僕のことふってよかっちゃん!

「僕を手酷くふってほしい」
 寮の一階にある共有スペースで、仁王立ちでそんなことを言い出した緑谷出久に対し、ソファに座り込んで雑誌を読んでいた爆豪勝己は、とりあえず精神の病気を疑った。
 今日は連休の中日だ。クラスメイトたちは実家に帰省したり、誘い合わせて買い物にいったりしている。
 勝己も切島たちに買い物に誘われたのだが、上鳴がナンパした がっていることを察知したので、断った。
 出久もまた、飯田と麗日に誘われていたようだが、なぜか残っていた。つまり、今この寮にいるのは出久と勝己だけということになる。
 もしかして、このために残ったのか? わざわざさきほどのようなくだらないことをいうために? やっぱりこいつ頭おかしいんじゃーねの?
 あまりの事態にいつもはうまく動く思考回路が、まったくもって役に立たない。勝己が固まってしまったことに不安げな顔をして、出久が近寄ってくる。
「かっちゃん、きいてる? おきてる?」
「……てめぇが気色悪いこというからだろうが……!」
 ひょいと覗き込まれて思わず仰け反る。誰のせいで反応できずにいたと思うのか。
 ほっと出久が胸を撫で下ろしてるのが、何かムカついた。
「うん、よかった聞いててくれて」
「てめぇこそ俺の話を聞けや」
「だっておかしいだろ……?」
「だから聞けよ!」
 出久には勝己の声は届いていないのか、すっかり自分の世界に 浸っている。
「かっちゃんだよ、よりによってかっちゃんを、僕は好きだって思うんだよ! クソの下水煮込みと讃えられるかっちゃんを!」
「喧嘩売ってんのかてめぇは! 買うぞ、コラ!」
 別に讃えられてねーわ、と憤って目を吊り上げるが、出久は熱い口調を引っ込めて、ひどく冷静な目で勝己を見下ろしてくる。勝己がソファに座っているせいなのだが、やっぱり腹が立つ。
「それはあとにしてくれる? っていうか、喧嘩を売ってるわけじゃないから。まず僕の話をきいてよ」
「……」
 どうしろっていうんだ、と勝己は頭を抱えたくなった。出久の前でそんな姿をみせるつもりは塵ほどもないのでやらなかったが。
 そうこうしているうちに、出久の語りが始まった。
「そりゃ、確かにかっちゃんはすごいよ? なんでもできるし、格好いいし、天は二物を与えずとかいうけどそれは嘘なんだなって思い知るからね? 戦闘センスは抜群だし、料理だってできるし、これで性格がよかったら、かっちゃんって世に言うスパダリだよ? あ、スパダリってわかる? かっちゃん、俗語とかは興味なさそうだから知らないよね? スーパーダーリンの略でね、世の女の子たちが憧れる理想の男性像のことだよ。いまはあんまり言わない のかな? まあそれはいいんだけど、とにかく、黙っていれば文句なしどころか手放しで褒め称えるくらいにかっちゃんってば格好 いいけど口を開けば罵詈雑言しか吐かないでしょ? それに散々に苛められて詰られたはずなのに、どうしてだか僕はかっちゃんが 好きだって思うんだ! これでもね、何回も確認したんだよ? そんなはずはないって、自問自答を繰り返したんだ! でもねやっぱり、好きっていう結論になるんだよ! ねえ! おかしいだろ!?」
 なげえわ、このクソナードが。
 思わず勝己は天を仰ぐ。鬼気迫る表情に、勝己は内心ドン引きしていた。デクのやつ、相当追い詰められてやがる。
「ああ、そうだな。てめぇはおかしい」
 ひとまず落ち着かせようと同意しておく。
 そうでしょ?! と我が意を得たりという顔をしたあと、嬉しそうにはにかむ出久に、勝己のこめかみが引きつる。イラっとした。  
「だから、僕、かっちゃんにふって欲しいんだ! そうしたら、ああやっぱり、こんなクソ下水煮込みの幼馴染なんて好きじゃ  なかったんだ! って目が覚めると思うんだ!」
 さあどんとこい! という顔をしている。やっぱりコイツはおかしい。
 あー……、とまだ働かない頭で、勝己は考える。
「つーか、そもそも前提がおかしいだろうが」
「なにが?」
 きょとん、と目を瞬かせる出久には、悪気やこちらを害そうという気配はまったくない。ただ純粋に、勝己が好きで、でもそれが認められなくて、だからフって欲しいといっているのだ。
 ……そうか、こいつ、俺のこと、好きなんか。
 そう改めて実感したとき、ふと胸の奥がくすぐったくなったような気がしたが、ぞわりと風邪を引いたときのような悪寒に似た何かがこみあげたので、まるっと無視することにした。
「告白もされてねぇのに、それでどうやってフれっつーんだてめぇは」
「あ、そっか」
 はっとその事実に気づいたらしい出久が目を丸くした。やっぱアホだなこいつと、勝己は思った。自分の回答も大概アホだと思ったが。
「じゃ、じゃあ、かっちゃん……」
 こちらを真っ直ぐにみつめ、頬を赤らめ、大きな瞳を潤ませて、もじもじとしながら出久が言葉を探し始めた。いやなにしようとしてんだよ。そこでいかにして自分がアホか自覚して、自ら異常に気づけよ。
 おいまてやめろ、と怒鳴りつけようとしたが遅かった。ぎゅっと拳を握り目を閉じて出久が叫ぶ。

「僕……君が好きだ!」

 その瞬間、ぞわーっとなんともいえない感覚が勝己の鍛えられた背をなぞっていった。
 例えるならば、ゲジゲジとかムカデとかの足の多い虫が集団で 大行進していったような、そんな感じである。たとえが悪すぎるという意見はこの際聞かない。
 恥ずかしいのか、やりきった感動に浸っているのか、出久は目をあけず、ぷるぷると身体を震わせている。それだけみていれば、まあ、可愛い――否、ンなことは絶対ないのだが、健気に見えないわけでもなくて、多少心が揺り動かされた、……ような気がする。いや、そんなことはないはずだが!
 はーっと、溜息が漏れた。なんだか、どっと疲れた。せっかくの休日になにをしとるんだ、俺は。
「……ああ、そうかよ」
 疲れきった勝己は、それだけいうと手元の登山特集の雑誌を閉じ、立ち上がった。
 自分の部屋で読もう。そうしよう。共有スペースからの脱出のため歩き出そうとしたところで、戸惑いの声があがった。
「えっと……、かっちゃん……?」
「あ?」
「ほかにいうことあるよね?」
「……」
 ああ、そうかフってくれっていう話だったか。なんかいろいろ衝撃過ぎて忘れてしまっていた。だが、出久の思う通りに動くのは腹が立つ。なんで素直にいうこときいてやらねばならない? この俺が!
 足を止め、出久へと振り返った勝己は、心底馬鹿にした顔で右手の中指を立ててやった。
「いってやんねぇよ、バーカ」
「なんで?!」
 出久が泣きそうな顔をして叫ぶ。
 いい気味だ――そう思ったのもつかの間、勢いよく飛び掛られて、勝己は目を剥いた。
「だって、僕が好きだっていってるんだよ?! かっちゃんおかしいよ!」
「おかしいのはてめぇだろうが! なんっで俺が好きとかいって んだ!」
「だからそんなのわかってるんだってば! さっきからそういってるだろ! 話きけよ! いいから、さあ、はやく! 僕をふって!」
「あー、うるせえ! つーか、はなせ!」
 力いっぱい振りほどこうと暴れるものの、中学生の頃ならいざ知らず、近接格闘術を学んだ今となってはなかなかうまくいかない。
「かっちゃん! いつもみたいにいってよ!」
 がっしりと勝己の腰に縋りつき、胸元に顔を埋めるような格好になったまま、出久がいう。
「俺はてめぇのことなんざ好きじゃねぇ! クソナードが気持ち 悪ぃんだよ! 二度と近寄るんじゃねぇ! 身のほどを知って舌噛んでのた打ち回って死ね! はい! リピートアフターミー!」
「てめぇが俺のことどうみてるかよーくわかったわ、死ねこのクソが! なにがリピートだよ! やらねえよ! つーか、似てねェ!」
「そうその調子だよ、かっちゃん! ――っていうか、君に似るとかほんと気持ち悪くて駄目だから似てなくていいんだよ」
「いきなり真顔になってんじゃねえ! クッソ腹立つわ! てめぇが喜ぶことなんざ誰がするか!」
「ひどい……! 僕へのいやがらせのためだけに、告白させただなんて……! でもそれは諸刃の剣だよかっちゃん! お互いにダメージが大きすぎる……!」
「なにがひどい、だ! こっちの台詞だわ! 幼馴染の男に告白された俺のほうがよっぽど酷い目にあってんだろうが! よく考えろや!」
「いやだいやだ……僕がかっちゃんを好きだなんて嫌だ……!」
 ガタガタブツブツと、出久が震えながら囁いている。
 失礼にもほどがあんだろ。
「てめぇ、ほんとうに俺のこと好きなんか……?」
 あまりにも酷い言いっぷりに、勝己は思わずそんなことを問うた。
「そうだよ! だから困ってるんじゃないか! かっちゃん最低だな! 知ってたけど!」
「マジでムカつく野郎だなてめぇは……!」
 怒りのあまり、頭が真っ白になっていく。血管が切れるのではないかというくらい、血が勢いよく巡る。
 勝己は、がっし、と出久の顔を両手で挟むように掴んだ。
 へあ? と声をあげる開いた口。どうしようもない間抜け面。ああ、ムカツクと思いながら、勝己は顔を近づけ、その唇を塞ぐ。
 思った以上の柔らかな感触の向こうで、自分が放りだした雑誌が落ちた音が響いた。
 んぐ、と出久が声をあげ、身体を硬直させる。
 だがやがて、時間が経過するにつれ、状況を理解したらしく、じたばたと暴れ出した。
 その拳に本格的な力が乗る前に、勝己は顔を離す。
 そして、歯を見せて嗤った。
「はっ、ブッサイクなツラしやがって……!」
 頬に散ったそばかすの上を、何筋もの涙が伝っていく。
 ごしごしと手の甲で唇を拭った出久が、戦闘訓練のときでさえ なかなかみせない、鋭い視線を向けてくる。
「ひどいよ、なんでこんなことするんだよ……!」
「はっ、ンなもん……」
 そんなこと、勝己にもわからない。ただ、むかついただけだ。
 俺を好きだと言いながら、ふってくれと願う馬鹿の、その矛盾に。
 だから、こう叫ぶしかない。
「いやがらせにきまってんだろ、バーカ! つーか、たかだかキスのひとつやふたつなんだってんだ!」
「ううっ……! かっちゃんとファーストキス……うえぇぇぇ!」
「ハッ! どうせ後生大事にとっておいたところで、クソナードじゃあ、使う機会なんざ一生ねぇだろうが!」
「そうかもしれないけど、やっぱりひどいよかっちゃん!」
 泣き嘆く出久を残し、ふんと鼻を鳴らした勝己は、床に落ちた雑誌を乱暴に拾い上げ、共有スペースを足早にあとにする。
 背後では、出久が何事か喚いているが、もう聞く気はなかった。戻る気もない。
 あれ以上あそこにいたら、また何か失態を犯すに違いなかった。
 勝己は、がしがしと頭を掻く。
「クソッタレが」
 苦々しく吐き捨てる。
 ぼろぼろと流れ落ちていく出久の涙に、ぞくりとした何かが込み上げたなど、誰にもいえない。
 ましてや、勝己もまたファーストキスであったなんて、墓場まで持っていく秘密だ。
 面倒くせえことになったと思いながら、勝己は忘れがたい感触の残る唇から、小さく熱い息を吐いた。