輝石を利用したカンテラの明かりが、闇を丸く照らし出す。
ラントの街はすでに眠りかけていて、遠くにある酒場ほうが、少しだけ騒がしいくらい。紺色を幾度も重ねたような空には、煌く幾つもの星と、羅針帯の淡い影がぼんやりと見えた。
吹く風は少しだけ冷たいけれど、凍えるほどではない。
パスカルは、頭の後ろで手を組んでぷらぷらと歩きながら、ヒューバートを見上げた。
「そういえば、そのお花どうしたの?」
「これですか? ソフィが育てているのを、昼の間にお願いして譲ってもらったんですよ」
てっきり、どこかで買ってきたのかと思ったのに。「へー」と、パスカルは声を漏らした。虫などがついたあともない。愛情を注がれて育てられたことがよくわかるその姿。
「そんなに綺麗に育てられるなんて、ソフィってばお花屋さんできるかも!」
自分の手で育てた花を店先に並べ、エプロンを身に着けて「いらっしゃいませ」と笑うソフィを想像しながら、パスカルは頬を緩めた。きっと、あの笑顔にすすめられたら、みんな花を買ってしまうに違いない。
われながらいい考えだと思っていると、ヒューバートが肩をすくめる。
「ラント領主の娘が、花屋ですか。兄さんが心配して毎日押しかけそうですね」
その様子が、ありありと想像できて、パスカルは噴出した。過保護で心配性のアスベルなら、ありえる。
「あははっ、そこはこっそり木の陰から見守ってる、くらいにしといたげなよ〜」
「どちらにしろ、領主の仕事が滞ってしまいそうです」
ゆらゆらと、クロソフィの花束を夜風に揺らしながら、軽い会話を交わしつつ、パスカルとヒューバートは肩をならべ進んでいく。
背も足も長いヒューバートは、パスカルよりずっと歩くのは速いだろうに、こうして一緒にいるときはこちらにあわせてくれる。自然と、そうしてくれている。
いつもこうなのだろうか。誰にでもこうなのだろうか。それとも自分だからだろうか。
とりとめのないことを考えていると、数歩先にでたヒューバートが、明かりを少しだけ下げた。
「パスカルさん、こちらです。段差がありますから、足元に気を付けて」
「ほーい」
いわれるまま、パスカルは階段を上る。というか、ついていくしかない。パスカルは、アストンの墓標がある場所を知らないのだ。
羽を軋ませて回る大きな風車の横に、さらに奥へと続く道がある。闇に包まれながら歩くうち、なんだか神妙な心持になってくる。
やがて、視界は変わっていく。空気も変わっていく。さらに静かに、そしてどこか厳かに。
その先、石畳の向こう、星降るような空を背景に、白いものが浮かび上がる。
「あそこ?」
「ええ」
「すごいねー……」
パスカルは、感心しながら息を吐き出し、小走りに近づく。
丁寧に磨かれた白い石は、荘厳ささえ感じる雰囲気をまとい、そこに鎮座している。
周囲には、瑞々しい花々が無数に手向けられている。
その数は、想いの数だ。アストンが、領民から慕われていたことの証。
途切れることなく捧げられる花々に包まれた墓標の光景は、悲しくて、尊くて、美しかった。
パスカルは、ふと考える。
どうして、夜にここを訪れようとヒューバートが思ったのか、疑問だったのだ。その答えを想像してみる。
きっと、昼の間、ここは人で溢れているのだろう。花の数からも、すぐにわかることだ。
そうして、次から次へと訪れる人がいたら、ヒューバートはきっと気恥ずかしいだろう――――そんなことを、想像してみる。
理屈としてはおかしくないような気がしたが、ちょっとした違和感もあった。
ヒューバートが、膝を折って、石畳の上にカンテラをおろした。そして、手にしていた花束を、墓標を取り囲む花の群れへと、丁寧におさめる。
パスカルは、なむ〜、と手を合わせた。
アンマルチアの誰かに習ったようなそんな気がする行為で、自分なりに弔いをする。
対するヒューバートは、何もしない。祈りに手を組み合わせるでもなく、膝を突いてその魂を慰めるでもなく。ただ、立ち尽くして、墓標をみつめている。
輝石が燃えて発する光の中、その横顔はどこか幻想的で、この世のものではないように思えた。
さきほどの考えは違ってたなあ、とパスカルは頭をかいた。
誰かにみられることを、厭ったのではなく、ヒューバートは静かに、ここで向かい合いたかったのだ。
もう会えない、父親と。
だから、夜を選んだ。
一歩、パスカルは下がった。邪魔をするのは、よくないような気がした。
そうして、ひいたところからみる背中は、いつものように頼もしいものだったけれど。どこか、寂しげでもあった。
パスカルもまた、ここに眠る人に語りかけてみる。ヒューバートと同じく、答えがないことはわかっていても、心の言葉を、届けてみる。
ひゅう、と遠くバロニアから吹く大輝石の息吹に、ただ身を任せ、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
ふ、と強張っていたヒューバートの肩から力が抜けたのがわかった。
「……すみません。付き合っていただいて」
心の中で一区切りついたか、その声はさっぱりとしたものだった。振り返った顔も、どこか晴れやかだ。
「ううん、あたしが来たかっただけだもん」
ぷるぷると頭を振って、あくまで自分の意思でここにきたのだということを伝える。
「ですが、身内のものでない墓を訪れても意味はないでしょう。あまり楽しい場所というわけでもありませんし」
まあ、確かに夜中に墓を訪ねるなんて、楽しいことではないかもしれない。でも。
「そんなことないよ」
パスカルは、満面の笑みでそれを否定した。
「あたし、ありがとうって言えたし。きてよかったよ」
「ありがとう?」
訝しげに、細い眉が寄せられる。不可解なことを、といわんばかりの瞳。
「確かに、あたしはヒューくんのお父さん知らないけどさ。でも、ヒューくんがいるのは、お父さんのおかげでしょ。あとケリーさん」
「それは、そうですが」
父がいて、母がいて、そうして子は生まれてくる。当たり前のことを確認されて、ますますヒューバートが不思議そうな顔をする。
「あたし、自分のお父さんもお母さんも、ちょこっとしか覚えてないけど、すごく感謝してる。どっちが欠けても、あたし、生まれてこなかった」
パスカルは、ヒューバートをひたと見据えた。
「そう思うとさ、やっぱりヒューくんのお父さんにも、めいっぱい感謝しないといけないでしょ」
カンテラの明かりを映し、ゆらゆらと水面のように揺れる蒼い瞳を、覗き込む。
「だって、だからあたし、ひとりじゃないんだもんね」
にひひ、とパスカルは笑ってみせる。
今ここに、ヒューバートがいること。出会い、友達になれたこと。
それは、ヒューバートをこの世におくりだしてくれた人がいたからこそだ。生まれてくることを願い、そして喜んでくれた人がいたからだ。
「そしたらさ、ありがとう、っていうしかないじゃん」
ね? と、同意を求める。
石膏のように固めてしまっていた表情を、ぼろりと崩したヒューバートが、うつむく。
「……そうですか」
「そうだよー」
ヒューバートが、なんだか今にも泣き出しそうな、笑い出しそうな顔をしている。瞳の縁が、きらりと光をはじくのは、長い睫に滴が宿っているからだろう。
「――――ぼくも、です」
ぎゅ、と拳を握りしめ、苦しい心をなんとか吐き出すように、ヒューバートが言う。
「ぼくも、パスカルさんとおなじように、ありがとうと、伝えにきたんです」
声が、嗚咽をこらえるためか、掠れている。
「恨んだこともありました。責めたこともありました。どうして、なぜ、と。こんなことをするくらいなら、どうしてぼくをラントの子として産んだのかと、答えのない問いを、心の中で何度も繰り返した」
両親は他界したが、大好きな姉とともに過ごすことのできたパスカルには、到底わからないだろう、ひとりぼっちの寂しい日々の記憶が、言葉の端々に滲む。
「でも今は、ただ、感謝しています。ぼくにこの道を、与えてくれたことを」
自分たちのように、アスベルとヒューバートが家督争いの末に血を流すことのないようにと、心を砕きながら考え抜いて下した、悲しくも正しかったアストンの判断を、ヒューバートはもう、責めることはないのだろう。
す、と上がる面。綺麗な細面。切れ長の瞳が、冷たいだけはないことを、パスカルは知っている。だって、ほら。
「そうでなければ、今は――――ないのですから」
そう言葉にした瞬間、やわらかに綻ぶ。パスカルだけを、映して。
「そうですよね? パスカルさん」
同意を求め返されて、パスカルは大きく頷いた。
「うん!」
ヒューバートがそう思ってくれたことが、パスカルは、なんだかとても嬉しかった。
だってそれは、自分と出会えたことを「よかった事」として、認めてくれていることだから。
そっと両手をヒューバートに向かって伸ばす。涙に濡れた頬をぬぐう。恥ずかしげに睫が下がるが、払いのけられることはなかった。
思っていた以上に、ヒューバートは静かに泣く性質のようだ。
もしかしたら、子供のときもそうだったのだろうか。両親と兄から引き離されて、一人、ストラタに養子だされた頃も、こうだったのだろうか。
なんだかたまらなくなったパスカルは、一歩前に出て、その首に腕を回した。寂しさと悲しみに、背を丸くして泣いていただろう幼いヒューバートごと抱きしめるかのように、引き寄せる。
抵抗はなく、いとも容易くヒューバートは、パスカルの肩に頭を預けてくれた。
そのことに調子に乗って、よしよし、と頭を撫でる。
「ヒューくんが泣くの、はじめてみた」
「子供じゃありませんから、そうそう泣いたりしませんよ……」
「うん。でも、大人が泣いちゃいけないっていうわけでもないと思うよー」
「……」
ぎゅ、と背に回された手が、自分のシャツを握りしめるのがわかる。
パスカルはゆっくりと、ヒューバートをあやすように、撫で続ける。
ふ、とヒューバートがため息をついた。それがかかった耳がくすぐったくて、パスカルは、つい首をすくめた。
「あの、」
急に、ヒューバートが顔をあげた。間近にある端正な顔が、なんだか緊張している。頬の色が変わっているのが、夜の中でもわかる。濡れた瞳は、真剣に、ひたとパスカルを見据えている。
「パスカルさん。お願いがあります。いつかまた、ここへ一緒に来ていただけませんか」
なにか、もっと難しいことを言われるのかと思ったら。
「いいよ〜」
それくらいのこと、お安い御用だ。
ゆっくりと、ヒューバートが離れていく。重ねていた場所のぬくもりが遠ざかって、少しだけ寒さを覚えた。胸の奥が、ぶるりと震える。
「そのときには、別のことを父さんに話したいと思っています。ですので、必ず隣にいてください」
「ふーん? よくわかんないけど、まかせて!」
感謝以上に伝えたいこと。きっとそれは、ヒューバートにとって、とても重要なことなのだろう。その場に、自分がいてもいいものなのだろうか。でも、請われているなら、応えたかった。
ふ、とヒューバートが笑う。
「母さんにも同じことをいわなければいけませんので、それもお願いします。忘れないでくださいね」
「ぶっふー、忘れたりしないよ〜」
くす、と幸せそうに、ヒューバートが笑った。
「では、ぼくは頑張ります。ぜったいに、諦めませんから」
ここから、何を頑張るのだろう。頭に疑問符を浮かべながらも、パスカルは応援することにした。まあ、ヒューバートのことだから、パスカルがそうしなくとも、努力のうえで成し遂げてしまうのだろうけど。
「うん、頑張ってね! ヒューくんなら大丈夫だよ」
「はい」
決意を宿した瞳の輝きは、いつもの凛々しく頼もしいヒューバートのものだった。さっきまで泣いていたとは、とても思えない。だが、これが、皆が知るヒューバート。
「では、そろそろ帰りましょう。あまり夜風にあたると、身体が冷えてしまいます」
「ほいほーい」
カンテラを手にして歩き出したヒューバートの、空いた左手が目に飛び込む。
「ヒューくん、ヒューくん」
「?」
振り返ったヒューバートに対し、「ん」と、手を伸ばしてみる。にまー、と笑ってみる。
一緒にいってもいいかと尋ねたときと同じく、ちょっとだけ目を見開いて、困ったように眉を下げ、ヒューバートが視線を泳がせる。真一文字に引き結ばれる、唇。
ヒューバートは思い悩むように眉間に皺を寄せている。結論が出るまで、黙ったまま、待つ。やがて、ひどくゆっくりと手が伸びてきた。
「く、暗いですから、その、転んだりすると、危ないですし、その……!」
誰に言い訳しているのか。くすくす、とパスカルは笑うしかなかった。
「うんうん。あぶないもんねー」
だから早く、とちょっと急かす。
ほんのちょっと指先が触れた瞬間、ぴくりと跳ねる長い指。なんだか可愛いな、と思ったら、次に手のひら全体が包み込まれた。震えながらも、こめられる力。
それらすべてに感じたものを、なんていう言葉にすればよいのか、パスカルはわからない。ただ、胸の奥から、熱のこもった吐息が漏れたことだけは、確かだった。
じっと、見下ろす。
手は、ごく自然に、当たり前のようにつながれて、そこにある。
そして優しく手をひかれ、来たときのように、二人で肩を並べて歩き出す。
「えへへ、シェリアたちみたい!」
パスカルは、邸宅でのあの光景を思い出して、ほんのりと火照った頬をもちあげた。
あのときは、特に何も思わなかったのに。
今は嬉しい。胸の中が、ぽかぽかする。
もしかしたら自分も、ソフィのように羨ましかったのかもしれない。
こうしたかったのかもしれない。
誰でもない、ヒューバートと。
上機嫌に、手を大きく動かす。ブランコのように、ゆらり、ゆらり。
「シェリアたち? どういうことですか?」
「実はさっきね、ヒューくんが階段を降りてくるまえに……――――」
話がみえていないヒューバートのために、先程の仲間たちの出来事を、パスカルは語りだす。
夜空をみあげ、アスベルとシェリア、リチャードとソフィのことを話しながら、パスカルは目を細める。
今の自分たちは、あんな風にみえているだろうか。仲がいいと、思ってもらえるだろうか。
そうだったら、うれしい。うれしい。
パスカルはそんな心を抱いて、ヒューバートに笑いかけた。
星降る夜に、手を繋ごう――――