シナト村を我らの団が訪れたとき、夜は宴会になる。
普段は、我らの団でその腕を振るう料理人が、美味しい料理をたくさんつくってくれるし、お酒好きな団長が別の町や村で仕入れた酒を振舞ってくれるからだ。
大人も子供も一緒になって騒ぐ宴会の片隅で、青年は身振り手振りを交えて冒険譚を語るハンターへ、優しく頷いた。
「そう、こんどの狩りも大変だったね」
「はい! でもたっくさん素材も手に入れられてよかったです!」
「ははは、君たちのおかげで村の皆が助かってるよ。ありがとう」
「えへへ~」
おみやげ、と称して彼女がもってきてくれる素材は、この村にとってもありがたいものばかりだ。
天空山でないところで生息するモンスターの爪や皮は、様々なものに加工されるし、このあたりでは採れない薬草やキノコもありがたい。
それとなによりも大切なのは情報だ。ながらく幻の村とされていたこのシナト村に、世界の情報が定期的に届く。この村出身のものたちの便りからでも、ある程度はわかるものの、ハンターたちの情報網のほうがはやいし正確だ。
どこかで特定のモンスターが大発生しただの、狂竜化したとおぼしきモンスターが討伐されただの。そういったことは、知っておくにこしたことはない。
「でも、気をつけてほしいんだ。ここも傷があるじゃないか」
狩猟にでかける際の装備を脱ぎさったハンターの手には、いくつもの傷がついている。この前きたときにはなかったはずのもの。きっと今回の狩猟でついたのだろう。
手をとってなぞるように確かめる。すでに塞がってしまっているが、痛々しいのにかわりはない。
くすぐったいです、と首をすくめたハンターだったが、すぐに笑った。
「だいじょうぶです! あたし、頑丈ですから!」
トン、と胸を叩いて笑っているハンターは、わかっていない。ふう、と青年は溜息をついた。
この髪も、肌も、瞳も、自分のものなのだから、傷をつけてほしくないと、いっているのに。
「そうはいっても、心配だからね」
もう片方の手で、その活発さをあらわすような短い髪を手のひらでなでつけ、柔らかな頬に指先を寄せる。そこにもうっすらとした痕がある。
ああ、こんなところにまで、傷が――
ちりり、と胸の奥が焼け焦げた気がした。自分には、独占欲なんてないと思っていたのに、どうやら彼女にたいしてだけは違うようだ。
できるなら、ここに留まってほしい。この地で、なにものからも護りたい。
だけれど、その願いは彼女の足に枷をはめるようなもの。
自由に世界を駆け巡る彼女だからこそ、まぶしくて、愛おしいのだから。
矛盾する気持ちをもてあます青年をよそに、ハンターは元気に笑うだけ。
「平気ですよ、こんなの舐めておけば治ります!」
暢気にもほどがある。
青年の心のうちで、彼女を護れない焦燥感と、制御できなくなりつつある愛情が、絡み合って別なものになりかわる。
心配をかけるこの娘が悪い。
青年はそう結論づけると、ハンターの手を持ち上げて、引き寄せる。
なにをされるかわかっていないハンターは、目を瞬かせている。
警戒心など欠片もないその顔がどうなるのか楽しみだと思った。
睫毛を伏せて、傷に躊躇いなく唇を寄せる。ちゅ、と音がたつ。
そうして、ちらりと見遣ったハンターの表情が一変した。
「ひゃ……?!」
想定外のことであったのか、みるみるうちに真っ赤になって、目を潤ませていく。
凛々しく力強く計算高く、片手剣と爆薬を駆使して狩猟する一流ハンターとは思えない。
「ああ、ここにも傷があるね。ここにも……――ここにもだよ」
手の甲、二の腕と辿り、髪を頬からおいやって、さきほど頬にみつけた傷を目指す。
「う、わ……わ、わわっ……!」
ぎゅう、と目をつぶって震える真っ赤な顔に、心が満たされる。
急に与えられた熱に震えるさまは、どこにでもいる、可愛い女の子だ。
もう乾いてしまっている僅かな傷跡に唇を触れさせて、ほんの少し舌先でなぞる。
ひう、とか細い声をあげて肩を跳ねさせるものの、ハンターは逃げようとはしない。それが、自分を受け入れてくれている証のよう。青年は満足すると、ゆっくりと離れた。
今にも涙をこぼしそうな瞳を伏せたハンターが、いう。
「な、な、なん、で……」
おや、と青年はわざとらしく首をかしげた。
「君の傷は、舐めれば治るといっていたじゃないか。それに、竜人の唾液には治療効果があるらしいからね、知らなかった?」
嘘だ。長老あたりがきいたなら、「大僧正様!」と大慌てでたしなめてきそうなことを、いけしゃしゃあといってのける。
きっと、普通ならそんなことあるわけないとわかりそうなことであるが、混乱している今なら、根がどうしようもなく正直な彼女は騙されるだろう。
そんな思惑どおりにあっさりと、ハンターはひっかかった。くるくると表情が変わって、おもしろいことこのうえない。
「あ、そ、そうなんですか?! あたし、なんにも知らなくて、やだ、あは、あははっ……は、はは……」
じっと間近でみつめていると、青い瞳がおろおろと彷徨う。恥しいに違いない。手に取るようにわかる感情が、楽しくて、愛しい。
もう一度触れたくて唇を寄せる。今度はその色づく唇を捕らえるために。
だが、あと少しというところで、ひゃあ! と悲鳴じみた声をあげてハンターが飛び上がった。どうやらこれ以上は厳しいらしい。
「そう、そうだ! おみやげ! おみやげがまだあるんです、と、ととと、とってきますね!」
「あ、ちょっと、待って」
とめる言葉を振り切って、前のめりの物凄い勢いでイサナ船へと駆けていくハンターの後姿を見送る。危なっかしい。あ、転んだ。
思わず笑いがこぼれた。
たちあがり、よろよろと船に乗り込むその様子を見守っていると、酒の匂い漂う団長がゆったりと近づいてきた。
あれだけ飲んでいたというのに、顔が赤いだけで、我を忘れているような風ではない。足元は多少頼りないが、どうしようもない酔っ払いというわけではなさそうだ。
「おいおい、我らの団のハンターを、あんまりからかわないでやってくれるか? 腕はいいが、なにせ純情なもんでなア」
穏やな笑みで、青年はその言葉を受け流す。
「からかっているつもりはありませんが。彼女が可愛いもので、つい」
「ま、その気持ちはわかるがな!」
がっはっはっは、と豪快に笑う団長の声があたりに響いた。
同意をえられてなにより、と腰掛けていた椅子から立ち上がった青年は、団長に向き直った。
「ああ、そうそう。彼女とゆっくりお話がしたいと思っているので、部屋をお借りしてもいいですか?」
すい、と視線でイサナ船をさす。
「ん? あー、そうだな……ま、いいぜ」
なにか思うところがあるのか、それともひっかかるところでもあったのか、珍しく歯切れの悪い調子で、団長が頷く。
「ありがとうございます。それでは」
にこり、と青年は微笑んで会釈する。許可をえられてよかったとばかりに、声に喜色が滲むのが、自分でもわかる。
はやる気持ちをおさえながら、一歩足を踏み出す。
「――ウチのハンターも、たいへんな奴に好かれちまったなア」
聞こえないようにいっているつもりなのかもしれないが、シナト村を渡る風に乗った団長の呟きは、青年の長い耳に届いていた。
――まったく同感だ――
自嘲気味にそう思う。
でも心底楽しいのも間違いない。
青年は笑いながら、イサナ船にある彼女の部屋を目指す。
その足取りに迷いはなく、恋しい人のもとへ、その心を連れてゆく。