「どうしよう……」
噴水のある公園へと続く階段の前で、ティアは立ち尽くす。あとは、どこにいくところがあるだろう。あとは適当に、なんていってたから、もしかしたら街を出てしまった? 嫌な予感に頭を痛めていると、ぽんと肩を叩かれた。
「どうしたんだい、ティア?」
つばの広い帽子に、ユウシャノハナ。人のよさそうな、人畜無害を体現したような、その柔らかな面差しをもつ人物に、ばっとティアは縋った。
「デュラン! 私……私、人を探してるの!」
「え、ええ? お、落ち着いて、ティア。誰を探しているんだい?」
あまりの剣幕に驚いたのか、デュランがわずかに仰け反る。しかし、ちゃんと話を聞いていてくれるのは流石である。
「ええっと、年のころは私たちと一緒ぐらい……かな。で、深い髪の色と灰色がかった青の瞳で……! ちょっと口が悪くて、大きめの服を着ていて……!」
ティアがあげる少年ヒースの特徴に、デュランはしばし思案して。申し訳なさそうに、首を振った。
「いや、僕はみてないな。ごめん、役に立てなくて」
「そっかあ。どうしよう……」
がっくりと肩を落としたティアに、デュランが微笑む。
「その男の子を探すの、手伝うよ」
「いいの? パトロール中じゃないの?」
いまのこの時間帯は、勇者を目指すデュランがローアンの街の治安を守るべく、パトロールをしている頃だ。だからこそ、その最中にヒースをみかけていないだろうかと、思ったわけだが。
にこ、とデュランが笑みを深くする。
「だからだよ。僕のパトロールは街の平和を守るため。ひいてはそこに住む人たちが困ってないかみてまわるため。ティアが今困っているならば、勇者として手を差し伸べないわけにはいかないさ」
「ありがとう、デュラン!」
見知った少年の姿に後光がさして見えるよう。思わぬところからの救いの手に、ティアが心から感謝した、そのとき。
「デュラン君!」
ばたばたと血相を変えて、模擬剣を下げた青年が駆け寄ってきた。それはティアも知っている人だった。たしか、グスタフが開いている道場で、中堅どころに位置する実力の人だ。息せき切らしたその様子に、ティアとデュランは顔を見合わせ、その人に向き直った。
「あれ? どうかしましたか? 今は自主稽古中じゃ……?」
「そ、それどころじゃないんだよ!」
膝に手をついて、ぜぇぜぇと息を整えながら、青年が叫ぶ。
「うちの道場に道場破りがきて……!」
「ええええっ!? うちに!?」
「ど、道場やぶりって……!」
ティアとデュランは、同時に飛び上がるようにして驚いた。どうしてこう、次から次へと事件が起こるのだろう。今日は厄日なのかもしれない。
「そうなんだ! それがやたらめったら強くて、しかもみたこともない技も使うし……!」
デュランの肩をがっしりと掴み、青年は問いかける。
「師匠はどこにいかれた!? はやく道場にきてもらわないと!」
「と、ととと、父さんなら、お城に呼ばれて、い、いってるけど……!」
がくがくと揺さぶられながら、デュランがなんとかそう告げる。
「わかった! いってくる!」
ぴゅう、と城に向かって再び駆け出したその人を見送って、ティアは止まっていた息を吐き出した。道場破りがいることにも驚いたが、四大流派の一派を学ぶ者たちが集うところに、一人で乗り込む無謀さがすごいと思った。
「ん……?」
やためったら強くて。みたこともない技を使う――?
走り去った青年が言っていたことを反芻してみる。なんだかとてつもなく嫌な予感が、する。
不安に掻き立てられるティアの顔を覗き込み、デュランが申し訳なさそうに言う。
「ティア、ごめんよ。僕はこれから道場にいってみる。君の人探しにはあとでちゃんと合流するから……」
「私もいく!」
南東方向に身を乗り出すデュランを遮り、ティアは訴えた。
「え、で、でも!」
「もしかしたら、その人かもしれないの……!」
突然の申し出にどうしたらいいのかわからない顔をするデュランに、ティアは重ねて言う。
「道場破りが!?」
信じられないというかのように確認するデュランへと、ティアは頷いて返す。
「……わ、わかったよ。とにかくいってみよう。そうすればはっきりするからね」
「うん!」
そうして、二人で肩を並べて駆け出した。人ごみを掻き分け、階段を一足飛びで下りていく。そうしてたどり着いた石造りの堅牢な道場の、開け放たれた大きな扉の前に立って。
ざーっと音を立てて、ティアの顔から血の気がひいた。
中にはいらずとも、その惨状はみてとれる。グスタフの50人の弟子たち全員が集まることは滅多にない。今日は半数近くが、稽古に訪れているようだった。そして今、その彼らは、暴風雨に倒された木々のように冷たい床の上に倒れ付している。壁際には、まだ入門したてだろう少年たちが、がたがたと震えていた。
「なんだ、四大流派といっても、たいしたことないな」
その屍のような人たちの真ん中で、木製の模造剣をだらりと下げ、至極つまらなさそうにしているのは、ティアが探し回った少年ヒースだった。
「貴様っ」
その不遜な態度と余裕の声に、ただ一人残っていた男がいきりたつ。そのままの勢いでヒースへと踏み込んでくるが――だめだ。頭に血が昇った男の剣など、見切るのはたやすい。ひらひらと蝶のように、その剣筋を正確に読んだヒースが動く。強く踏み込んだ最後の突きも軽くいなされ、体勢を崩した男へと、ヒースのもつ剣が空を割いて打ち込まれる。
あっという間のことだった。
何度かみせてもらった太刀筋ほど洗練されてはいないが、いま少年がみせたものは紛れもなく、ヒースのものだった。それを受けた男が、がくりと床に倒れ付す。どうやら気絶してしまったようだ。
それを見下ろし、ヒースがふふんと笑った。
「オレの流派を使うまでもなかったな」
そんなことをいいながら、ヒースがぽいと模造剣を放り出す。それは、石床の上でからんと乾いた音をたてて転がった。
そのおかげで、はっとティアは意識を取り戻した。ぷるぷると頭を振る。ちょっと格好いいな、と思っていた心をしかりつけ、ティアは駆け出した。
がっしりとヒースの手を引っつかむ。げ、と嫌そうな声が落ちてくる。
「何してるんですかっ!」
「またおまえかよ! しつこいな!」
ぎろり、睨み付けられて、ティアの中で何かに火がついた。
「しつこいって……! 勝手にいなくなったくせに、なんてこというんですかっ!」
「出歩くのに、いちいちおまえの許可なんかいらないだろ!?」
「ひどいっ! その口の悪さなんとかしたらどうですか!」
「おまえはオレの母親かっ!?」
ぎゃんぎゃんと騒ぎ立てる二人を、ぽかんと道場の生徒とデュランが見守る。割ってはいる隙がみつけられないらしい。
「いいからこっちきてくださいっ!」
言い聞かせるのも無理だと察したティアは、強硬手段にでることにした。ぎゅうと、ヒースの耳をつかみあげる。
「いだ、おまえ、耳っ、耳掴むな!」
暴れるヒースを、それ以上の怒りで押さえつけ、ティアはずんずんと出口に向かって歩いた。
外に出ようとしたところで、大事なことを思い出す。振り返る。
「みなさん、ほんとうにすみませんでした!」
道場内に響き渡るようにそういって、ぺこりと頭をさげる。そして、どこかにいってしまわぬように、ヒースの腕をがっちりと掴み、ティアは道場を後にした。
「ティア!」
そんな二人を、デュランが追いかけてくる。
「デュランごめんね、ありがとう」
「ううん、僕は結局何もしていないし……。それより君、強いんだね」
「そりゃどうも――っ、痛っ!」
馬鹿にしきったようなその態度に、ティアはぎりりとヒースの足を踏んづけた。もうだめだ、この人。そんな諦めに似た気持ちをティアは抱いた。さらに視線を鋭くしたヒースを無視して、ティアはデュランに向き直った。
「本当にごめんね。師匠にもあとで謝りにくるからって伝えておいて?」
「うん、わかった。でも、とりあえず彼はこのままいなくなったほうがいいよ。父さんにみつかると、あの将軍みたいな目にあうと思うから」
あはは、とデュランが笑う。ティアもつられて、あははと笑った。冗談ではない。それは洒落にならない。戦場でヒースを追い掛け回したというグスタフの執念を思い出し、ティアは背筋を震わせた。
「じゃあ、僕は怪我人の様子をみなきゃいけないから。またね、ティア」
「うん!」
軽く手を振って道場の中へと消えていくデュランを見送り、次いでティアはヒースをねめつけた。離さないでいた腕を強引に引きつつ歩き出す。
「おい、どこにいくんだよ」
「少し休めるところです」
手短にこたえ、ティアは公園を目指す。噴水の輝きでもみながら、腰を落ち着けてゆっくりしたかった。
街の中央を通り過ぎ、ティアは目的の場所にやってくると、ヒースをひとつのベンチに押し込むように座らせた。その隣にどかんと腰掛け、ティアは言う。
「もうっ! 本当にあなたヒースさんなんですか!? なんであそこにいたんですか!? それに、」
どうしてあんな危ないことを、と続けようとしたところで、ヒースはふんと鼻を鳴らした。
「ヒースだよ。おまえの知ってるヒースじゃないがな」
「うう~」
そうだった、今のヒースは、ヒースだけれどティアの知っているヒースじゃない。思慮深く、温かく包み込むような、懐広い大人の男ではない。
「それに、なんでいたかって訊かれたって、闘技場からまっすぐ南に飛び降りたら道場が目の前あっただけだ。とりあえず、あったらやるだろ?」
道場破りという行為が、さも普通なことのようにいわれて、ティアは自分の常識が間違っているのかという気分にさえなってくる。
「暇つぶし程度にしかならなかったが……せっかくいいところだったのに邪魔しやがって」
いらただしげな様子で吐き捨てられて、ティアはぐっと奥歯を噛み締めた。
「だって、あそこに師匠でもきたら大変なことになっちゃうし……」
「師匠? へえ、強いのか? そいつ?」
好戦的な笑みを口元に浮かべたヒースに、ティアはぶんぶんと頭を振った。
「だ、だめです! 戦おうなんて、絶対だめですからね!」
不満そうなヒースがぴくりと眉を動かす。だめだ、これは絶対にわかっていない。
「とにかく――!」
だめですから、と言おうとしたら。
「――いちいちうるさいんだよ! 何をしようとオレの勝手だろ!!」
怒声が雷のように落ちた。それは、小さなティアの身体を萎縮させるには充分な威力をもっていった。そして、あたりの人が何事かとこちらを向く。
ひくっとティアの喉が勝手に震えた。血が固まったような錯覚を起こす。こんな風にヒースに怒鳴られることなんて、今までに一度もなくて。ティアは息を吸い込んだ。まずい、と思った。だが止まらない。
「ふ……ふぇ……」
ぎょっとヒースが目を見開いた。
「ば、な、なんで泣くんだよ!」
「な、ない、泣いてなんか、い、いませ、ん……!」
当然、そんなこといったって、目の前の人には頬を伝うものなんてまるみえなわけで、言葉が事実じゃないことくらいすぐわかる。鼻の奥がつんと痛む。こんな風に泣く自分が、ティアは信じられなかった。
「嘘つけ、泣いてるだろうが!?」
「だ、だって、ヒースさんが、ヒースさん、がっ……」
ヒースに稽古をつけてもらっていたとき、叱咤されたことは何度もあった。だがそれは、ティアの成長を願って、その力が正しく振るわれるように導くための、激励であった。だから、怖くなんてなかった。
だけれど、今はこんなにもヒースが恐ろしい。そして、そう思う自分がたまらなく嫌だった。この人のことが、大好きなはずなのに。
ぼろと零れる涙を手の甲で掬い上げながら、ティアが肩を震わせると、ヒースがおろおろと手をさ迷わせた。
「悪かった……」
「う……んっ……」
ぐい、と頬を乱暴に拭われて、ティアは小さく呻いた。涙に滲む視界の中で、ヒースが困り果てた顔をしている。
「苛々してたんだ。八つ当たりして、悪かった」
「……ひっく、うぅ……」
ぐすぐすと静かに涙を零すティアと、どうしようもない様子で頭を掻くヒースの間に、沈黙が落ちる。それ以上の喧嘩に発展する様子がみられないせいか、注目していた街の人たちは、思い思いに散っていく。
そうしてしばし時間が流れ、ティアの頬が乾き始めた頃。
「おまえのいってることは、きっと正しい……いや、間違いなく正しいんだろうな」
ぽつり、ヒースがそう零した。ティアは顔をあげて、横の少年をみつめた。
「オレは、あんなに険悪だった帝国と王国が和平を結んだなんて知らない。両国が平和になったことだって知らない。それに、闘技場にいったら……オレの出ようと思った大会、十年前に終わってた。そこにオレの名前があった」
あ、とティアは声を漏らした。そうだ。あの闘技場には、これまでの大会の開催日と優勝者の名前が刻まれた石版があったはず。もちろん、ティアの名前も刻まれていただろう。
「なあ、オレ、いったいどうなってんだ? ほんとうに、おまえのいう将軍とやらが、オレなのか? オレはこれからどうなるんだ?」
くしゃり、とヒースが髪をかき混ぜた。
ああ、どうしてそこに思い至らなかったのだろう。急に知らぬ場所に放り出されたに等しいのだ、ヒースは。不安に思わないはずがなかったのに。
「えと、大丈夫です! 薬の効果が切れればきっと、もとにもどるはずです。それまで、私がヒースさんのそばにいますから! だから、その、あの……」
それが何の役にたつのかときかれれば、こたえられない。そもそもこの現状の原因はティアにある。だけど、そう伝えるしか、ティアにはできなかった。
「だが、それじゃあ……オレの、この……」
苦しそうにヒースの瞳が細くなる。視線が揺れて、ティアはそのせつなそうな色に、きゅうと胸が締め付けられた。伸びてきた長い指が、濡れた自分の頬に触れて――そのぬくもりに、ぼっとティアの顔が本人の意思とは関係なく赤く色づいた。
触れたヒースがその反応に驚いて、同じように真っ赤になる。
「な、なんだよ!」
「だ、だってヒースさんが!」
あんまりにも、優しく触れるから。
「オレのせいかよ!」
なんだろう、どきどきする。狼狽するヒースを見ていられなくて、ティアは頬を押さえて俯いた。その頭に、大きな手のひらがぽんと乗せられた。
「ああ! もう、いい。わけがわからないことは確かだが、オレはここにいるし――おまえもいるし。なんとかなるだろ」
「ヒースさん……」
まるで、隣にいろといわれたような気がした。ティアが呆然とその名を呟くと、ヒースが顔をしかめた。
「その呼び方やめろ」
「え」
「ヒースさん、なんていわれたら、きしょくわるい。敬語もやめろ」
そういって、ヒースがベンチから腰を上げた。
「ほら、街の案内してくれるんだろ――ティア」
少年になったヒースに、初めて名前を呼ばれ、ティアは飛び上がるようにして立ち上がった。
「は、はい……、じゃなくて、うん!」
その様子がおかしかったのか、ははは、とヒースが笑う。ティアが大好きな、その朗らかな笑顔は昔も今も変わらない。そんなことを湯だった頭で考えて、ティアはヒースと一緒に歩き出した。
その後、二人はローアンの街の隅々まで見てまわるように、歩いた。職人通りも、中心街も、まだその場にとどまっていた大道芸人の妙技も見た。
ヒースは屈託なく笑ってくれて、ティアもいつしか、今日だけに与えられた不思議な時間を楽しんでいた。
こういうの、きっとデートっていうんだろうな、と。ぼんやりと嬉しくさえ思った。