五年後に咲いた花

 花が綻んだ。
 そう形容する以外にないくらい、少女は美しく成長していた。
 きょろきょろと、どこか落ち着かない様子で周囲に視線を送る姿に、知らず驚きに見開いていた目を、ゆっくりと細めていく。
 彼女は、待ち合わせに指定した宿屋前で、行きかう人の中に誰かを探しているようだ。
 ふわり、明るすぎない金色の髪が、カラハ・シャールに吹く風になびく。宝石質のオリーブ色の瞳が、太陽の光を吸い込んできらきらと輝く。
 背は伸びて、手足もすんなりと長い。もう、片手で抱きかかえられた小さい頃の面影は、思い出の中にだけ存在するようになってしまったらしい。
 しばらく、見惚れるように足を止めて立ち尽くす。いや、実際、目を奪われている。
 遠目からでも仕立てのよいドレスは、華奢な彼女によく似合っていて、彼女が引き取られた家で大事にされているのだとわかる。

 ああ……幸せそうだ――よかった。

 なんだか胸がいっぱいになってきて、アルヴィンは「ん?」と眉を潜める。
 これはあれか、父親が娘の成長を感慨深く思うあれだよな? などと思っている間に、翠の視線がこちらを向いた。
「アルヴィン!」
 その瞬間、嬉しそうに大きな瞳がなごんだ。
 無垢な少女であったころとはまた違うその微笑みは、におい立つような色香の予感をさせるに十分すぎる。
 いつの間に、そんな顔をするようになったのだろう。
 もはや誰もが振り返る乙女へと姿を変えたエリーゼに、アルヴィンは片手をあげて応えた。
「よ、エリーゼ。元気にしてたか?」
 前に会ったときは、駆け寄ってきてくれたが、今はもうそんなことはない。シャール家において、そうした礼儀作法も学んだのだろう。
 ゆっくりとアルヴィンが近づくと、その考えが間違いでないというように、エリーゼが優雅に一礼した。
「はい。お久しぶりです。アルヴィンは、お仕事どうですか?」
 内心、その淑女っぷりに舌を巻きながら、アルヴィンはかつてのように、皮肉気味に笑った。
「ま、それなりにな。楽しくやってるよ。今度の商談はちと大変そうだが、それが商売の醍醐味ってもんだ」
「そうですか。頑張ってくださいね」
「おう」
 旅を共にしたものたちとの間で、手紙のやりとりは途切れることなく続いている。近況報告がてら、そう頻繁ではないけれど互いのことを伝え、相手のことを案ずる。
 一ヶ月前、その手紙のなかで「今度カラハ・シャールに商談で滞在する予定だ」と書いたら、すぐに「会えないでしょうか?」と返事がきた。
 考えてみれば、まともに顔をあわせたのは、旅の終わりから片手で数えられる程度だった。今からはもう、二年も前になる。エリーゼからの申し出を断る理由もなく、アルヴィンは予定の日と待ち合わせ場所を指定して、鳥に手紙を託した。
 そのときは、軽い気持ちだったのだ。ほんとうに、ひさしぶりに言葉を交わすのも悪くないと、そう思っただけだったのだ。
 だけど。
「……ちょーっと失敗しちまったかな」
 出会った頃の予想どおり、否、それを上回る変貌を遂げたエリーゼを前に、アルヴィンはため息をつかざるをえなかった。
 見つければ、つい手折りたくなるような花になっているとは。
 手を伸ばして、その香りに酔いしれたくなるような、魅力を放つほどになっているとは。
 さすがのアルヴィンも想像していなかった。
「忘れ物でもしました?」
「いいや、こっちのこと」
「?」
 不思議そうに小さく首を傾げるエリーゼは、あと一段分のぼれば大人になるのだろう。心身ともに、大人に。
 それを見越して、目をつけている輩は大勢いるに違いない。この美しさに加え、シャール家という後ろ盾も大きいはず。もうすぐ、見合い話がひっきりなしにくるようになるだろう。
 とはいえ。
「――俺には関係ないこった」
 小さく、エリーゼには聞こえぬよう、口元を覆い隠した手の下で呟いた。
 もう三十路をこえた男には、縁のない話だ。エリーゼの幸せを食潰すしかできないだろう自分には、どうこういえる義理も、どうこうする資格もない。
 エリーゼには、もっと――そう、もっと一緒に輝けるような男がいい。
 イル・ファンで研究に勤しむジュードのような、あんな男が相応しい。
 駄目すぎる大人であったあの頃に比べれば、自分も随分ましになったと思いたいが、やはり根本的に違うものは違うのである。
 ついふらふらと、綺麗な花に立ち寄りたくなるのは悪い虫の性である。今、アルヴィンがエリーゼに抱いたものも、その類のはずだ。
 と、エリーゼが怒ったような顔をして、こちらを見上げていることに気付く。
 そういえば、自分の態度はエリーゼをないがしろにするようなものだったかもしれない。考えに没頭していたばつの悪さもあって、あわててアルヴィンは背を屈める。
 その小さな顔を覗き込むと、エリーゼが目を眇めた。ちょっと怖い。
「悪い悪い。ぼーっとしちまってた。よし、気を取り直してどこかいくか」
「……いいです」
 むす、と唇を引き結んだエリーゼが、ぎゅっとドレスのスカート部分を握り締める。

 まずいなこりゃ――

 長い時間ではないが、それに匹敵するような濃い時間を共にしたせいか、仕草からなんとなく仲間の心情を察することができるアルヴィンは、エリーゼがすねてしまったことを理解した。
「そう怒るなって。詫びにアイスキャンデーおごってやるから」
「わ、わたし、もう子供じゃありません。そうやっていつもいつも子ども扱いして……!」
 一瞬、喜びかけた表情を慌てて引き締め、エリーゼがぷいと横を向く。
 その可愛らしさに、アルヴィンは喉の奥を鳴らすようにして笑った。
 淑女然とした立ち居振る舞いの向こうには、アルヴィンがよく知っているエリーゼが、まだいるらしい。なんだか、ほっとした。
「いやいや、おじさんからみたら、エリーゼはいつまでたっても可愛い女の子よ?」
 おどけたように肩を竦め、その頭に手をぽんぽんと重ねる。
「もうっ! 自分のこと、おじさんとかほんとは思ってないくせに!」
「あららー、ばれてる? だってこんないい男、まだまだこれからでしょ? 綺麗なおねーさんがただって、ほうっておいてくれないし」
「自信過剰、自意識過剰、です!」
 ぷりぷりと怒ってみせるが、エリーゼはアルヴィンの手を振り払おうとはしない。
 まるで、あのときように――旅していたときのように。
 裏切ってばかりで、大人だけれど大人ぶっていただけの、中身は子供だった自分が過ごした旅の最中、エリーゼとこうしている瞬間はひどく落ち着いていたな。
 懐かしさとともに、そんなことまで思い出し、思わずアルヴィンが素直に笑えば、エリーゼもまたつられたように、笑ってくれた。
「ふふ、なんだか……あのとき、みたいですね」
「だな」
 エリーゼも思い出したせいか、猫のように目を閉じてなされるがままになる。
 だがいつまでもそうしていていいわけがない。シャール家のお嬢様が、不審者に絡まれていると警備の兵でも呼ばれてはたまらない。
 そっとアルヴィンは名残惜しく手をはなし引っ込める――と。
「――エリーゼ?」
「はい、なんですか?」
 離れゆくアルヴィンの手をしっかりと掴んだエリーゼが、そうするのが当然、というように、隣に寄り添いながら指を絡め、問い返してくる。
「いや、えっとな、なにしてるのかなーって」
「手を繋いでます」
「いや、そりゃわかるって」
 いまどうしているか、ではなく。なぜそうしているのか、と訊いているのに。
 しっかりと、指と指を絡め手のひらをあわせるような、いわゆる恋人繋ぎをされてアルヴィンは戸惑う。

 意味わかってんの?

 混乱しそうな思考回路をなんとか正常に保つので精一杯なアルヴィンに対し、エリーゼは勝ち誇ったような顔で言う。
「アルヴィンが、どこかにいっちゃわないように、です」
「どこもいかねーって。こっからどこにいけってんだよ」
 そんなに根無し草だとでも思われているのだろうか。信用のない駄目親父扱いされているのか。商談で来た以上、まだこの街を離れるはずがないのに。
 じんわりと、手袋越しに伝わる熱に、肌がぴりりと焦げるような錯覚を覚え、アルヴィンはわずかに手を動かす。
 だが、しっかりと重ねられた手は、動かない。むろん、アルヴィンが本気になれば、ふりほどける。だが、エリーゼの手は、あまりにも華奢すぎて、力をこめたら壊してしまいそうで、できそうにない。
「逃げちゃだめです」
「!」
 びく、とアルヴィンの肩が、意思に従わず震えた。
 それはどういう意味だ? そう問いかけたいけれど、怖くてできない。
 小柄なエリーゼにしてみれば、高い位置にあるだろうアルヴィンの顔を、下から覗き込みながら、彼女は笑う。くらり、その香りに意識が揺らいだ。
 いやいや、落ち着け俺。
 馬の早駆けのような重く深い心音が、自分の胸から響いてきて、アルヴィンはごくりと唾を飲み込んだ。
 そんなことなど知りもしないまま、エリーゼがはにかむ。
「やっと会いに来てくれたんですから。逃がしませんよ」
「……いや、あのな、エリーゼ」
「それに、」
 アルヴィンの意見など、はなから聞くつもりはないのかもしれない。言いかけた言葉を遮って、エリーゼが長い睫をそっと伏せる。
「ずっとこうしたかったんです――あのときの、ミラとジュードみたいに」
「……」
 最後の最後まで互いの想いを言葉にすることなく、しかし確かに想い通わせて、あの精霊界で別れた二人。
 もうその先の未来が、二度と交わることがないとわかっていても、自分たちのなすべきことのために、離れた二人。
 アルヴィンだってエリーゼだって、そのときに立ち会っていた。その美しい光景を、みていた。  しっかりとその絆が結ばれたことを示すよう、彼らは道を分かつまで、硬く手を握り合っていた。
 今の自分たちと、おなじように。
「だが、それなら、俺なんかじゃなくて、もっと……――」
「アルヴィンが、いいんです。二人みたいに、離れていても、アルヴィンと繋がっているって思えるように」
 からからに乾いた口内をなんとか湿らせたアルヴィンの、弱弱しさを帯びた言葉を、間髪入れずにエリーゼは否定した。
 その力強さに、アルヴィンは今日何度目になるかわからぬ驚きに、目を見開いた。
「ずっと、ずーっと。五年間、このときを待っていました。あのときのわたしは子供だったから」
「なんで……?」
 手をつなぐだけなら、何度か顔を合わせたときでもよかったはずだ。むしろあの頃のほうが、アルヴィンにとっては何も気負わずエリーゼとこうできただろう。
 わからないんですか? とエリーゼが首を傾げる。
「だって、アルヴィン、いったじゃないですか。五年後によろしく、って。それにわたし、アルヴィンと仲良くしてあげますっていいました。それに繋がりたいなら、自分から歩み寄らなきゃ、ね?」
 約束を守ったことを褒めてほしいというように、ふんわりとエリーゼが笑った。
「エリーゼ、おまえ……」
 もう、なんといえばいいのか。
 アルヴィンの中には、言い訳、誤魔化し、茶化し、嘘になるような言葉はいっぱいあるはずなのに――胸の奥で、つっかえてでてこない。
 はー、とアルヴィンは長く息をこぼした。想いだけでも、逃がすように。
 だが、言葉よりもずっとアルヴィンの心に、それは絡みついている。胸の奥が、くすぐったくてたまらない。
 この感覚を、知っている。遠い昔、異世界があることなど知らずにいた子供のころ、母親の無償の愛や、近しかった従兄弟からの好意に対し、本能的に感じていた『よろこび』だ。
 見返りを求めない、綺麗な感情。それが再び向けられていることが、嬉しい。
 ずっとずっと、エリーゼは自分にそうしてくれていたのだろう。こちらが、気付かなかっただけで。
 可憐な小ささから大輪へ、五年かけて育てられた花は、守られて美しく咲くだけではなく、愛でられることを待つだけではなく――咲き誇る様をみて欲しいと願う者のもとへ、自ら赴けるようにまで、なっていたようだ。

 ああ、ちくしょう!

 その相手が自分だなんて。そのことが、満更でもないどころか、嬉しくてしかたないのだから終ってる。
 きっと三十路男にはふさわしくないくらい、自分の顔は赤く染まっているだろう。
 その証拠に、くすくすと悪戯っぽくエリーゼが笑っている。長年あたためてきた作戦が、アルヴィンに効果てきめんだったことを理解したのだろう。若干、してやったりといった気配がにじみ出ているのが、悔しい。
 思わず、むっつりと唇を結ぶものの、そんなことを意に介すつもりはないらしいエリーゼが、笑顔のまま繋いだ手をひっぱる。
「お、おい?!」
 ぐいぐいと引きずられるようにして、アルヴィンはエリーゼのあとを追うような形で歩き出す。
 腰まで伸びた髪を風に遊ばせて、アルヴィンだけに笑いかけてくれる花が、その淡く色づいた可憐な唇を、惜しげもなく動かす。
「アルヴィン、アイスキャンデー買ってくれるんですよね? 時間がもったいないです、はやくいきましょう」
 ほんのりと滲んだ色艶とは正反対に、子供っぽくそんなことを言う。
 子供で大人で、大人で子供。この年頃の子女であれば年相応ともいえる、天真爛漫な振る舞い。かつて、エリーゼの幸せを祈り、子供らしくあれと願った男も、この様子をみたならばきっとあの世で目を細めるだろう。相手が自分だということには、巨大な鈍器を振り回してきそうだが。
 アルヴィンは観念した。
 それはもう、いろんなことを観念した。
 だが、いまとりあえずはまだ――この覚悟を、しらせてなどやるものか。もっともっと、自分だけに近づいたなら、優しく手折ってやろう。まだまだ、そうした手練手管はこちらのほうが上のはず。
 そんな考えは微塵も感じさせぬよう、アルヴィンは口の端を持ち上げる。
「わーかった! あいかわらず食いしん坊なエリーゼ姫に、この下僕がいくらでも買って差し上げるといたしましょう」
 軽く片目を閉じ、慇懃さを曲解しているような言い方をすれば、エリーゼは、ぱっと頬を染めた。
「そんなに食べません!」
「はははっ」
 手を握り返し、アルヴィンが長い足を伸ばして一息に肩を並べると、急なことに驚き足をとめたエリーゼが、目を丸くした。が、すぐに楽しそうに嬉しそうに笑う。
 くすくす、ころころ、それはそれは幸せそうに。
 その光景を間近で映したアルヴィンの目が、じんわりと熱くなる。年をとると涙もろくなるというのはあながち嘘でもないようだ。この幸福感はやばい。
 エリーゼの瞳が、くる、とおもしろいものをみたと、色をわずかに変える。
「アルヴィンってば、段々子供にもどっていってるんじゃないですか?」
「そういうこといってると、アイスキャンデー買ってやらねーぞ」
 目をせわしなく瞬かせ、わずかに鼻をすすると、エリーゼが小さく肩を落とした。
「アルヴィン、あいかわらず嘘つきです。次もそんな嘘をついたりしないように、やっぱり、ちゃんと見張ってないといけませんね」
「へーへー、嘘つきでごめんなさいねー。ま、エリーゼがずっとそうしてくれるなら、そんな心配なさそうだけどな」
 どうよ? と、目だけで問いかければ、つん、と澄ました顔でエリーゼは言う。
「しょうがないですから、そうしてあげます」
 なんともまあ小生意気な。
 じっと顔を見合わせ数秒にらみ合ったあと、アルヴィンとエリーゼは同時に噴出した。
 声を出して笑いながら、活気に満ち溢れた市場を目指して歩きだす。

 こうやって二人で歩いていくんなら、行き先がどんなに見通し悪くても、迷うことはなさそうだ。

 ついついそんなふうに思ってしまう自分自身に、またアルヴィンは笑う。
 ゆっくりと、今日のカラハ・シャールに吹く風のように、エリーゼとともにどこまでもいけたらいい。
 そうしてたどり着く未来は、きっと――自分にはもったいないくらいの、輝きがある。そんな確かな予感がした。