勝てる気がしない

 それは突然のことだった。
 とある街の、今日の宿。一階にある食堂の一角で、食事を口に運んでいたヒューバートは、なんとなくパスカルに視線を向けた。
 と。
 ちょうど、テーブルに向かって顔面から激突していくパスカルが、みえた。
 止める間もなく、声を上げる暇もなく。

 ゴン!

 あたりに盛大な音を響かせ、パスカルはテーブルに顔を打ち付ける。
 食器がその衝撃の余波を受けてざわめくが、すぐにおさまっていく。
「「「「「「……」」」」」」
 同じテーブルについているアスベルたちと、無言でそれをみつめる。一瞬で注目の的となったパスカルは、ぴくりとも動かない。
 ついさっきまで楽しく交わされていた会話は、もちろん中断された。
「パスカルさん?!」
「パスカル?!」
 そうして、数秒の沈黙を経て、何が起こったのか理解した瞬間、ヒューバートとシェリアがほぼ同時に立ち上がる。
「どうしたの?!」
 一番近い場所にいたシェリアがパスカルの肩に手を置き、揺さぶる。
 向かい合うようにして座っていたせいで、ヒューバートがパスカルのもとへと駆けつけるには、ぐるりと回り込まなければいけない。その少しの距離がもどかしい。
 それでも慌ててパスカルの傍らへと駆けつけて、手を伸ばしたところで。
 シェリアが、ゆっくりと頭を振り、言う。

「……パスカルってば、ご飯たべながら寝ちゃってるわ……」

 その呆然とした呟きに、ヒューバートは動きをとめた。宙に置かれた手の行き場がない。
「……は? 寝て、いる……?」
 どうやったら食べながら寝れるのだろう。それとも、自分が知らないだけで世間一般では常識なのだろうかと、ありえないことまで考える始末。
 ヒューバートの混乱に心底同意するように、シェリアが疲れきった顔で頷く。
「ええ。ほんっと信じらんないけど……寝てるのよ」
 わずかに落ちた眼鏡をなおす考えすらおきぬまま、シェリアに肩を抱かれるようにして身体を起こしたパスカルを見下ろす。
 ミートソースを口の端につけたまま、パスカルが瞳を閉じている。
 いい夢でもみているのだろうか、ときおり、くふくふと笑い声が漏れてくる。額には、打ちつけた証の赤いあと。それ以外には、とくに変わった点はない。
「人騒がせな……」
 食事の最中に眠りに落ちるとは、まるで子供だ。二十台の女性がする行動ではない。
 がくり、とヒューバートは肩を落とした。
 心配して損したとはいわない。むしろ、なにか不都合がなくてよかった。でも予想外すぎて、疲れがどっと肩にのしかかってくる。。
 その背を慰めるように、上品な笑い声がテーブルの上で踊る。ちらりと見遣れば、リチャードが楽しそうに顔を綻ばせている。
「びっくりしたね。こうして食事中にいきなり眠る人なんて、はじめてみたよ」
「わたしもはじめてだよ」
「パスカルさんはいつもこうなわけではないと?」
「うん、違う」
「へえ、じゃあいいものをみたね」
「うん」
 おっとりとしたというか、微妙にずれた会話をしながら、リチャードが隣に座るソフィに小さく笑いかける。
 他愛ない会話なのに、それだけでやたらとほのぼのとした空間ができあがるのは、この二人ならではだろう。
「まあ、パスカルは今日の戦闘で頑張っていたしな。疲れたんだろう」
 顎を撫でながら、マリクが昼間の暴星魔物との激闘を思い出したのか、そんな意見を出す。
「そうですね、俺もそう思います」
 うんうんと、アスベルがマリクの言葉に頷く。さすがに驚いたけど、と小さく付け加えられたのがきこえた。
 ヒューバートだって心底驚いたのだから、まったくもって同感である。
 そして、アスベルがヒューバートに顔を向ける。嫌な予感がして、ヒューバートはわずかに肩を震わせる。
 と。
「じゃあ、ヒューバート頼む」
「なにをですか!」
 やはりそうきますか?! という言葉は飲み込んで、ヒューバートは間髪入れずアスベルに厳しい視線を向ける。
 ぎりぎりとした厳つい視線を受けながら、アスベルが暢気な様子で首を傾げる。
「いや、だってこのままここで寝かせておくわけにはいないだろ?」
「……それはつまり、パスカルさんを部屋まで運べと言っているのですか? 兄さん」
「ああ」
 眼鏡を定位置に戻しながら僅かな怒りを込めて確認するヒューバートに、アスベルがあっさりと頷く。
 どうしてこう、当たり前のような顔をしているのか、理解できない。
 もっと明確な理由を求めようと口をひらいたとき、アスベルが頭を掻きながら言う。
「俺が運んでもいいけど、それだとヒューバートが嫌だろ?」
「?!」
 これでも気を遣ったのに、なんで怒られなきゃいけないんだ? と、いわんばかりの顔である。
 かっと、一瞬で顔を赤らめて、ヒューバートは仰け反りながら数歩後退する。
「な、ななな……なに、を?!」
 火照る皮膚を隠すように手の甲を押し当てつつ、声を荒げる。
 誰が誰を運ぶのを嫌がると?
 脳裏に、パスカルの身体を抱き上げて、薄暗い部屋の寝台に、そっと横たえるアスベルの姿が描き出される。
 と、同時に胸に湧き上がるのは、言葉にしがたい苦々しい感情。
 つまり、アスベルの配慮はまったくもって的を射たものであったということだ。
 それも当然だ。表立って伝えたことはないけれど――ヒューバートは、パスカルが好きなのだから。
 とはいえ、だからといって「そうですね、兄さんであってもそんなことをされると、腹立たしく思いますね」なんていえるわけない!
 ぱくぱくと口を開け閉めしつつ、手を握り締めた瞬間、くくく、と低い笑い声が耳に入る。
「じゃあ、オレが運ぶか? こうしてな」
 ひょい、とマリクが両腕で、なにかを平行に持ち上げるような仕草をみせる。
 それがいわゆるお姫様抱っこと呼ばれる抱き方だと理解して、ヒューバートは目じりを釣り上げる。
 それはまさに、アスベルとパスカルで妄想、もとい想像したとおりの光景だ。それがマリクにすり替わったといったって、余計に気分が悪くなるだけである。
 なにかいおうとする前に、人の悪い笑みを浮かべた色男が、なおも畳み掛けてくる。
「まあパスカルはれっきとした女だし、スタイルも悪くないしな。そうなると、ずいぶんな役得だと思わんか? なあ、ヒューバート」
 頭に血が上るのが、わかる。安い挑発だとわかっても、乗ってしまうくらいに、ヒューバートの冷静さは一息で吹き飛んだ。
「ふざけないでください! ぼくはあなたとは違います! それに、そんなことをいう人にパスカルさんを任せられるはずがないでしょう?!」
 わきわきと手を動かすマリクのいっていることはセクハラに近いと、ヒューバートは悲鳴交じりに非難する。
 では、とソフィと事のなりゆきを見守っていたリチャードが、優雅に口元を拭って席を立つ。
「マリクが不満なら、僭越ながらこの僕が運ばせてもらうとしよう。パスカルさんにはお世話になっていることだしね」
 きらきらと星の光を振りまくような王族スマイルで、あくまで紳士的にとリチャードが運搬役を引き受けようとする。
「リチャード、えらい」
「ありがとうソフィ」
 ぱちぱちと手を叩いて褒めそやすソフィに、リチャードが優しく微笑みかけている。
 いやいや、さすがにそれはないだろう。
 さきほどとは全く違う意味で、ヒューバートは焦る。
 今は自分達とともに旅をしているけれど、リチャードはれっきとしたウインドルの国王である。そのような人物に、食事中にいきなり眠りこけた女性を運ばせたとあっては、ストラタ国仕官としての名折れだ。
「そのようなこと、リチャード陛下がなさることではありません! それならば、ぼくが!」
 胸に手を当て、一歩前に出ながらそう告げれば、ぱっとリチャードが顔を輝かせた。そうまるで、悪戯や謀がうまくいった子供のように。
「そう。ヒューバートがやってくれるんだね。ありがとう」
 美しく輝くその笑顔に、ヒューバートは息を飲み――ぐぐぐ、と奥歯を噛み締めた。
 してやられた感でいっぱいである。口走った言葉を取り戻すことはできない。思わず視線をあたりに巡らせて、さらに後悔する。
 にやにや、によによ。
 アスベルとソフィだけは、にこにこといえるような優しい笑顔だが、その他全員がまさにそう表現するにふさわしい笑顔である。ついさっきまで美しく微笑んでいたはずのリチャードまで。
「わかりましたよ! ぼくが運べばいいんでしょう!?」
「頼む、ヒューバート」
 やけくそ気味にそう叫べば、アスベルに満面の笑顔で駄目押しされる。半ば開き直ったヒューバートは、パスカルに近づく。
 これだけ騒いでいるというのに、すかすかと相変わらず夢の中にいるパスカルは、やはり大物だ。
 そして、腕をだして、はたと固まる。
 どうやって運べばいい?
 考え付く方法はひとつだ。
 たらたらと、嫌な汗が背を伝う。
「どうした、ほら、ちゃんと落としたりしないように気をつけて運ばんといかんぞ、ヒューバート」
 そういいながら、またもや両腕でなにかを抱えるような仕草をするにやけたマリクのいわんとするところはわかる。肩に担いでもいいが、食事中だったことも考えると、へたをすればもどされかねない。
「わかってます!」
 そうなると、とるべき行動は決まっている。
 意を決して、ヒューバートはパスカルの背を支え、その膝裏に手をかけ――掛け声も漏らさず、パスカルを横抱きにして立ち上がる。鍛えているヒューバートにとって、パスカルの体重は軽いものだ。
 冷静に冷静に、みっともないところをみせないように、と呪文のように繰り返しながら、平静を装って皆を見渡す。
「では、部屋にいってきますので、みなさんはそのまま食事を続けてください」
「ええ、ありがとう。あ、パスカルの顔とか、あとで私が拭くからそのまま寝かせておいてあげて」
「わかりました」
 シェリアの言葉に頷いて、ヒューバートは仲間達に背を向ける。
 が、妙に熱い視線が注がれているのがわかって、居心地の悪いことといったらない。
 五人分のそれは、部屋のある二階へあがる階段に足をかけても、ヒューバートに絡み付いて離れようとしない。
 みないでくださいと怒ったところで、効果がないのはわかりきっている。むしろ反応すれば思う壺なので、ヒューバートは何も言わずあがってく。
 階段の上部にまで達すれば、彼らの視線はようやくさえぎられた。
 やわらかな光の灯された廊下に到着して、ヒューバートは詰めていた息を吐き出す。
 疲れた。ほんとうに疲れた。一日の癒しと明日への活力を蓄えるための食事の場で、なんでこんな目に。
 その元凶たるパスカルを、ちらりと見下ろす。
 ヒューバートの腕の中、なにも自分を害するものなどいないとでもいうように、安心しきって胸に頬を寄せている。
 その姿が、なんだかくすぐったくて恥ずかしくて、小さく咳払いしたヒューバートは、パスカルを抱え直して足早に廊下を進んでいく。
 身体を使ってパスカルたちの泊まる部屋の扉をあけると、当然ながら人のいない部屋は薄暗い闇に満たされていた。光源は、窓から入り込む街灯しかない。
 何かに躓いて転んだりしないように気をつけながら、ヒューバートはパスカルを慎重に寝台へと運ぶ。
 ゆっくりと、清潔なシーツの上に横たえる。
 ふわふわとした猫のような髪を、そっと額から横に流す。
 長い睫毛。ふっくらとした唇。ソースがついているのはいただけないが、じゅうぶんに可愛らしい寝顔だ。
 はー……、とヒューバートはため息をついて、ハンカチを取り出すと、パスカルの口元にあてる。シェリアがあとで拭くといっていたが、枕やシーツを汚すのも、真面目で清潔さを好むヒューバートからしてみれば気分が悪い。
「ん……むにゃ……う~……も、たべらんないよ~……」
 うふふ、あはは、と若干不気味とさえいえる薄ら笑いを浮かべるパスカルの頬を、突く。
 ぐっと押してみると、やわらかいくせにしっかりとした弾力でヒューバートの力に抗う。
「ぶぎゅ……う……」
 ヒューバートは、潰されるようなうめき声をあげるパスカルをみつめながら、苦笑する。
「どうしてなんでしょうね」
 こんな姿をみても、好き、という気持ちが消えることはないのは。
 むしろ可愛いとさえ、思う。甘く、せつなささえ帯びた感想が浮かんでは消え、そしてまた浮かぶ。
 理由のある恋もあるだろう。だけれど、理由のみつけられない恋も、きっとある。
 好きだと思うところはたくさんあるけれど、そのどれかひとつを掲げるには、この想いは複雑すぎる。
 パスカルの頬に沈み込ませた指を、ゆっくりと離す。ふわり、もとの形に戻る頬に誘われるように、ヒューバートは唇を寄せていく。
「いい夢を……パスカルさん」
 そうして、祈りとともに、その頬へ口付ける。
 温かく心地よい肌の感触に、じんわりと意識が融けていく。
 熱に浮かされたような感覚を引きずりながら、わずかに顔を離せば、ふっくらとした唇が目についた。
 とくとくと、耳のすぐそこで音がする。滾々と湧き出る泉にも似たそれは、ヒューバートの心の底から湧き出る、パスカルへの想い音色のように思えた。
 触れたのは、ほんのわずかな一瞬だったように思う。
 ぱん、と意識が弾けたような気がした。
 目を見開いて、勢いよく身体を起こす。
 眠るパスカルに覆いかぶさっていたことが、信じられなかった。でも、唇は何が起こったのか覚えている。
「……っ!」
 ヒューバートは、転げるようにして廊下へと逃げ出した。
 震える手で扉を閉じ、そこへと背を預けて、ずるずると宿の廊下へと座り込む。
「なにをやっているんだ、ぼくは……」
 これでは、マリクのことは責められない。
 顔を覆って、ヒューバートは自己嫌悪に陥った。きっと今、自分はものすごく情けない顔をしているだろう。
 くわえて、頬が火傷したように熱い。この火照りがおさまってから戻らなければ、彼らになにをいわれるかわかったものではない。
 自身を落ち着かせるために、ヒューバートは大きな呼吸を繰り返す。
 どうか――仲間たちの食事が終わる前。妙な勘繰りをいれられる前に、もどれますように。
 恋に身を浸した青年の溜息が、宿の廊下に虚しく響いた。

 

 翌朝。
「おっはよー!」
 ぺっかぺかの輝く笑顔で登場したパスカルを、宿のロビーで待っていた仲間と一緒に、ヒューバートはソファに座ったまま出迎える。
 挨拶をしようとするが、頭の天辺から発せられるようなひっくりかえった調子になりそうで、一つ咳払いして間合いをはかる。
「おはよう、パスカル」
「おう、おはようパスカル。よく眠れたか」
「うん、絶好調だよ~!」
 アスベルとマリクから口々にかけられる挨拶に頷きながら、パスカルがすぐそこにある椅子に腰かける。
 きらり輝く瞳が、ヒューバートを映す。なにかを期待する、色。
「……おはようございます」
「うん、おはよ、弟くん!」
 低く小さく、ヒューバートはなんとかそういって、ぷいと顔を逸らす。対するパスカルは、やたらと嬉しそうに返してくれる。
 こちらは、まともに眠れもしなかったというのにと、ヒューバートは思う。
 たっぷりと睡眠を得たパスカルの様子に、苛立ちが募る。だがそれは八つ当たりであることを理解しているので、ぐっと腹の底におさえこむ。
 むしろ卑怯な真似をしたのはヒューバートのほう。後ろめたいところなんてありすぎる。
「ねえねえ、きいて、きいてよ~!」
「どうした、パスカル」
 新聞に目を通していたマリクが、顔をあげた。
「いやぁ、あたしってばさ~」
 じたばたと手を振り回していたパスカルが、楽しげに語りだす。
「昨日の夜、みんなでご飯たべてたじゃん? それなのに、今朝気付いたらベッドの上でさ。もしかしてあたし、全自動機能でもついたんじゃないかなって!」
「へえ、すごいなパスカル」
 いや、なぜそうなるんですか兄さん、とヒューバートがつっこむ前に、パスカルが身をくねらせる。
「いやぁ、それほどでも~」
 感心したように素直に頷くアスベルと、照れたように頭を掻くパスカルという光景に、ヒューバートはソファからあやうく落っこちそうになった。
 それをなんとかこらえ、目の前のローテーブルに勢いよく手をつく。
「違います! ぼくが! つれていったんですよ!」
「え、そうなの?」
 きょとん、とパスカルが大きな目を瞬かせる。
 ええい、腹立たしいことこのうえもない。狼狽しているのが、自分だけなんて不愉快だ。ずるい、卑怯だ。ぎりりとヒューバートは奥歯を噛み締める。
「そうだぞ。オレたちの申し出を断って、すごい勢いでパスカルを姫抱きにして二階へと運んでいったんだ。若いというのはいいことだな」
「教官!?」
 マリクからの補足に、ヒューバートは悲鳴をあげる。そんなことはすっかり無視して、がっかりしたとばかりにパスカルが肩を落とした。
「そっかぁ~。これでどれだけ飲んでも食べても大丈夫になったと思ったのになあ~」
 心底残念そうに呟くパスカルには、あきれるしかない。ほんとうにそんなことができる人間がいるのなら、お目にかかりたい。
 やはり文句のひとつでもいうべきかと思ったものの。
「えへへ、覚えてないけど、連れていってくれてありがとね、弟くん!」
 くるり、顔を向けてくるパスカルが、満面の笑顔でそんなことをいう。
「う、」
 真正面から感謝の気持ちを届けられて、ヒューバートは言葉につまる。
 でも、一言だけ忠告をしておくべきであろう。眼鏡のブリッジを押し上げつつ、意識して目元を険しくしながら息を吸い込む。
「いいですか、食事の最中に寝て許されるのは子供までです。今度からは気をつけてください。熱いスープの皿に顔でも突っ込んだらどうするんですか」
「あはは、ごめんごめん~。今度から気を付けるね」
 ほんとにわかっているのか疑わしい軽さで、パスカルが手を合わせてそういっていると。
「おはよう、みんな」
「おはよう」
 シェリアとソフィが姿を現した。こちらは髪も綺麗に櫛を通して、準備万端である。
 だが、すこしだけ、シェリアが疲れたような顔をしている。なんだかんだとパスカルに振り回されたのだろう。今日も朝からパーティのお母さんは、お疲れ様である。
「ヒューバート、どうして怒ってるの?」
 ととと、と近づいてきたソフィに、顔を覗き込まれながら尋ねられ、ヒューバートは苦笑した。
「いえ、怒っているというかなんというか。パスカルさんに忠告しただけです。巻き込まれるこちらがたまったものではありませんからね」
「ふーん」
 優しくソフィの頭を撫でると、くすぐったそうに笑いながら首を竦める。
 と。
「やあ、みんな遅くなってすまない」
 ゆったりとした歩みで、最後にリチャードが姿を現した。ヒューバートたちと同じく、宿のロビーへと降りてきていたのだが、王国からの使いと話をするため、宿の一室にいっていた。
 おはよう、と女性陣へと優雅に朝の挨拶をするリチャードに、アスベルが近づく。
「リチャード。デール公への書類はもういいのか?」
「ああ、すべて使いの兵士に渡したよ。いつでも出発できる」
「わかった」
 リチャードの返答を受けて、アスベルが仲間たちを見回す。
「じゃあ、みんな揃ったし出発するぞ。準備はいいな?」
 それぞれに、その言葉に頷いたり声を発して了承の意を返す。
 そうして一行は、連れ立って外へと続く宿の扉へと向かう。
 最後尾を歩くヒューバートの横へと、パスカルが並ぶ。
「えへへ~、でも、あれだね」
「なにがですか」
 あれ、とはいったい何のことなのか。単純な疑問に、パスカルはすぐに応えてくれる。
「弟くんのおかげだったんだな~って思ってさ」
 にこ、とパスカルがあどけなく笑う。
「は?」
 確かに、パスカルを部屋へと運んだのは自分である。だが、それを、ついさきほどまで全自動機能が備わった自分のおかげだと、パスカルは思っていたのではなかったか。
 眉を微かに寄せたヒューバートの疑問に気づいたらしいパスカルが、歩みをとめる。
 ついつられてヒューバートも足を止めて、わずかに身体をひねるようにし、パスカルの顔をみつめる。
 甘い香り沸き立つ花がほころぶように、その表情が移ろっていく。
「ふわふわして、すっごく気持ちよかったんだ~……」
 パスカルが自分の唇にそっと触れる。
 さきほどの仲間たちにもみせていた笑顔とはうってかわって、どこか妖艶さが滲み出るそれに、ヒューバートは息を飲む。
 そんな顔もできるのか、と真っ白になりかける頭でそう考える。
「ふふっ、今度からいい夢がみたいときは、弟くんにお願いするね」
 なにを、と問い返せず、真っ赤になって口を噤むしかできないヒューバートに、パスカルが悪戯っぽく微笑む。
「パ、パスカルさ、」
「あー! おいてかないで~、待ってよソフィ~!」
 たっ、とパスカルが駆けだす。
 すでに宿の外にでてしまった仲間達を追いかけるように。
 その細い背を呆然と見送ったヒューバートは、溜息を吐きながら俯いて、せっかく整えた髪をくしゃりと握る。
 わかっているのか、知っているのか、それとも無意識なのか。
 どれもありえそうなのがパスカルで。そしてそんな彼女に、一生勝てる気がしないヒューバートだった。