小さな魔女の人形。かぼちゃの形をした置物。蝙蝠を模った飾り。ありえぬものに溢れた魔女の館に足を踏み入れたアンワールは、いつもと違う雰囲気に気付きながらも、自分を呼び出したナナイを探して、ゆっくりと歩き出した。
なかほどまで進んだところで、くん、と小さな鼻を蠢かせる。
甘い、いい匂いがする。
そして視線の先、いつもは水晶玉が乗せられているテーブルの上、様々なお菓子があることに気付く。大きなパイ、ふかふかのシフォンケーキ、きっとドライフルーツがたっぷり混ぜ込まれているだろうパウンドケーキ。様々な形に抜かれたクッキーもある。
ティアが作ったものだ――と、恋人の直感というべきもので判断したアンワールは、魅力的すぎる光景に足早に近づこうとして。
「わっ!」
横手から声をあげつつ飛び出してきた影に、背負った大剣の柄へと手を伸ばした。
が、一瞬にして柔らかくまろやかになる空気と、腕に触れてきたぬくもりに、手を下ろして微笑んだ。腕を伸ばして、抱きしめる。
「えへへ、アンワール! 驚いた?」
「ティア」
名を呼ぶと、アンワールに抱きついたまま、その影――ティアが、満面の笑みを浮かべた。にこにこと、とても楽しそうな姿に、見ているほうが優しい気持ちになれる。
「……? なんだ、これは?」
そんなティアの耳にぴょこんと生えたものを、アンワールは褐色の指先で摘んだ。ふかふかもふもふとした、小さな三角形。それがふたつ。
「あ、これはね、ハロウィンだから黒猫の格好してるんだよ」
そういいながら、アンワールから身体を離しティアが胸を張る。確かに、黒のシャツ、黒のスカート、黒の靴下、黒い靴。ご丁寧に尻尾までついている。首輪代わりのつもりなのか、結ばれたネクタイだけが鮮やかな赤で、ひときわ目を引く。なるほど、まさに黒猫だとアンワールは頷いた。
「はろうぃん?」
その姿をじっとみつめながら、聞きなれない単語をアンワールが繰り返すと、ティアが首をかしげた。
「えっとね、ローアンでは毎年この日に、仮装をしていろんなお家にお菓子をもらいにいく祭りがあるの。それがハロウィンだよ」
「それは素晴らしいな」
深くアンワールは頷いた。なんと心躍る祭りだろう。だから、今日はこんなにも菓子が用意してあるのかと納得したとき。
「ちょっとティア。それじゃあハロウィンの趣旨が、まったく伝わってないと思うわよ」
階段を下りる靴音を響かせながら、豊かな赤髪を背に流した館の主が、くすくすと笑いながら現れた。手には大量の細い布――包帯がある。
「いらっしゃい、アンワール」
艶やかに微笑みながら、そう挨拶をするナナイは、身体の線が強調されるようなぴったりとした黒服に身を包み、頭にはつばの広い尖がり帽子を被っている。「私は魔女よ!」といわんばかりの出で立ちだった。
「まあ、ハロウィンの由来については、おいおいでいいわよね」
高いヒールの靴を履いているにもかかわらず、まったく不安定なところなどみせずに近寄ってきたナナイが、にっこりと笑う。綺麗過ぎて、嫌な予感がした。つい半歩下がる。追いかけるように、ナナイが前に出る。
「さ、アンワール。とりあえずあなたも仮装しなさい」
「オレも、か?」
驚きに、わずかに目を見開く。そんな話、きいていない。
「ええ、せっかくティアがハロウィンパーティしようって誘ってくれたんだもの。それらしい格好をするのが当然でしょ? 大丈夫、私に任せなさい」
「仮装したら、街を一緒にまわろうね! ね、アンワール!」
「……」
左から包帯を手にしたナナイにじりじりとにじり寄られ、右に視線を移せば、輝く笑顔でいまからのことを楽しみにしているらしいティアがいる。
どうやら自分には選択する余地など初めからないらしい。
アンワールは小さく息をついた。
そして。
「わぁ、ナナイ上手だね! アンワール、ちゃんとミイラっぽいよ!」
「ふふふ、オオリのもとで修行していたときに教わったミイラ作りの技がこんなところで活かされるなんて……わからないものね」
ティアに手放しでほめられて悪い気はしないのか。上出来! と、何かを成し遂げたものだけが放つ輝きに包まれながら、ナナイがやたらといい笑顔でいう。
「……」
アンワールは無言のまま、右手を持ち上げた。間接の部分は曲げたり伸ばしたりできるように配慮されているようだが、やはりいささか不自由だった。しかも、顔部分までぐるぐる巻きで、喋ることもままならない。さらにいうならば、息苦しい。思わず、口元付近を緩める。
「あ、ちょっと、アンワールなにしてるの!」
「苦しいんだが」
その行動を見咎めたナナイが、会心の作品にけちをつけられた芸術家のように目を吊り上げるが、アンワールの訴えをきいて目を瞬かせた。
「あら、少しきつすぎたかしら? それらならそうとはやくいいなさい」
ティアを助手にして、こちらの意見など聞かず問答無用で包帯を巻きつけはじめたのはどこの誰だ。
「アンワール、大丈夫?」
ついついそんなことを思ったが、ティアに心配げな顔で覗き込まれ、そういわれればそんな感情は霧散した。
「ああ、大丈夫だ」
目元口元だけで微笑む。ティアが、ほっと息をついた。
「じゃあ、そろそろ出かけよう? もうみんな公園に集まってきている頃だと思うから」
そういいながらティアが見遣る窓の外は、もうすでにしっとりとした闇が蹲っていた。いつの間にか、日が落ちていたようだ。
「公園か」
「うん、そこで一度皆と合流して、お家まわろうね。あ、そうそう。ビスさんも、おいでっていってくれてたから、いってみようね」
興奮に頬を染めたティアにそういわれ、アンワールは小さく頷いた。そして、仮装の準備に邪魔だからと脱がせられた上着、金の装身具を身につける。しゃらりと、小さな音が響いた。大剣を背負ったところで、ナナイが言う。
「気をつけていってらっしゃい。あなたたちが帰ってくるまで、のんびりとパーティの準備しているわ」
ひょい、とずり下げていた包帯がひきあげられる。やはりそのままではだめらしい。
「はぁい、いってきまーす」
「いってくる」
元気一杯のティアの横、もごもごとアンワールも返事をする。そうして、アンワールとティアは当たり前のように手を繋ぎ、笑顔で小さく手を振るナナイに見送られて館を後にした。
占い横丁につま先を下ろすと、強い風にざわりと木々が揺れ動いた。濃いその影は、まるで大きな魔物のよう。見上げた濃紺の空に、月が浮かび、星が瞬いている。
「あ、そうだ」
街中央部へ向かう階段を上り始めたところで、ティアが何かを思い出したらしく、くるりと振り返った。
「あのね、アンワール。お家にいって誰かでてきたら『Trick or Treat!』っていってね」
「なんだ、それは?」
「悪戯かごちそうか――っていう意味なんだけど、つまりね、お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞっ! ていうことになるの」
それがこの祭りの礼儀、というべきものなのだろうとアンワールは推察する。
「そうしたらね、お家の人がいたずらされたくないから、お菓子くれるんだよ」
指導を終えて小さく微笑んだティアが、階段に一歩ふみ出そうとする。しかし、アンワールは足を止めたまま。自然、ティアは腕を引かれる形で、立ち止まることとなり。もう一度振り返った。大きな瞳に、不思議そうな光が浮かんでいる。
「アンワール?」
す、と誘われるように距離を詰めながら、アンワールは声を紡ぐ。相変わらず包帯越しだから聞こえづらいかもしれないが、この近さなら大丈夫。
「とりっく、おあ、とりーと?」
たどたどしく、ティアの言葉を真似てみる。きょとんとしたティアが、相好を崩した。
「うん、そう。それでいいんだよ、アンワール」
どうやら、練習をしているものと思っているらしい。違う。そうではない。
アンワールは僅かに首を傾けた。
「……ティア、お菓子は?」
「え、ええっとー……今日作ったのは、ナナイの家に置いてきちゃってるし、その……」
あれ? と、何かに気付いたのか、ティアが焦ったように口ごもる。逃げようとするのを許さぬように、アンワールはティアの手を自分のほうへと引いた。
ふむ、とアンワールはひとつ頷く。つまりこういう場合には。
「なるほど、こうして尋ねてお菓子がもらえない場合には、悪戯をすればいいのだな?」
「え、あの、そ、そこまで今、練習しなくてもっ……!」
ぎょっとするティアに、思う。言われたとおり実践しているというのに、どうしてそんな顔をするのだろう、と。まあ、可愛いから構わないのだが。
「練習、などというつもりはないのだが」
「はぅ……」
真剣さが伝わったのか、ティアが言葉に詰まった。そして、何をされるのかと、ぎゅうと目をつぶり、おびえるように首をすくめていく。
その様子が、ほんとうの子猫のようで。アンワールは小さく笑った。
さて、何をしたら悪戯になるだろう。何をしたら、ティアは驚いた顔をみせるだろう。
思考はわずか一瞬で終わった。
アンワールは、そっとティアの花びらのような唇に、包帯越しに口付ける。ぴく、とティアの肩が跳ねた。わずか一瞬のことなのに、ちゃんと互いの温もりが伝わる。残る。火が灯ったようだった。
「ア、アンワールっ」
思ったとおり、毛を逆立てるように叫び、ティアが慌てふためく。そこから先の抗議を封じるように、笑いかける。ここまで反応してくれるのなら、この悪戯で間違いはなかったようだ。
「はろうぃん、とは楽しいものなのだな、ティア」
幸せを滲ませてそう告げると、ティアが「うっ」と言葉に詰まった。それ以上なにもいえなくなったのか、「もぉ……」と小さく呟いて、ティアが繋いだ手に力を込めてくる。その指先の力が心地よい。愛おしい。
そして、恥ずかしさに染まった顔をみられたくないのかティアが勢いよく前を向く。ぐいぐいと、アンワールの手を引っ張って歩き出す。
その動きに抗うことなくつき従うアンワールは、その後姿をみつめながら目を細める。
ああきっと、包帯と心に宿ったこの温もりがあるのなら。
たとえ、砂漠の冷たい夜に彷徨う木乃伊になったとしても、心を苛む寂しさに星に向かって嘆き啼くことは、きっとないのだろう。
ふと、アンワールはそんなことを思った。