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手紙

 ここのところ、ティアの様子がおかしい。
 どこかそわそわとして落ち着きがない。封印されているこの目ではその姿を確認できないが、態度や空気、そしてあちこちに身体をぶつけては呻いている様子にたびたび遭遇すれば、さすがにわかろうというもの。
 ティアは一体どうしたのかと、他の精霊に聞いたところ。
 夜毎真っ白な便箋を机に広げ、ペンをもって悩んでいるが、そこに何かが書かれることはない。そのせいではないか――――とのこと。
 ティアは、一体何がしたいのでしょうね、と仲間に問いかければ、三人は顔を見合わせた後、盛大なため息をついた。
 そんな態度をとられる理由がわからずに黙っていると、そんな気になるなら相談にのってあげればいいと、精霊たちに追い立てられて預言書から放り出された。
 そうして僅かに雷の霊元素をふりまいて、預言書から抜け出たウルは口元に手を当てて思案する。
 気配は他の精霊よりも敏感なほうだ。視界をつかわずとも、現在、ティアが机に向かっていることくらい、わかる。
 そして、うんうんと小さく零される悩みの声も、しっかりとこの耳は捕らえている。
 ティアはあまり人に頼ることをよしとしない、自立した女の子だ。
 だけれど本当に必要になったとき、ウルたち精霊の力を借りることを躊躇うこともない。
 だから、助けて欲しいとティアが願うまで、本来ならば様子をみてもいいはずだ。
 悩み、試行錯誤を繰り返し、そうして人は成長していくものだとウルは知っていた。
 だが、さすがに今回ばかりは手を差し伸べてもいいような気がする。
 こんなにも心をわずらわせることは、精神だけでなく身体にも悪影響を与えかねない。
 ウルはそっとティアに近づいた。
「ティア、どうしたのです?」
「きゃぁっ!? ウ、ウル!?」
 がさがさと、紙が重ねられる音がする。自分の目は見えないというのに、それすら忘れているらしいその慌てきった態度に、さすがのウルも面食らう。
「すみません、驚かせるつもりは……」
「あっ、ううん、ちょ、ちょっとびっくりしただけだから……!」
 そこで会話が途切れる。妙な沈黙にいたたまれなさが募っていく。
 そこまで悪いことをしてしまったでしょうか……。そんなことをウルが考え始めた頃。
「えっと……えっとね、その、お手紙を書こうと思って。でも、なんてかいたらいいのか、どう書いたらいいのかちょっとわからなくなっちゃって……」
 あはは、とティアが焦ったように笑う。
 なるほど、とウルは頷いた。
 小説を自分で書くくらいのティアが、筆が遅々として進まないということは、よほど大切なことを大切な相手に伝えたいのだろう。
 それでも懸命に書いて、「これじゃ、おかしいかな……?」と、紙を丸めて捨てては頭を抱えるティアの姿が、見えたような気がした。
 相手に対して礼を失することなく、丁寧に想いを文章にしようというその姿勢は、とても好感がもてた。さすが、私の見込んだティアだと心の中で賞賛する。
「そうですか。もし、私でよければお手伝いいたしますが?」
「え!」
 大きな声をあげたティアが、はく、と息を飲む。そして、小さな声でごにょごにょと、「わ、悪いし……その、これ、は……」と、呟く。
 よく聞き取れなかったけれど、何事にも控えめなティアのことを察したウルは微笑む。
「遠慮なさらずともよいのです。皆にも手伝ってこいといわれましたしね」
「え……レンポたちに?」
 そんな事実を知ったティアが、はっとした声をあげる。ウルは薄い唇に笑みを刻んだまま頷く。
「ええ。さ、教えてください。ティアが書こうとしていたものはどのような内容のものなのですか?」
 ウルの問いかけに一拍遅れ、ティアの「う〜ん……」と唸る声が響く。
 たっぷりと一分近く、ウルはじっとティアからの言葉を待った。
 そして。
「えっと、えっとね……」
 ようやくティアが口を開き、ウルは続きを促すようにわずかに首を傾げた。

「あの、書こうと思ってるのは、その……ラブレター、なの……」

 告げる声は繊細で可憐であるのに、その言葉の一部がウルの精神に重く直撃した。
――――はい?」
 思わず間の抜けた声を零したウルは、はっとした後、それを取り消すように小さく手を振った。動揺を悟られるわけには、いかなかった。
 ずきりと痛むこめかみを感じながら、努めて冷静に確認しようと試みる。
「ああ、いえ、すみません……ええと、そのラブレター、というのはあれですか。つまり、その――――恋文、というものですか」
「うん、そう……」
 もしかしたら、自分の知識にあるものとは違うかもしれないという一縷の望みは、目の前の恋しい少女の照れと吐息に塗れた肯定に打ち砕かれた。
 む、とウルは口をつぐんだ。手伝うといった事、内容を問いかけた事。そのすべてを、できれば今すぐにでもなにもなかったことにしたい。
 だが、世界と契約を結ぶ大精霊であっても、時間を巻き戻すことなどできやしない。
「……いや、それは、ティアが自分の言葉で自分の想いを綴らなければ意味がありませんね。差し出がましいことを言いました。許してください」
 では、自分は預言書に戻ります――そう、言ってティアに背を向けたかった。しかし、誰かに恋することを知ってしまったウルには、そうすることはできなかった。
 要は気になるのだ。ティアの想いが誰に向けられたものなのか。
「ううん」
 そんなウルの葛藤など知る由もなく、ティアがわずかに息を飲む。そして。
「ちゃんとした文章になっているか、不安だし……。よかったら手伝って、くれないかな?」
 少し震えるその声は、恥ずかしさと躊躇いの色を帯びて、ウルに届いた。
「……ティアが、それを望まれるなら」
 手伝うと申し出たのは自分だ。いまさら反故にすることもまた、ウルにはできなかった。
「あ、ありがとう!」
 ぱあっと光があたったように、ティアの声が明るく弾んだ。
「えっと……! じゃあ、とりあえず書いてみるね。どうしたらいいのか、わからなくなったら訊くから、そこにいてね」
「はい、わかりました」
 椅子をあわただしくなおして、ティアが机に向かう。
 かりかりと静寂に響くのは、文字のつづられる音。きっと可愛らしい文字で、一心にティアはペンを走らせているのだろう。そして、それらが伝えようとするのは、ティアの恋心。
 そう考えたとき、ウルの意識が激しく揺れる。さきほどよりも一層ひどいそれが、眩暈をもたらす。
 ティアには知られぬよう、椅子の背もたれを握り締める。このままでは倒れてしまいそうだ。
 そんなウルには気付かず、ティアはせっせと書き連ねていく。
 ときおり、ウルに文法的にこれであっているか。どこかおかしいところはないか。そんなことをたずねてくる。
 ウルは、ただ淡々とそれらについて指摘し、ときに大丈夫だと肯定する。
 聞かれていることもわかるし、それに対する答えも機械的に口からでるが、その内容までは意識が拒否するように理解を拒んでいるのが、わかった。相手の名前がでてこれば記憶に残ったかもしれないが、それは意図してティアが避けているのかもしれなかった。
 ふと、ティアがこちらを見上げるのがわかる。
 こんなことばかり敏感な自分を少し恨めしく思っていると、ティアが躊躇いつつ、尋ねてくる。
「ね、ウルは……ウルだったら、なんて書かれたら、嬉しい?」
「……」
 あまりにも残酷なことを、どうしてそんなに優しい声でいうのだろう。
 ウルは、奥歯を強く噛んだ。だがそれも仕方がない。だってティアは、この気持ちを知らない。精霊に想われているなどと、考えたことすらないだろう。そうでなければ、こんなこと訊いてくるはずがない。
「そう、ですね。私は……、私だったら……何の飾り気もない言葉がいいです。ただ、私を想う言葉を、かけていただけるならば……それで」
 血を吐くような想いとは、こういうことをいうのだろう。ひどく痛む胸を押さえることさえできないウルに、ティアが頷く。
「そ、そっかぁ。んと……じゃあ、」
 かりかりと、小さな部屋に流れるペン先に調べ。

――――あなたが、好きです――――これで、いいかな?」

 ウルに向かって、柔らかな声が響く。
「……大変、よろしいのではないでしょうか」
 きっと一言一句間違うことなく書き綴られただろうその言葉。ああ、これが自分のためだけのものであったなら、どれほどよかっただろう。
 ウルは、自分の目が見えないことを、ほんのすこしだけ感謝したくなった。たった一人の誰かに、自分ではない誰かに向けられたそんな文字を、みることができなくて、よかった。
 その後にいくつか文章を付け加え、ティアがペンを机の上に置いた。
「うん、これでよし……! ありがとう、ウル!」
 無邪気さを乗せ、ティアが声を転がして笑う。満足行く出来に仕上がったことを、素直に喜んでいる。
 それを預言書の精霊として、彼女を導くものとして、同じように喜ばなければいけないと思うのに。
 ちりちりと胸の奥が、火花を散らして焦げ付いていく。

 その手紙は、誰のため?――――その清らかな心は、誰のもの?

 ようやくみつけた閉ざされた闇の中にいる自分を導く灯火が、誰かのもとにいってしまうとほんの少し考えるだけで、世界が失われるよりもなお深い喪失感に襲われる。思わず、ウルは口元を押さえた。
 こんなにも、恐ろしい。
 手が届かなくなるなんて、耐えられない。
 幾度となく想いを告げようとして、だが躊躇った自分への、これは罰なのだろうか。あのときも、そのときも、と。思い出す機会のたびに、好きだと口にしていたならば、こんな想いをすることはなかったのだろうか。
 無意識にティアに向かって指を伸ばしたウルの手が、なにかに捕らえられる。ふいに触れたぬくもりに、息を呑む。
「はい、ウル」
 そして、そっと押しつけられるものが奏でる、乾いた音。
 手袋越しにもわかるそれを脳裏に描くよりはやく、ティアがはにかんだ声で言う。
「お返事、ずっと待ってるから……」
「……え?」
 驚きに色の抜け落ちたような声をあげ、見えぬ眼でティアを見下ろしていたウルは、震える指先でそれを受け取った。
 なぞるようにして、それが手紙であることを確かめる。
「添削は、終わったはずでは」
 なれば、もう自分がすることはないはずだ。いや、それよりも、ティアの言葉の意味が……。
 普段冷静な思考は、こういうときに役立ててこそ意味があろうというものだが、まったくもって働かない。
「うん、だ、だから……あとは、渡すだけでしょう?」
 だから、その……と、壊れた機械人形のように繰り返される言葉。
 魔力も十分にあるはずなのに、ウルの身体が渇いていく。
 小さく喉を鳴らしたウルは、見えぬものを見下ろし、見えぬものの形をもう一度辿る。
「私あて、だったのですか」
 確認の言葉は、ひどく頼りなく掠れていた。自分でも情けないと、思うほどだった。
「うん……そうだよ。気付かなかった?」
 それはティアにもわかったのだろう。くす、と緊張の和らいだ可愛らしい声が落ちる。それは、ころころと空気を転がし、ウルの長い耳の奥で反響する。
「ずっと、伝えたいって思ってたんだよ? でも、私意気地なしだから、なかなかできなくて。今日はウルが手伝ってくれるっていったから、頑張ってみようって思ったの。それに、みんなも応援してくれたみたいだから」
 預言書から追い出されるときの、三人の笑顔の意味をウルはようやく知る。
 そうか、あれは励ましだったのか。
 ティアに、ウル――――その秘めた想いを重ね合わせてこい、と。
 知られていたのか。この想いも、彼女の想いも。  どうやら、自分の事ばかりで周りが見えなくなって
いたらしい。そんなつもりは微塵もなかったウルだったが、この状況はそれを如実に物語っている。
「ですが、せっかくいただいたというのに――――私には、これを読むことができません」
 すみません、と心から思う言葉を伝えつつ、目元を覆う枷に指を添える。世界と契約を結んで以降、決して外れることのなかったものは、ただ静かに重々しくそこに存在し続けている。そのことを思い知った指先が落ちていく。
 しかし、春の風のような柔らかな声が、ウルの沈みかける意識を軽やかに攫う。
「うん。今は無理だけど」
 でもね、とティアが続ける。
「いつかこの枷が外れるときがくるって、私、信じてるから」
 それは絶対のことだと、あどけない声の内に凛としたものを秘めて言い切られる。
 世界との契約というものが、どんなものかよく知っているというのに、無意識のうちに小さく頷いてしまうほど、その言葉には確かな力があった。
「そうしたら、それを読んで? それから、お返事を……ください」
 ふわり、小さな両の手が冷えた指先を持ち上げる。自分のものだというのに、嫉妬してしまいそうだ。
「私は、ずっと、ずーっとウルのこと好きだから」
 だけれど、そのぬくもりも言葉も間違いなく自分だけに向けられたもの。
 どうしてか、ひどく頬が熱くて、ウルは顎を下げる。
 ティアが覗き込むように、爪先立ちをするのがわかる。ふ、と先ほどよりも近い位置で、綻ぶもの。ティアが、笑っている。
「ね、ウル。照れてる?」
「……」
 その問いを、否定できず。かといって肯定もできず。ウルは黙り込んだ。
「顔赤いよ? ふふ、ウルでも、照れることあるんだね」
「……ティアこそ、そうなのではありませんか?」
 それは、その顔を見る事ができないウルの、精一杯の返しだった。きっとティアは、今の自分と同じようになっているはずだから。
「私はいいの! 告白しているんだから、あたりまえだもん」
 しかし、先ほどのウルとは違い、どこか吹っ切れたらしいティアは、あっさりとその言葉に頷いた。
 ん、とウルは小さく声を漏らした。
 まいった。
 精霊に思春期というものがあるはずがなく、もちろん経験のないウルではあるが、きっとこれが人間のいう青春時代というものに、酷似しているのだろうということはわかった。
「そう……そう、ですね。では私も、告白されているのですから、当たり前ということにしておいてください」
 もはや、隠す事に意味は無い。照れを隠さず恥ずかしげに笑ってそう告げると、ティアが手を打ち鳴らして、やったと小さく呟いた。
 何故そう喜ぶのかわからず、ウルが戸惑っていると、ティアがやたらと楽しそうに笑った。
「ふふ、だって、ウルをそんな風にさせるの、この世界で私だけでしょう? だから、嬉しいなぁって!」
 まったく、とんでもない女の子である。
 ウルは、観念した。それ以外になにができるものか。
「ええ。この心をこんなにも満たして、乱すのは……あなただけです。ティア」
 そういって笑ったウルは、闇の中へと手を伸ばし、ティアを引き寄せ抱きしめた。
 ウルの闇をあまねく照らそうとする存在は、小さく儚いけれど、こんなにも強くてあたたかい。
 応えるように背へと回される細い腕の、無言のうちにある想いに幸福なため息が零れた。
「大丈夫です。きっと、この瞳はあなたを必ず映し出すことでしょう。そうしたら……」
「そうしたら?」
 ティアが、胸に頬を摺り寄せながら、ウルの台詞を繰り返す。
 その仕草に愛おしさを募らせながら、うっとりと微笑んだウルは静かに頭を振った。
「いえ――――今は、まだ内緒にしておきましょう。ですが必ず、返事をしますから。待っていて、くださいますね?」
「うん、もちろんだよ!」
 いつかの未来に告げられる言葉を知ったティアの声は、夜の空気に心地よく弾み。小さな家を駆け抜けた。


 やがて、二人を隔てていた枷は、信頼と互いを想う心によって消え失せて。
 すべてがはじまった陽だまりの丘の上、ウルからの返事を胸に押し抱いたティアが、輝くような笑顔をみせるだろう。
 そしてそれ以降、枷の外れた預言書のウルのページには、一通の手紙が、そっと挟み込まれることとなる。