「あっ! ユ・リベルテの空に謎の飛行物体が!」
棒読みっぽいうえに、なんとわざとらしい物言いか。
執務室にある窓から空をみあげ、芝居がかった仕草で空を指す細身の女の背を眺め、部屋の主たるヒューバートは小さく息をつきつつ、眼鏡を中指で押し上げた。
「嘘をつくのが下手すぎですよ、パスカルさん」
そもそも、謎の飛行物体なんてラントにあるシャトルくらいしか、この世界には存在しない。
あるとしたならば、アンマルチアが新たに何かを造りだした場合だろう。が、そうすると、アンマルチアでも天才と謳われるパスカルが知らぬわけがない。というか、嬉々として設計・建造に関わるに違いない。
仮に、フォドラからなにか飛来したとしても、彼女の知識をもってすればある程度察しがつくはず。
つまり、パスカルがいう『謎の飛行物体』、というものはありえないのだ。
「あ、やっぱだめ?」
にひひ、と悪びれた様子もなく、軽やかに振り返ったパスカルが、明るく笑う。
やれやれと、ヒューバートは肩を竦めた。
こんなことを言い出したということは、じっとしていることに飽きてきたということだろう。
突然訪れたのはパスカルであるが、ヒューバートも仕事に手間取り、随分待たせてしまっている。
「もうすぐ終わりますから」
「うん、わかった~」
そういって、パスカルはソファへと駆け寄り、飛び込む。
子供でもあるまいし行儀が悪いが、半ば諦めつつあるヒューバードはそれを諌めることはしなかった。
さっさと仕事を終えてしまえば、いくらでも言えるからだ。
最後に目を通している書類は、パスカルが持ってきたフェンデルからの書簡の一部である。その最後にあるのは、見慣れた名前。
内容は、ごく個人的な頼みだ。これ以外にあったものと違って、軍部を通さねばならぬほどのものではない。
というか、ユ・リベルテのとある店で取り扱う高級石鹸をパスカルにもたせろというものを、部下や上司にみられたくはない。
おおかた、それを使ってパスカルを風呂に叩き込んだ挙句に洗い上げようという、フーリエやポアソンたちとの計画に一枚かんでいるに違いない。
とん、と「マリク・シザース」と記されたサインを、指先でひとつ叩いて、笑う。
「パスカルさんと教官を足して割れば、丁度よくなるんじゃありませんか?」
嘘下手と嘘上手。
わけあえば、ほどよくなるのではなかろうか。
そうすれば、パスカルは少しくらい秘密を持つことが出来るようになり、マリクは正直さを取り戻すのではないか。
そんな軽い気持ちの言葉だったが、パスカルは寝転がったまま、じたばたと手足を動かして応える。
「うええ~、教官とたされたくなーい!」
やだやだとだだをこねる子供のような仕草をみせるパスカルに、ヒューバートは苦笑した。
「ものの例えですよ」
そういいながら、マリクあての返信をしたためていく。石鹸はパスカルが帰るまでに用意すればいい。
「でもさー、弟くんだってそうじゃん」
「なにがですか?」
ひょい、とパスカルがソファの背もたれ越しに顔をだす。
「あたしといっしょで、嘘が下手ってこと」
「……そうですか?」
思わず手紙を書く手をとめて、む、とヒューバートは眉根を寄せた。
オズウェルの家に養子に出されてから、世界最高峰の教育のほかに、騙し騙されの貴族社会で生き残るため、他者を出し抜く術を学ばされた。
常に冷静であれ。状況を的確に把握し、己に、ひいては家の益となるよう動け。そのためには感情を抑え、相手の策を見抜き、ときには甘言を弄し、虚言を口にすることを躊躇ってはいけない。
頭を使え、人を使え――すべては、オズウェル家の繁栄のため。
そう教え込まれてきたことは、ヒューバートを形作るひとつになっている。
実際、そうでなければ、いくら実力があるとはいえども、少佐の地位を得ることはできなかっただろう。
なので、そういわれるのは想像したことすらない意外なことであった。
パスカルが、うんうんと頷く。
「ヒューくんは嘘が上手いんじゃなくて、黙ってるのが上手いんだよ!」
「……」
ああ、そうか。
ヒューバートは眉を下げて苦笑する。
「……そうかもしれませんね」
兄への羨望交じりの嫉妬。養子に出されたことで抱えた屈折した想い。だからこそ、必死に勉強したし、剣を握り続けた。オズウェルの考えを理解しようとした。
でも、心の奥底にあるのは、父からの教えだった。
真っ直ぐで不器用で、でも愛情深かった、ラント領主にふさわしい人がくれた、少ない言葉。この胸に宿る、言葉。
子供の頃は意味がわからなかったけれど、いまならばわかる。
父が、自分を愛し、何にも誰にも恥じることなく、生きてほしいと願っていてくれたこと。
じん、と湧き上がるものは懐かしさ。そして胸の奥を焦がすような、申し訳なさ。
自分は、その希望どおりの人に、なることはできなかったかもしれない。
嘘をつかずとも、自分の心を覆い隠す処世術に、ヒューバートは染まりきってしまった。
「そのくせ、妙にわかりやすいんだよね~」
なにか思い出したのか、パスカルが笑う。
「たとえば?」
あまり思い当たる節がなく、素直にそう訊ねれば、なぜだかさらなる笑いを誘った。
「サンオイルスターが大好きなくせに、なーんにもいわないじゃん!」
うぐ、とヒューバートは口をつぐみ顔色を変えた。
いまここでその名を出されるとは思わなかった。
というか、自分がサンオイルスターのファンであることを、なぜパスカルが知っているのか。
「な、なぜそれを……!」
「ばればれだよ~。戦隊モノとかヒーローとか、すっごく好きでしょ?」
「……」
まったくもってそのとおりなわけであるが、はいそうですと頷けるほど、ヒューバートは吹っ切れてもいなければ開き直ることもできていない。
何もいえずに黙りこくれば、またパスカルが笑う。
「ほらね! すぐに黙っちゃうんだから!」
「パスカルさんみたいに、なんでもあけすけに言えれば、人生楽しいでしょうね」
皮肉もこめて言ったつもりであったが、パスカルは照れたように頭を掻いて、身をくねらせた。
「いやぁ、それほどでも~」
「……」
もういい。
ふー、とため息をついて、ヒューバートは止めていた手を再び動かし始めた。
こういう類の話で、自分が有利にたてたことなど、はっきりいって、ない。
パスカルの観察眼、考察力、そして気持ちいくらいの闊達さ。
どれも自分は、きっと勝てないだろう。彼女の瞳を通してみる世界は、ヒューバートにいつも違った姿をみせてくれる。だからこそ、一緒にいて楽しい。
頑なだった心の隣へ風のようにはいりこみ、明るい笑顔を向けてくれた。知っていたと思っていた世界の、まだ知らなかったことをみせてくれた。いまだって、教えてくれる。
そのくせ、歳にみあわず子供っぽいところがあって、世話を焼かずにはいられない。自分がいないとこの人は駄目だと、強く思わせられる。
気づけば随分と、パスカルにのめりこんでいる――それを、幸福だと思ってしまうあたり、自分は相当まいってしまっているのかもしれない。
ヒューバートは己の現状をどこか冷静に分析しつつ、ペンを下ろす。考えながらも書き上げた手紙を、インクが乾くまで、そっと隣へとよけておくことにする。
「ヒューくん? おわったの?」
その動きに気づいたパスカルが、ぱっと顔を輝かせる。
「はい。おまたせしました。退屈だったでしょう?」
「大丈夫大丈夫! ヒューくんのお仕事、大変だもんね」
パスカルがフェンデルで行っている仕事ほどではないだろうに。そういってくれると、自分の頑張りを認めてもらえていると感じられて、嬉しい。
そう思いながら、ヒューバートは席をたつ。
机を回り込み、相変わらずソファでごろごろとしているパスカルへと近づく。
ソファの背もたれ側から覗き込むと、琥珀色の瞳が光を閉じ込めたように煌いてた。
ともすれば、氷のようだと囁かれるヒューバートの青い瞳にも怯むことはない。陽だまりのようだ、とヒューバートは思う。
触れられたら、どんなにあたたまることができるだろう。
「なに?」
無垢な子供のようにパスカルが小さく首を傾げる。
ふと、興味が涌く。パスカルは、どこまで自分をわかってくれるのか。許してくれるのか。
「……ぼくは、黙っているのが上手いんでしょう?」
さきほどの話を、ヒューバートは自ら蒸し返す。滑らかな白い肌に包まれた、柔らかい頬に触れたいのを我慢して、ヒューバートは続ける。
「それなのに、パスカルさんはそれがわかるんですよね?」
「そだね。あたし、結構わかるよ!」
うん、とパスカルが自信満々に頷く。
その根拠はなにかと訊いてみたいところだが、理論と直感の両方を高いレベルで併せ持つパスカルに問うのは、あまりにも幼稚だろう。
「じゃあ、ぼくがいま何を考えているか、何を言葉にしていないのか、わかりますよね?」
ぎ、と握り締めたソファの背が鳴く。ゆっくりと上半身を折り曲げて、ヒューバートはパスカルに顔を近づける。
「……」
近づけば近づくほど、綺麗な瞳に自分の姿が大きく映る。
このまま、この人の瞳が、自分だけを映すようになればいい。だが、独り占めするのも惜しい。世界のあらゆることに興味という煌きを見出すパスカルだからこそ、美しいのだから。
矛盾した想いを抱えつつ間近にみるパスカルの瞳は、陽だまりのようだとさきほど思ったが、黄金色の大地のようでもある。眩い朝の太陽に照らされる、金色の夜明け。
きらきら、ゆらゆら。
吸い込まれてしまいそう。
ひどく愛おしくて、たまらなく触れたくなる。
いまの自分がもてるだけの感情をもってして、パスカルをみつめると、ふわり、その頬が薔薇色を帯びた。
ふ、とそらされる視線に、普段はみえないパスカルの色気が滲み出ていて、つい口元が緩む。
「……ヒューくんのえっち」
いつの間に、そんな可愛い文句を覚えたのか。
我慢できず、ヒューバートはそっぽを向いたパスカルに手を伸ばす。そうして撫でた髪も、触れた肌も、伝わるぬくもりも、なんという心地よさだろう。
際限なく緩んでしまいそうな唇と頬を、なんとか気合で引き締めて、ヒューバートは目を細める。
「心外ですね。ぼくたちは恋人同士でしょう? だったらかまわないはずです」
そういいながら、ふっくらとした唇に指先を乗せる。
「ぼくの考えがわかるなら――ぼくの願いが伝わったなら、いただけると、嬉しいのですが」
せつなくねだるように、意識して声を抑えて低く囁き。ヒューバートは、パスカルに小さく笑いかけた。
するり、無言で細い腕が首へと回される。
寝転ぶパスカルに覆いかぶさる格好になったヒューバートの唇へ、柔らかくて軽い感触が舞い降りる。
それは、惜しいことにすぐ離れていってしまったが、間違いなくヒューバートが望んだものだった。
「ああ、ほんとうにわかっていてくれたのですね」
――キスがしたいと、おもっていたこと
驚き半分、嬉しさ半分の、幸せ一杯さで、ヒューバートは蕩けるように相好を崩した。
「ヒューくん、わかりやすいもん」
ぐりぐりと甘えるように額をヒューバートの首元に押し付けてくるパスカルを、たまらなく抱きしめたい。
「うわっ!」
思いつきのまま、ヒューバートはパスカルの背へと腕を差し入れ、身体を起こす。
軽いパスカルの身体は、あっさりと抱き上げることができた。慌てたパスカルの手が、ヒューバートの肩を掴む。
自分より少し高い位置にあるパスカルの驚いた顔をみあげて、ヒューバートはくすぐったそうに微笑む。
「そんなことに気付くのは、あなたぐらいですよ」
わかってくれて、ありがとうございます――そう囁けば、パスカルがへらっと笑った。
「えへへ」
パスカルが、頬に優しく手を添えてくる。
「どうしてわかるのかが、謎ではありますが」
ほんとうに不思議だ。まさか顔に秘した事柄が文字として現れるわけでもあるまいし、なぜわかる?
「目」
す、と頬から目元まで指先を滑られたパスカルが、穏やかに言う。
「目?」
眼鏡越しに覗き込んでくるパスカルが、うん、と頷く。
「目がね、そういってるんだよ~。サンオイルスターが好き! とか、ヒーロー格好いい! とか――あたしのこと、好き! とかも」
ふふふ、と楽しそうに声をあげるパスカルに、むむむ、とヒューバートは渋面になる。
「もう、それはいいです」
パスカルが好きであることは感じ取ってもらって問題ないが、人の隠しておきたい趣味のことは、もう暴露しなくていい。
「素直じゃないなー。いいじゃん、サンオイルスター。あたしも好きだし! 今度一緒に、ショー観にいこうよ~」
「……っ、か、考えておきます」
二つ返事で了承しそうになるのを堪え、ヒューバートはなんとかそう応える。
心の中はデートだ、サンオイルスターだ、という喜びでいっぱいだが、表にださないように努める。
「うれしいくせに!」
うりうりと頬をつついてくるパスカルが、あ、と声をあげた。今度はなにかと思えば、己を示して言う。
「ね、ね、あたしは?」
「はい?」
「あたしが何思ってるか、ヒューくんわかる?」
きらきらと色とりどりの宝石を砕いて敷き詰めたような、そんな輝きの瞳がぐっと近づいてくる。
ふ、とヒューバートは笑った。
「バナナが食べたい、でしょう?」
「ふおおおおっ! なんでわかったの?!」
ちら、と時計を見遣る。時刻はちょうど、おやつどき。彼女の腹時計の具合も、把握している。だてにパスカルをみつめ、世話をしてきたわけじゃない。
ヒューバートにとっては、心や表情を読むでもなく、容易く想定できることだった。
だがいつか、この不思議極まりなく、興味を惹かれてやまないパスカルのことを、その瞳をみるだけで理解できるようになりたい。
ゆっくりと、ともに並んで歩みながら――いつか。いつか。
「じゃあ、いきましょうか」
名残惜しく思いながらも、パスカルを床へと降ろす。
「どこに?」
きょとん、とした顔をするパスカルをみて、そういえばこれからの予定を伝えていなかったと、ヒューバートは思い出す。
「おいしいバナナを農園から直に仕入れいているお店、調べておきました。それともアイスやケーキ、パイのほうがいいですか? そちらも調査済みですが」
どんな要望でも応えられるよう、準備は万端整えてある。
きらきらと、今日一番の輝く笑顔で、パスカルが万歳するように両手をあげる。
「やったー! じゃあね、じゃあね、バナナ食べて、そんでもってバナナアイス食べて、バナナパイ食べる!」
はやくいこうと、ヒューバートの手を勢いよく掴み、パスカルが部屋の扉へと向かう。
引きずられるようにあとについていきながら、ヒューバートは苦笑した。
「そんなに食べると、おなかを壊しますよ」
「いいじゃん、いいじゃん! せっかくヒューくんが調べてくれたんだからさ、いかなきゃ悪いよー」
大きく扉をあけ放ったパスカルが、振り返って笑う。子供のように無邪気に、ヒューバートへの信頼と愛情を湛えて。
「いこ! ヒューくん!」
「はい」
だから、その手を握り返して、ヒューバートも笑う。
好きで好きでたまらないあなたが、どうしようもなく愛しくて――だから自分は、とても幸せなのだと。
この瞳から、すべてを知る琥珀の瞳へ。
もてうるだけの心を、贈って笑った。