泣きてぇ。
日に焼けた肌を青ざめさせ、キリクはくらくらしてきた頭でそんなことを思いながら、震える指をそっと伸ばした。
それは目の前に差し出された青い羽に向かって、のろのろと進んでいく。自分がそうしているくせに、まるで実感がない。
ついさっき、一世一代の勇気をもって、結婚を申し込んだほどに好いた女からつき返されている、それ。
言葉に表せない想いを伝えるために、古くから使われてきた『青い羽根』。幸運を呼ぶというそれは、今は不幸のかたまりにしかみえない。
崖から飛び降りるくらいのつもりで、先日手に入れてきたものなのに。
プロポーズの結果はどうあれ、風に揺れるその青さは変わらない。目に沁みるような、鮮やかさ。
恥ずかしくてつい下をむいたわずかな一瞬のうちに、差し出されていたそれに、そっと触れる。
その先には、伸ばした手だけこちらに突き出し、キリクの顔を見ないようにするためか、顔を背けて半ば背を向けているサトの姿がある。
その瞬間、断られたのだと、強烈に理解した。どっと様々な感情が込み上げて、喉の奥が引き攣れた。
ふられた。
その言葉が、脳裏に大きく描き出された。
だってそうでなければ、羽根を返されることなどないだろう。
「……そっか」
言葉は、情けないくらいに震えていた。指も、驚くくらいに震えていた。
サトの手から、それを取り上げる。するりとなんの未練もなさそうに、キリクの手へおさまる。わずかな重みが、いまは鉛のように感じられた。
「なんか、ごめんな」
からからに掠れた声しかでない。 自分の勘違いさ加減に、頭を抱えてうずくまりたい気分だ。できれば一息で、彼女の知らない、たどりつけない遠い地にでも、いけたらいいのに。
実のところ、サトも自分のことを想っていてくると、キリクは心のどこかで思っていた。
そんな根拠のない自信は、今まさに木っ端微塵に打ち砕かれたわけだ。
恥ずかしい。
あー、もう、ほんと泣きてぇ。
できるなら、布団をかぶって盛大に泣いてやりたいところである。男としてのなけなしのプライドが許しはしないが。
戻ってきた羽根を、握りつぶしてやりたいとも考えるが、それは自分の想いの塊だから、そんなことしたくない。だって、ふられたって、自分はサトのことがこんなにも好きだから。
しかし、これ、どうしたもんか……。
次に使うということは、きっとない。サト以上に誰かを好きになる自分が、想像できない。こんなにも好きなのに、受け入れてもらえないのが辛い。
せつない気持ちを抱えながら、ほんの少しだけ羽を持ち上げて、くるりと軸を回してみる。羽根を形作る小さな毛が、それにあわせてそよいだ。
くん、とキリクは鼻を蠢かせた。
「……?」
花のように甘くて、でも、さわやかな香りがする。この羽根は、こんないい匂いがしただろうか。
そんなことを考えたとき。
「あり……がと……」
「え」
ぽそぽそと、サトがいう。小さな小さな声だったけれど、確かに「ありがとう」といった。
「……サト……?」
顔がみたくて、キリクはサトの肩を無遠慮につかむと、ぐいとこちらを向かせた。
そうしてこちらをようやくみたサトは、真っ赤な顔をして、目を潤ませていた。
「え、あ、え……?」
その赤さが、サトが身にまとう気恥ずかしさという空気が、ぶわりとキリクに伝染する。頬に勝手に熱が溜まっていくのをとめられない。
だって、そんな顔をしているサトが可愛いくて、仕方がない。恋する男には強烈過ぎる刺激だ。胸を叩く心臓のせいで、呼吸がうまくできないくらいだ。
それにしたって、どうしてそんな風になっている?
自分は、フラレたのではなかったのだろうか。
おろ、とキリクの視線が自然と彷徨ったとき。
「!」
青い色が、目に映った。キリクが手にしているものとは同じだけれど――違う、青。
「これ……ずっと、ずっと、大事にするね……」
そういって、ふにゃりと泣き出しそうに微笑んで、その胸に『青い羽根』を抱きしめるサト。
ゆっくりと、キリクは自分の手を見下ろす。そこにも青い羽根がある。つまり、今ここに、青い羽根は二枚あるのだ。二人がひとつずつ、持っている。
どういうことだ。
うまく頭が回らない。
「……なあ、サト。確認していいか」
「……?」
小さく首を傾げるサトに、自分の手の中にあるものを示した。
「これ、なんだ」
「青い羽根、だけど……」
素直な言葉に、キリクはあいている手で頭を掻いた。
「いや、そりゃわかっているんだが……」
「え……? キリクさん、この羽根の意味わかってるんじゃ……?」
今、目の前の男からプロポーズを受けたのに、何を言う。
おろおろと、本当は意味を知らなかったのだろうか、と可愛い勘違いをするサトに、肩の力が抜けた。
「いや、なんていうか……その。これ、サトがもってたのか?」
もう一度、くるりと指先で羽根を回転させる。やはり、ふわりと香る何か。ああ、これは何の匂いだったろう。なんとなく、わかりそうなのに。わかりそうな気がするのに。
「う、うん」
キリクの問いかけに、サトが頷く。
「なんで?」
「なんでって、その……わ、渡そうと思ってた、から……」
もじもじと居心地悪そうに身じろぎするサトに対し、キリクは身をかがめて視線をあわせた。
「誰に?」
「……誰って、」
サトが、さらに真っ赤になって言葉に詰まる。絡んでいた視線がそらされる。
それだけで、すべてわかった。
交換したのだ。自分が持っていた青い羽根と、サトが持っていた青い羽根を。
それはつまり、サトもまた、青い羽根を渡したいと思うくらいに、自分のことを想っていてくれたというわけで――。
その答えにようやくいきついたキリクは、かあ、とサトに負けず劣らず顔を赤くした。
どうやら、勘違いしていたらしい。
ほっと、体だけでなく心が緩む。
それにしたって、サトもやってくれるものだ。緊張させて、恐怖させて、そのあげくに……こんな、嬉しいものをくれるなんて。
ぐ、と湧き上がる感情のままに手を伸ばす。
「サト!」
「っ、!」
ぎゅう、と細い体をかき抱く。
「あ、キリ、クさん……!」
お構いなしに力をこめると、サトが身を硬くする。
「好きだ、サト。オレと結婚してくれ!」
もう一度、念押しのようにそう叫ぶ。こくこくと、サトが頷いてくれるのがわかった。
その顔をぐいと覗き込む。
「なあ、サトは? サトの言葉が、ちゃんと聞きたい」
勘違いしていたとはいえ、サトの青い羽根を自分は受け取った。ならば、そこに込められた想いを口にして欲しかった。
「わたし、も! キリクさんのこと、好き……!」
背伸びして、より自分の近くへと瞳をもってこようとするサトが、いじらしい。
「私、私を――キリクさんのお嫁さんにしてほしいって、ずっと思ってたの……!」
顔を子供のようにくしゃくしゃにして、そんなことを言われて断れるわけがない。
「いよっしゃー!」
「きゃ、きゃあああっ」
サトの腰をつかみ、赤子に高い高いをするように、ひょいと上へと持ち上げる。
いきなりの行動に、ぎょっとした顔をするサトを見上げ、キリクはこれまでに浮かべたことはないと思うくらいの満面の笑顔を、頬にのせた。
「ありがとな、サト! オレ、てっきりフラレたもんだとばっかり……!」
「え、えええっ?!」
驚きの声を上げたあと、ぶんぶんと頭を振り、サトが手を伸ばしてくる。
「そんなわけ……! ひゃあああっ」
絶対にないと、懸命に否定するサトの腰から手を離し。わずかな距離を落っこちてきたのを受け止める。抱き上げたまま、ぎゅうとその体を抱きしめた。
「てっきり、オレの羽根が突き返されたのかと思ったんだよ」
「……意外に、おっちょこちょいなんだ?」
わずかな沈黙の後、くすくす、とサトが笑うのがわかった。耳が、熱い。
「しかたねーだろ? すごく、緊張してたんだからな」
「そうなの?」
呑気な問いかけに、キリクは頷いた。頬を摺り寄せて、笑う。
「惚れた女に、家族になって欲しいっていうんだぜ? 当たり前だろ?」
「……」
無言のまま、サトがキリクの首に腕を回してくる。そこに込められる力に、愛しく想う気持ちが宿っているような気がした。
幸せだ。
そう思ったとき、ぽんと浮かぶ言葉があった。
「ほんと、ありがとな」
素直にそれを口にすると、ぐすっと鼻をすするような音が響いた。
「……私も、ありがとう」
それだけいったサトの声は、涙の気配にまみれていた。薄い肩が震えている。
愛しくて、愛しくて。
もっと近づきたい一心で、艶やかな髪をかきわけ、サトの首もとへと鼻先を埋める。すっと、目を閉じた。
ふわり、と鼻腔をくすぐるものがある。
それは突き返されたと思った青い羽から香るものと、同じものだ。
甘くて、優しくて、心癒されるような。
大好きなサトの、においだ。
それを胸いっぱいに吸い込むように、大きくキリクは深呼吸した。
さらさらと、泉の水が溢れ零れる音がする。
そよそよと、風に揺れる木と草の音がする。
とくとくと、恋しい女が紡ぐ命の音がする。
今、自分が身を置くこのすべてを、死ぬまで忘れない。いや、死んでも忘れたくない。
そう強く願いながら、キリクはサトを抱く腕の力をわずかに緩めた。あいかわらず、サトはしがみついたままだけれど。
キリクは苦笑した。
「なあ、サト。顔がみたい」
「やだ。い、いま……ひっく、顔、ぐちゃぐちゃ、だから……」
うう~、とさきほどよりさらに涙声になったサトがそういうから、キリクは大きな体を揺すって笑った。
「いいから」
「私がよくない~、うっ、な、なんでそんなこというの……ひっく、」
ぐずる赤子を宥めるようにその背を撫でる。
「キスがしたい」
「っ!」
びくり、とサトの体が震えた。
「な?」
だから顔をあげるようにと促すものの。予想に反して、サトの力が強くなった。そろそろ首が絞まりそうである。
「もっとよくないぃぃ~!」
やだやだ、こんな顔でなんて絶対無理無理と、必死に拒否するサトに対し、キリクは悲しげに息をついてみせた。
「そうか……サトは、オレとキスするのは嫌なのか」
我ながらわざとらしい。そう思ったものの。
「そ、そうはいってないよ! ただね……!」
しかし、慌てた様子でサトが顔をあげる。恐ろしいくらい簡単にひっかかった。嬉しいような、心配になるような、複雑な心境である。だけれど、これを逃す手はない。
「キリ、……っ、!?」
弁明しようとするサトの唇に向かって、当然のように自分のそれを寄せる。
してやられた、という色が紫の瞳に浮かび。次の瞬間には、まぶたがきつく閉じられる。
でも、もう遅い。
「好きだぜ」
そう囁いて触れた、初めての心地よさもまた――キリクは己の記憶の奥底に、深く刻んだ。
幸せをよぶ青い羽根がふたつ、風に揺れた。