ、なにをするのかと抗議しようと顔をあげる。その顔に、べたべたと小さな手が無遠慮に触れた。
「うわー、ほんもの!? どったの? 迎えにいくっていってたのに、なんであたしの部屋にいるの?!」
「……は?」
 明るい笑顔で言われた言葉に、ヒューバートは頬を引きつらせた。
「何をいってるんですか、あなた」
「なにが?」
 きょとん、とした顔をみせるパスカルに、ヒューバートはぶるぶると怒りに震えた。
「あなたが! 約束の時間に! こなかったから! ぼくがここまで来たんですよ!」
「えええー?! ――――あ、ほんとだ」
 ヒューバートの大声に、一瞬だけ驚いたパスカルだったが、壁にかけてある時計をみて、あっさりと納得した。
「ごめんごめん〜、どうも寝過ごしちゃったみたいだね〜」
「そうでしょうね……」
 それ以外に何があるというのか。ほんとにもう、パスカルには振り回されっぱなしだ。
「ほら、降りてください」
「わー、ヒューくんってば、ちょっと逞しくなった?」
「人の話をきいてください!」
「うわわわっ」
 顔だけに飽き足らず、体まで触りだしたパスカルを、ヒューバートは顔を赤らめて引き剥がした。
「ほら、座ってください!」
 ソファへとパスカルを押し戻し、座らせる。その前に仁王立ちして、こほんと咳払いをひとつ。そして、ヒューバートは手を閃かせた。
「パスカルさん、なんですかこのゴミの山は!」
 周囲、ほぼ360度全体といってもいいくらいの、隙のないゴミを指し示す。
「せっかく綺麗にしたというのに、すぐに前と同じ状態にするとは――――いいえ、これは前よりひどい!」
 散らかすなとはいわないが、最低限の清潔さは保つべきである。
「それに、どうしてなにもかけずにお腹を出して寝ているんですか?! 風邪でもひいたらどうするんです?!」
 山の頂にあるアンマルチアの里だが、どういう方法をとっているのか、凍えることはない。しかしながら、腹を出して眠れば冷えないわけがない。
「あげくに、ぼくがきても全く気付かないとはどういうことですか! そんなことでは泥棒でもはいってきたら大変なことになります!」
 アンマルチアの技術は絶大だ。フォドラの時代と比べれば、その知識の大半は失われたともいわれるが、一般の人にしてみれば、金を作り出す魔法のようなものだろう。その知識を狙う輩が出てきても不思議ではない。
 思いつく限りの心配事を言葉にしていくが、パスカルはにこにこと笑ってる。きいているのかいないのか。
 ぐぐ、とヒューバートは歯をかみ締めた。
「きいてるんですか?!」
「うん、きいてるよー」
 へら、とパスカルがだらしなく笑う。ではなぜ、そんなに楽しそうなのだ。説教されている人間が、する顔ではない。
 ヒューバートの疑問は顔にでていたのか、パスカルがまた笑った。
「なんかね、ヒューくんだなぁって思ったら嬉しくて」
「は?」
 つまり、説教してくるのがヒューバートという認識を、パスカルはもっているということだろうか。それはちょっと嫌だ。
「ヒューくんきたら、きっとまた怒られるんだろうな、とか思ってたからさ〜。いやぁ、予想通りだよ!」
「予想していたのなら、少しは掃除とかしてください……」
 かく、とヒューバートは肩を落とした。わかっているのなら、なぜ対応しない?
「えー、だって、昨日までに仕事おわらせとかないと、ヒューくんと遊べないじゃん。そうなると、掃除は二の次だよ」
「え」
 パスカルの言葉に、ヒューバートは顔を勢いよくあげる。
「ほんとごめんね。昨日の夜には終ってるはずだったんだけど、ちょっとややこしいところがあってさ」
「もしかして、徹夜……したんですか?」
「うーん、それに近いかも?」
 顎に指先をあてて、右斜め上に視線をやりながら、パスカルが言う。そういえば、目の下には薄らと隈がある。あれだけの眠りは、それ相応の疲れがもたらしたものと思えば、納得がいった。
「で、終ったときに約束の時間まで少しあったからさ、ちょっと寝ようと思ったら――――
「寝過ごした。ということですか」
 パスカルの言葉を奪うように結論を言えば、パスカルが大きく頷いた。
「うん!」
「……」
 はああ、とヒューバートはため息をついた。
 自由というか、奔放というか、型破りというか。どうしてこうわかりやすいようで、わかりにくいのか。
 言われなければ、きっと自分は誤解したままだったろう。そして、パスカルは誤解を与えているなどとは、思いもしないのだろう。
「ね、お話おわり?」
「終わりというか、もう、なにかいう気力がなくなったというか……」
 ヒューバートの言葉を受けて、ぴょん、と跳ねるようにパスカルがソファから立ち上がる。
「よーし、じゃあご飯食べにいこうよ。お腹すいたー!」
 お腹ペコペコと、平たい腹を撫でさするその子供じみた様子に、ヒューバートは小さく笑う。よく眠り、よく食べて、よく学ぶ。パスカルは、ずっとこうして生きていくのだろう。
――――そうですね、そうしましょうか」
 ヒューバートは肩から力を抜き、頷く。二人そろって、パスカルの部屋をあとにする。
 建物の外は、すでに薄紫と薄紅の夕暮れ色だった。連なる銀嶺の輪郭が、淡く燃え立つように輝いている。
 てくてくと、迷うことなく宿屋方面へと歩き出すパスカルの横に、ヒューバートは並ぶ。
 ふと、髪を揺らしてパスカルがヒューバートを見上げる。
「えへへ、遊びに来てくれてありがとうね、ヒューくん。たくさん遊ぼうね」
「子供じゃないんですから」
「ええー、そのためにあたし頑張ったのに、ひどいよ〜!」
「そうしないとは言ってないでしょう?!」
 ぶーぶーと子供のように不満を述べるパスカルに、ヒューバートはひっくりかえった声で返答してしまった。
 お許しを得たパスカルが、数歩前にでてくるりとヒューバートに向き直り、笑う。進路をふさがれた格好になったヒューバートは、足をとめざるをえない。
「やった! じゃあみてほしいものがあるんだ! この前、ポアソンとちょっとしたもの作ったから、感想きかせてよ!」
「ええ、わかりました」
「いやったー!」
 頷くと、パスカルが両手をあげて喜んだ。遊ぶということが、自分の発明みてもらうこととは、パスカルらしい。
 そんな予定をたてていて、それに付き合うと承諾したら、こんなに喜んでくるということは、だ。
「パスカルさんは、ぼくに会うのを楽しみにしてくださっていたんですね?」
 思いきって尋ねた声は、微かに震えていた。恐れか、怯えか、喜びか。どれも違うようであり、どれも当てはまるような不思議な感情を抱え、ヒューバートは答えを待つ。
 ふ、と一瞬だけ時間がとまったように、パスカルは動きを止めた。
 そして、花開くように、ヒューバートが大好きな笑顔を向けてくれる。
 ああ、夢が叶った。鼓動が軽やかで甘い、恋の律動を刻みはじめる。
「それはもちろんだよ〜! はやく今日にならないかなぁって、毎日思ってたよ!」
「……そうですか」
 パスカルもまた、自分と同じように考えていたことに、顔がにやける。ふふ、と漏れそうになる声を、ヒューバートは口元をおさえて堪えた。
 いま笑ったら、パスカルへのやわらかな気持ちも、息苦しくなるくらいの愛しさも、零れてしまうような気がした。
 パスカルが、それをみて不思議そうな顔をする。小さく首を傾けると、夕方の風に赤と銀の髪がなびいた。
「ヒューくん、なんか嬉しそう」
「それはそうですよ。嬉しいのですからね」
 きっと自分が何をしたのか、パスカルは気づいていないのだろう。だが、パスカルはそれでいいと思う。
 自然体で、彼女らしくあること。
 ただそうあることが、ヒューバートに幸せをくれる。落ち込まされたりもするけれど、それも恋の一環ならば、やはり仕方がない。
「さ、いきましょう」
 なんとか取り繕い、薄い笑みを張り付かせた澄まし顔で、ヒューバートはパスカルを誘う。
「え〜、なになに、きかせてよ〜」
「言いません」
「えええ〜、けち! ちょっとくらいいいじゃん」
「駄目です」
 だってこれは大切な答えだ。
 自分が、決して一人で舞い上がってなどいなかったという、証。
 こうしたものが積み重なって、いつかパスカルの心の中に、自分の居場所ができますように。
 遠い山の峰の陰から、ゆっくりと姿を現した星に願いながら、ヒューバートはなんとか聞き出そうとしてくるパスカルに向かって、愛しげに目を細めた。